読書ノート

古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』

本書の「ルーツ」である村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』は、短編集のタイトルになるくらいで初期の代表作にちがいないのだけど、なぜか何度読んでも内容を忘れてしまう。『二〇〇二年』を読むにあたり、まず『中国行き』の方を読み直してみた。 「僕」の人生で出会った三人の中国人に関する回想...

本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

正直、「女優になるため上京していた姉・澄伽が、両親の訃報を受けて故郷に戻ってきた。その日から澄伽による、妹清深への復習が始まる。高校時代、妹から受けた屈辱を晴らすために……」という裏表紙に書かれたあらすじにはまったく惹かれず、本谷有希子の芝居(それはほんとうに素晴らしかった)をみ...

福永信『コップとコッペパンとペン』

難解なところはどこもないけど徹頭徹尾不可解な小説集。 カフェなんかで少し離れた席の会話が漏れ聞こえてきて、部分的にとてもおもしろいんだけど、何のことを話しているのかさっぱりわからない。興味をもって聞いているうちに情報量は増えていくが、整合しない点もそれにつれて増えていく。いつの間に...

鈴木謙介『ウェブ社会の思想―をどう生きるか』

TBSラジオで放送されているLifeのファッションリーダー、charlieこと鈴木謙介さんの著書。ラジオでは、若干あいまいだったり、本筋からはずれそうなリスナーからのメールや他の出演者の発言を、巧みに(しかも嫌みにならずに)整理して方向づけし直す能力に感心することしきりだけど、本...

内田百閒『贋作吾輩は猫である』

1906年に酔っぱらって甕に落ちた猫が、意識を取り戻すと1949年(文庫の裏表紙に1943年とあるのは間違い)になっていた。たどりついたのは苦沙弥ならぬ五沙弥先生の家。夏目漱石の正典猫と同様、五沙弥家に集まる風変わりな人々の会話を猫の視点から収集する。 正典はユーモラスな作品にはち...

古川日出男『アラビアの夜の種族』

アラブは地理的というより心理的に日本からとても遠い場所で、なじみのあるものといえばテロと石油とアラビアンナイトくらいだと思うが、本書は、その中のアラビアンナイト的な題材から想像力を膨らませ、緻密に書き上げられたファンタジーだ。 ナポレオンの攻略の手がエジプトに迫る前夜(西暦では17...

舞城王太郎『山ん中の獅見朋成雄』

舞城作品には珍しく動ではなく、静からはじまる。人里離れた山ん中の静けさ、そこで書の道を究めようとする、背中にたてがみのある少年。だが、そこに不可避的に暴力が侵入してきて、少年の隠された獣性を呼び覚ます。 図式的にはいつものように、即物的でグロテスクな暴力が、ピュアなものに対する信仰...

奥泉光『『吾輩は猫である』殺人事件』

『吾輩は猫である』で猫が水甕に落ちてそのまま死んでしまうのは忍びなかったので、続けて、その猫が生き延びて活躍する物語を読むことにした。なんと猫の飼い主だった苦沙弥先生が東京の自宅で殺されていたのだ。それを遠く離れた上海で、名無しの猫君およびその仲間の猫たちが推理する。 オリジナルの...

夏目漱石『吾輩は猫である』

ラストで猫が死ぬ話はやだなと思ってずっと避けてきたのだけど、考えてみればラストで人が死ぬ話は数多く読んできたし、この間などはラストに犬が死ぬ話までも読んでしまった。猫だけ特別扱いするのも理に適わないので、このあたりで目を通しておくことにした。 猫は単なる狂言回しでほんとうの主人公は...

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

ぼくより下の世代の作家の作品を読むようになったのはここ数年のことだけど、その中で好き嫌いを越えて、ほんとうにすごいと思えるのは、舞城王太郎くらいかもしれない。半端なくバイオレンスで、そりゃもうグロいんだけど、ぼく、きみ、セカイというセカイ系のシチュエーションと、現代文学のメインス...

奥泉光『新・地底旅行』

時は明治末、挿絵画家野々村某は、真新しい独逸製の写真機に目がくらみ、朋友富永丙三郎、理学者水島鶏月、屈強で勤勉な女中サトとともに地底探検の旅に出ることになる。 夏目漱石作品の時代背景とユーモラスな文体、ヴェルヌの『地底旅行』のモチーフ、グレッグ・イーガンばりのハードSFのアイデアを...

山折哲雄『近代日本人の宗教意識』

タイトル買いしたのだけど、読みたかったのとは対極的な本だった。まず前提となる現状認識がちがっていて、筆者は日本人がもともともっていた宗教心はすたれて無神論的な態度が主流になっていると考えているのに対し、ぼくは今でも宗教心は日本人の行動を陰ひなたで律していると感じている。それで、ぼ...

レイモンド・チャンドラー他(稲葉明雄訳)『フィリップ・マーロウの事件』

現代ハードボイルドの書き手たちが、フィリップ・マーロウのキャラクターを借りて書いた短編15編(文庫化にあたり序文や作品8つが割愛されている)と、チャンドラー自身が残したマーロウが登場する唯一の短編(そのほかのマーロウが登場する短編は発表後に探偵の名前がマーロウに書き換えられている...

田中修『雑草のはなし―見つけ方、楽しみ方』

花や植物の名前はほとんどわからない。いまさら全般的に覚えようとしても手遅れな気がしたので、まずは雑草の名前をどうにかしようと、本書を手に取った。街を歩いてよく目にしているはずだし、観葉植物は知らなくても、雑草の名前がわかることは、ちょっと気が利いているように思えたのだ。 紹介されて...

飯沢耕太郎『写真とことば』

写真の代わりに写真家の書いたことばをまとめた写真集といえばいいだろうか。大正から現代までの日本の写真家25人の文章が収録されている。一応、名前を列挙すると、野島康三、萩原朔太郎、安井沖治、福原信三、山端庸介、土門拳、木村伊兵衛、田淵行男、濱谷浩、常盤とよ子、高梨豊、森山大道、荒木...

レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『ロング・グッドバイ』

はるか昔、清水俊二訳で読んだことはあるが、上品に食べ残された魚のように、頭とおしりの部分がかすかに記憶に残っていただけで、肝心なところはすっかり抜け落ちていた(村上春樹によれば清水俊二訳にはわざと訳されていない箇所が多くあるらしい)。そのときはシリーズ最高傑作という評価に同意しつ...

『徒然草』

「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて」の「硯」を「PC」に換えれば、一種のひきこもり系ブロガーだ。だが兼好法師が書きつけたのはチラシの裏的な内容ではなく、ソースを重視し、文献や実体験に裏打ちされたことを書いていた。だから、当時の人間だけでなく、現代に生きる人間にさえ届いて...

奥泉光『ノヴァーリスの引用』

恩師の葬儀で久しぶりに集まった学生時代の友人四人は、ふと十年前に謎の死を遂げた男のことを思い出す。それぞれの思いをこめた語りの中で、彼の死そして生に新たな光がなげかけられる。その光が新たな闇を呼び、そして光と闇はメビウスの帯のように幻想の中でつながる。 ノヴァーリスというのは、短い...

コニー・ウィリス(大森望訳)『ドゥームズデイ・ブック』

美人女子学生が14世紀のイギリスにタイムトラベルする話だというから、少女漫画的なほんわかSFを想像していたのだけど、それはあまりに大きな勘違いだった。 21世紀、14世紀両方を同時(というのはおかしいが)並行的に襲う疫病。問題は解決せず積み重なるばかり。読んでいて、歯がゆさと絶望を...

阿部謹也『ヨーロッパを見る視角』

『「世間」とは何か』では日本の文学作品をてがかりに「世間」の正体にせまったが、本書では「世間」からの離陸に成功したヨーロッパの姿を通して「世間」をとらえようとしている。 ヨーロッパでも11世紀頃までは日本と同じような、贈与互酬関係を基本とする血族単位の集団主義的な社会、つまり「世間...