十年近く間をあけての再読だ。 あなたは今イタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。さあ、くつろいで。精神を集中して。 ...
保坂和志の小説には必ずといっていいほど猫が登場するが、これは猫に主軸をおいた作品。くろしろという嫌われ者のボス猫と主人公の関わりというか、すれ違う様を描いている。猫を擬人化したり逆に機械的なものとしてみるのではなく、猫には猫の人間にはわかりえない内的世界があるという描き方がとても新鮮だった。猫は近くにいる身近な存在だけど、人には彼または彼女を完全に理解することはできない。それは猫だけじゃないかもしれないけど。もう一編は猫をさらう話で『キャットナップ』。 ...
吉本隆明の年代の人がエヴァンゲリオンをみてどんな感想をもつのかなと思って手に取った(ぼくはまだエヴァをみてないが)。だが、こういう年代の離れた人同士の対談でありがちなことだが、年下のほうが主導権を握ってしまい、年長の方の人の言葉はなかなかじっくり読めないのだ。分量としてはサブカル系の話題はごく一部で、むしろ数年前自殺した江藤淳についての話がメインだった。 ...
コミックにもなっているが、こちらは小説版。『陰摩羅鬼の瑕』の流れで、おどろおどろしいエンターテイメントが読んでみたくなったので手に取った。民俗学者、詩人として有名な折口信夫が遺したとされる日記に書かれている奇妙な出来事を大塚英志本人と思われる作者が再構成しているというスタイル。 ...
3篇からなる中短編集だが、共通するのは語りのゆらぎだろうか、誰がどんな状況でその物語を語っているのかというところにゆらぎがあって、語られている内容のほうも不可解な謎につつまれてしまう。といってもそれが前面に出ているわけではなく、語りにゆらぎがあるものだということが作者と読者の間の約束事というか、一種の教養として読者に求められている。 ...
『季節の記憶』の続編で登場人物はほぼ同じ。ただ、近所に引っ越してきたなっちゃん親子がほとんど姿を見せない代わりに、猫の茶々丸が加わっている。新聞に連載していたので、いかにも新聞らしい挿絵がついている。 ...
人はそれぞれ自分固有の世界観をもっているものであるが、資質とか機会のせいでどこかしら歪みがあるはずだ。今回焦点があてられている人物は、知性と教養に恵まれその世界観は全きものと思われた。だが、そこにはたったひとつ大きな瑕があった。その瑕が悲劇を呼ぶ。 ...
あるサラリーマンの男が、昼休みの買い物から戻ってオフィスのある中二階にエスカレータで戻るまでに見かけたり、思いついたさまざまな物事について書き綴った本。飲み物の中で浮いてしまうストローの弊害、ストローがくつひもが左右同時に切れる理由、牛乳パックの進歩と牛乳配達という職業の敗北、洗面所のペーパータオルのすばらしさ、エスカレータという乗り物の精妙なメカニズム…。 ...
フランスの出版社に「街の小説」というシリーズがあって、その東京版がこの本ということらしい。それぞれの作品は林真理子をはじめとするそれぞれの作家に街に関する短編小説を依頼して書いてもらったものだ。 ...
表題作より冒頭の『けものがれ、俺らの猿と』の方が圧倒的にすごい作品。妻に逃げられ、部屋を追い出されることになった売れない映画脚本家の前においしい仕事の話が持ち込まれるが、それはさらなる悪夢の続き。関わる人間はどいつもこいつもねじのはずれたやつばかりで、怪しい自警団の男にぼこぼこにされたり、変な街のおかしな祭りで騒動にまきこまれ、雨に濡れて死にそうになり、キ印の男につかまって一晩中俳句作りにつきあわされる。そんな主人公の耳に最後に響く声とは…。 ...
筆者が口述した内容を編集者が文章化した本。そのせいなのかなんなのか平易な割に読みすすめにくく感じた。他者への理解をはばむ「バカの壁」についてもっと深くつっこんだことが書かれているかと期待していたのだが、特に目新しいことが書いてあるわけではない。が、個性をのばすなどということより「共通了解」の方が大事だとか、無意識・身体・共同体の復権の必要性などはなるほどとうなずかせるものがあった(一神教が一元論であるというような話はちょっと単純化しすぎだと思うが)。 ...
『くっすん大黒』同様、とめどない堕落志向を持った男たちの物語。これを読んでいると何かをうまくそつなくやることはつまらないことで、ダメにしていくことのほうに美学を感じてしまう。『夫婦茶碗』ではそのダメさが主人公の精神まで侵食して、書きかけのメルヘン小説の主人公小熊のゾルバともどもなんかひどいありさまになっていくのだけど、その中で突如光だす妻への愛が、夫婦茶碗に結実するところはまさに詩だなと思ったのだった。 ...
『プレーンソング』や『草の上の朝食』と同じく、静かな日常とそんな日々をいとおしみながいきいきと生きている人々の姿を描いた作品。ただ、登場人物は完全に入れ替わって、離婚して5歳の息子と二人で住んでいる中年男の主人公と、近所で便利屋を営む年の離れた兄妹がメインキャラクター。上の二作に比べるとユーモアの要素がちょっと後退して、日常のさまざまな出来事や人のあり方に対する哲学といってもいい考察がもっと前面に出てきている。特にその対象となるのが、子供がものを理解していく過程と、娘を連れて離婚して実家に戻ってきた女性の心の中にある凡庸さという偏りで、まさに絶好の観察対象となっている。 ...
邦題から、生まれ育った街への愛着がつまったウェルメイドな作品を想像していたが、さにあらず、むしろ前衛的といったほうがいいようなシュールなイメージにあふれた作品だった。その分読みにくさもあって、描写が続くところなどは文字の連なりを意味に変換するのにとても苦労した。おそらく重要な箇所を読み飛ばしているのではないかと思う。 ...
青い涼しげな表紙に惹かれて買った。 自己中心的な男が主人公の短編が3つ。そんな男たちの身勝手な日常が書き込まれている中に唐突に顔を出す鮮烈な視覚的イメージ。プールの水の底でゆらゆら熱帯魚のように泳ぐ色とりどりのライター(『熱帯魚』)、地図の上に置いた空き缶が雪の中に埋もれる(『グリーンピース』、個人的にはこれがベスト)。車がガードレールに激突して血の泡を吹く「奥さん」の言葉を聞くという幻想(『突風』)。そのイメージの冷たく無情な感触がどういうわけかとても心地よかった。 ...
『スキップ』、『ターン』に続く時と人の三部作の完結編。といっても三作の間にストーリーも登場人物もいかなる関連もない。不思議な時間の流れに翻弄される人たちというのだけが共通している。時間がいきなり『スキップ』したり『ターン』を繰り返したあと、本作での時間のいたずらは輪廻。いたずらというよりも、親切、いや途方もない恩寵だ。 ...
重い本のあとには爆笑もののこの本。電車の中で笑いをかみ殺すのに苦労したが、半日で読み終えた。 二編入っていて『くっすん大黒』と『河原のアバラ』。どちらも生活破綻者の自堕落な中年男が主人公なのだが、なかなかどうして、行動はモラリスティックで論理的だ。そんな男と仲間たちがひきおこすとんちんかんな道中記。『河原のアバラ』のラストで絶望的な状況でありながら、いつまでもいつまでも笑い続けるシーンをキューブリックあたりに撮らせてみたかった。 ...
『タイムスリップ・コンビナート』の表題作から渇いてシュールなユーモアを感じて、別の作品が読みたくなって買ってみた。 作者自身の投影と思われる女性作家が主人公で、今まで住みなれた部屋の追い立てをくらって、新しい部屋を探そうとするが、「オートロック」という一点にかたくなにこだわり過ぎるせいで、一向に見つからない。そして、カフカの小説のような不条理な状況がいりまじりはじめる…。 ...
3篇からなる作品集だけど、なんといっても冒頭の『トライアングルズ』がすごい。小学校6年生の少年である主人公が、父親の愛人であり、かつ唯一信頼できる家庭教師の先生のストーキングの対象である女性にあてて書いた手紙の中で、これまで彼女と自分の家族そして「先生」の間に起きたできごとの背景を説明していく。子供と思えない根源的な思考に基づいた文体、どことなく神話のようなエピソード。最後にはほんとうにこの手紙を書いたのが誰なのかわからなくなるという仕掛けがあるのだけれど、その仕掛けすら意図的なミスリードのように感じる。 ...
笙野頼子自身の投影である「私」の日常を中心とする私小説的な世界からいきなり超現実的な幻想世界にダイビングしてしまう不思議な作品たち。二つの世界の落差がとても激しい。 ...