読書ノート

松本圭二『アストロノート』

詩集というのは本の先頭のページから最後のページまで順序よく読んでいくものではなく、もしそれで最後のページを閉じたとしても、決して読んだという完了形にはならないものだ。そんなこともあって、今までここでは詩集をとりあげなかったのだが、今回はあえて整然とページをめくる読み方をしてみたの...

加藤典洋『敗戦後論』

本書には日本の敗戦をめぐる評論が三つ収められている。本全体のタイトルにもなっている最初の『敗戦後論』に主たる論旨が書かれていて、残りの二つはその補論的な位置づけだ。 『敗戦後論』では、まず「ねじれ」という現象が指摘される。これは日本に限らず、敗戦という経験をした社会にはどこでもあり...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『ほとんど無害』

『銀河ヒッチハイクガイド』のシリーズもいよいよ最終巻。なぜ全五作からなる三部作といわれるか、その理由がわかった気がする。シリーズの特長ともいえる切れ味の鋭いギャグは前作よりさらに影をひそめ、諦観や一種宗教的なさとり、センチメンタリズムが表面に躍り出ている。といってもラストをのぞい...

池田雄一『カントの哲学 シニシズムを超えて』

いきなり映画『マトリクス』の話題からはじまるので、とっつきやすいかと思ったが、パラフレーズのためにたちどまることをしない、スピード感あふれる文体で、ついていくのがやっとというより、味わえたのはスピード感だけという状態で最後のページにたどりつきそうになったところで、これでは読んだこ...

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

再読……のはずなのだか、何を読んだのかというくらい、ディテールはおろか基本的なストーリーさえ覚えていなかった。むしろ読んだのは誰だと問いかけたくなる。覚えていたのは、この作品がおそらく村上春樹の現時点での最高傑作といっていいくらいすばらしい作品だということで、読み終えた今、その記...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『さようなら、いままで魚をありがとう』

『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ三部作の第四作なんて呼ばれるのは、作者はもともと三作で完結させるつもりだったからだが、とはいえ別に第三作『宇宙クリケット大戦争』の最後で何がどうなったというわけでもないので、続けて十分OKだろう。 さて、続きとはいうものの、今回はかなり毛色が変わ...

多木浩二『写真論集成』

芸術の秋ならまだしも真夏に読むにはかなりつらい本だった。四部構成だが、特につらかったのは第一部で、そこで語られるのは写真そのものではなく、むしろ写真を語る言葉についてで、ページを追っているつもりが、しばしば迷子になってどこを読んでいるのかわからなくなった。撮る「主体」と撮られる「...

田島正樹『スピノザという暗号』

『これ(ライプニッツのこと)に対して、スピノザの難しさは一見したところのさらに先にある。すなわち、一見したところもけっしてやさしくないが、より大きな困難は、深く立ち入るにつれて見えてくるように思われる「粗雑さ・荒っぽさ」によって、われわれの勇気がくじかれてしまう危険なのである。な...

夏目漱石『それから』

宮藤官九郎脚本の昼ドラ「吾輩は主婦である」にすっかりはまってしまい、久しぶりに夏目漱石の小説が読みたくなった。一時期青空文庫でまとめて作品を読んだことがあったが、この『それから』はその当時まだ収録されておらず、未読だったのだ。 主人公の代助は今でいうところのニート(マスコミやネット...

田島正樹『読む哲学事典』

事典といっても一般的な哲学の用語や概念の解説がメインではない。「愛と暴力」、「法と革命」という見出しからわかるように二つの概念を衝突させることで、そこから今まで存在していなかった新たな意味を生み出そうとしている本だ。 見出しは26あり、さまざまなテーマがとりあげられているが、その中...

柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を越えて』

電波ゆんゆん、でも良質な電波を受信して書かれた本だ。 日本を含む西側先進国がとっている社会システムをぼくなりに戯画化すると、市場という怪物と国家という怪物を戦わせて、その間にそれぞれのおいしいところをもらってしまおうというものだった。だが、それがうまくいっているように見えたのは、遠...

吉田修一『日曜日たち』

5人の登場人物たちのそれぞれの日曜日を描いた連作短編集。5人の登場人物に直接の関連はないが、共通して語られるエピソードがあり、最後の物語につながってゆく。 相変わらず映画的な場面展開。過去と現在のエピソードを、流れをたくみに切りながら、交互に語ってゆく。今回は突き放したような人間描...

野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』

本書の「はじめに」にも書いてあるが、哲学の解説書は読まない方がいいそうだ。いきなりパラドックスかと思うが、本書は単なる解説書ではなく、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』(以下『論考』)を書いた地点に読者を案内することを目指している。 ぶっきらぼうなウィトゲンシュタインと異なり、...

町田康『権現の踊り子』

昔筒井康隆の小説を読みながら悪人のようなほっほっほという笑みを浮かべていたが、今は町田康の小説を読みながら同じ笑みを浮かべている。 中編や長編では、語り手=主人公が自らの自堕落さもあって悪夢的な世界に巻き込まれるというパターンが多いが、本書は短編集なので、時代劇もあったりして、バラ...

保坂和志『カンバセイション・ピース』

世田谷の小田急線沿い、おそらく成城か喜多見の木造二階建ての古い日本家屋が舞台。伯父、伯母が亡くなり、空き家になっていたこの家に小説家である語り手の「私」と妻、猫三匹、妻の姪が住むことになり、さらに「私」の後輩の会社(といっても社長、社員あわせて三人)も間借りする。 保坂和志の他の作...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『宇宙クリケット大戦争』

『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの第3弾。発表当初は不評だったそうだが、ギャグは笑えるし、物語の伏線にはりかたも見事だ。3作の中で一番おもしろいかもしれない。 原題は"Life, the Universe and Everything"だが、これが関連するのはエピローグだけだ。邦題のほう...

ウンベルト・エーコ(藤村昌昭訳)『フーコーの振り子』(上・下)

「私が『振り子』を見たのはあの時だった。」 最初、神学的で難解かと思ったが、コミカルなミステリー仕立てで物語は進んでゆく。 卒論のためにテンプル騎士団を研究していた語り手カゾボンはそのことがきっかけで書籍の編集者ベルボ、ディオッタレーヴィと懇意になり、古来からの陰謀や秘密結社をめぐる...

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー(上・下)』

二年前に上巻だけ買ったものの、あまりの厚さに持ち歩くことができず、積み重ねた本を支える支柱の役割を果たしていた。別の本を探していたらたまたまこれが発掘されたので、ようやく読む気になった。 小学五年生の主人公ワタルの「現世」での生活を描いた第一部の途中までは、子供向けのぬるいファンタ...

村上春樹『象の消滅 短編選集 1980-1991』

アメリカで翻訳・出版された村上春樹の短編集と同じ構成で編んだ日本語版。もちろん英語から訳し直したわけでなく(それはそれで読んでみたいが)オリジナルの作品が収められている。 『ねじ巻き鳥と火曜日の女たち』、『パン屋再襲撃』、『カンガルー通信』、『四月のある朝100パーセントの女の子に...

村上春樹編訳『バースデイ・ストーリーズ』

アメリカを中心とした英語圏の作家の、誕生日に関する短編小説を集めたアンソロジー。すべて村上春樹が訳している。 今この時期に誕生日に関する本を読むことはぼくにとってとてもタイムリーなことなのだ。この本には子供から老人までさまざまな年齢の人物の誕生日が描かれているが、年齢が高くなればな...