『徒然草』

新訂 徒然草

「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて」の「硯」を「PC」に換えれば、一種のひきこもり系ブロガーだ。だが兼好法師が書きつけたのはチラシの裏的な内容ではなく、ソースを重視し、文献や実体験に裏打ちされたことを書いていた。だから、当時の人間だけでなく、現代に生きる人間にさえ届いているのだろう。

たくさんブックマークを集めそうな過激なことも書いている。いわく、子供や子孫はないほうがいい(第6段)、40歳になる前に死んだ方がいい(第7段)、TVでやっていることをそのまま信じちゃいけない(第73段)、NHKの職員だからといって妬んで小賢しげに文句つけるやつよりは偽善者の方がまし、というか偽善は善そのものだ(第85段)、慣習や儀礼より個人の人生の方が大事(第112段)、憲法改正反対(第127段)、酒の無理強いは見苦しい(第175段)、男女は結婚して同居するよりたまに会うくらいがいい(第190段)、見合いより波瀾万丈の恋愛(第240段)。これらには一種の現代的な合理主義、個人主義を感じる。

と同時に、世の無常を説く「死を思え」的な仏教信仰に根ざしたエントリーもある。さきほどの合理主義、個人主義と仏教は相反するものではなく、むしろ仏教が、血縁と呪術に基づいた世間から、個人と理性をくくりだしているといっていいと思う。今では日本の仏教は祖霊崇拝の枠組みの中に絡みとられて本来のパワーを失ってしまったけど、西洋におけるキリスト教がそうだったように、ある時期までは一種の普遍性をもたらす世界宗教だったのだ。

なんといっても文章の風格がたまらない。現代口語は表現力という点で兼好の時代の文語に完全に負けていると思う。

一番気に入ったフレーズ。「虚空よく物を容る。我等が心に念々のほしきままに来り浮かぶも、心といふもののなきにやあらん」(第235段)。現代語訳「からっぽな空間にはたくさんものが入る。ぼくたちの心にさまざまな思いが浮かぶのは、心というものがからっぽで存在しないものだからか」。