読書ノート

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』

エナメル質が削り取られて神経がむき出しになった虫歯のように、身も蓋もなく悲しい喪失の物語。 物語の核心にある謎というわけでは全然ないので、決してネタバレにはならないと思うのだが、この作品について触れる人は、物語の状況設定を書かないことが不文律のようになっているようなので、ぼくもその...

パウロ・バチカルビ(田中一江、金子浩訳)『ねじまき少女』

何となく手を出しそびれていたのはタイトルや帯の惹句から、一種のラノベなんじゃないかと思ったからだ。そんなことは全然なく、技術や人類の未来についてとても深く考えさせる硬質な物語だった。 舞台はおそらく今から100年後くらいのタイ。石油の枯渇、温暖化による水位の上昇、遺伝子操作による疫...

サリンジャー(野崎孝訳)『フラニーとゾーイ』

電車で前の席に座った男性がカバーもせずに読んでいるのをみて、それじゃぼくも読んでみるかと、渡されてもいないリレーのバトンを受け取ったのだった。 まさかこういう話だとはまったく予想してなかった。かろうじて兄と妹の物語だということは知っていたけど、兄がフラニーで妹がゾーイーだと思ってい...

パオロ・バチカルビ(中原尚哉、金子浩訳)『第六ポンプ』

これだけ夢中になった SF(いやSF以外も含めて)短編集は久しぶり。次の作品を読むのが楽しみでしかたなかった。 どの作品もほぼ近未来のディストピア的世界が舞台になっている。炭素エネルギーが枯渇し。遺伝子改良された動物や植物が跋扈し、ネジがエネルギーの蓄積手段として復活をとげ、貧富の差...

ブラックウッド『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』

幽霊や妖精がでてくる怪奇物の短編集。オールドファッションなのはわかっていたが、だからこそ何か新しい発見があるんじゃないかと手に取った。 一番おもしろかったのは、表題作の『秘書綺譚』かな。幽霊が出てこないので、相手が生身の人間たち(でも幽霊より不気味)なのがかえって新鮮だった。怪異の...

チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』

主人公の警官がある身元不明の女性の殺人事件を捜査する物語で、そこの部分はとてもよくできた典型的なミステリー。特徴的なのは、物語の舞台だ。 時代はほぼ現代、2010年近辺。登場するテクノロジーももちろん現代のものだ。東欧、バルカン半島にある小国、いや正確には舞台になるのは二つの都市国...

佐々木敦『未知との遭遇 — 無限のセカイと有限のワタシ』

映画、音楽、文学、そして最近は演劇分野など多方面でエッジの立った批評活動をしている佐々木敦さんが書いた、ちょっと不思議な「自己啓発」本。筆者自身が体現している、結果をおそれずに積極的に様々な未知なものに遭遇する生き方をオルグしている。ただその説得の仕方がとてもユニークで、著者も認...

ジャネット・ウィンターソン(岸本佐知子訳)『オレンジだけが果物じゃない』

作者の半生をなぞったかのような自伝的小説。帯には半自伝的と書いてあったけど、自伝的成分は4分の3くらいはあるんじゃないか。 養女として預けられた父母。特に母親が、カルト的なキリスト教の分派を信仰していて、彼女も幼い頃から宗教的な教育を施され、説教師になることを嘱望されるが、女性であ...

小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

小澤征爾はまぎれもない音楽のプロフェッショナルで、その語るエピソードは、有名な指揮者や演奏家に関するものにせよ、音楽のなりたちに関するものにせよ、興味深いものばかりだった。驚くのは、少なくとも音楽の演奏に関してはずぶの素人であるはずの村上春樹が、小澤征爾の話の先回りをしたり、小澤...

山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか』、『殺人者の空』

山野浩一の傑作短編集二編。『鳥はいまどこを飛ぶか』のほうをジャケ買いして、日本にこんな独自の世界を築き上げた小説家がいるのかと驚き、読み終わらないうちに『殺人者の空』を入手した。 1939年生まれ、小説家としては主に1960年代末から80年代初めにかけて活動した。それ以降は競馬評論...

バルザック(宮下志朗訳)『グランド・ブルテーシュ奇譚』

きっかけは、架空の人物のフルネームがタイトルになっている文学作品をさがそうと思ったことだった。古今東西の小説家をひとりひとり思い浮かべるうちに、バルザックなら絶対にフルネームタイトル作品があるはずだと思って、調べてみたら、予想通り。でも、ちょっと待て。いままで、そのバルザックの作...

速水健朗『ラーメンと愛国』

ニッチでマイナーな食べ物だった戦前の「南京そば」、「支那そば」がいかに国民食ともいわれるようになってきたかを、戦後日本の歴史と共にたどっていく。ラーメンそのものではなく、ラーメンと日本社会のかかわりに重点を置いた本だ。 第1章。戦後食糧難の時代、アメリカの余剰穀物の販売先とされた日...

グレッグ・イーガン(山岸真編・訳)『プランク・ダイヴ』

これまでイーガンを読み継いできた読者からすると、決してあたらしいアイディアが書かれているわけではない。高速なコンピュータ上で進化をシミュレートして生み出される知的存在。脳をクローンに移植して得られる永遠の生命と、自分とは何かという問。異なる数学的原理に支配される、隣接する二つの世...

『われらの時代・男だけの世界 --ヘミングウェイ全短編1--』(高見浩訳)

ヘミングウェイというとマッチョなイメージが強いけど、初期に書かれたこの短編集に収められた作品、中でも自伝的な色彩の強いものを読むと、内省的な文学青年としての側面を強く感じる。この短編集でも、戦争、闘牛、ボクシングなど血なまぐさいテーマの作品が多いけど、むしろそういう弱々しいところ...

いとうせいこう『ノーライフキング』

絶版になった新潮文庫版を探しまわってどうにかブックオフでみつけたが、河出文庫版が出ていたのだった。まあ、安く入手できたからよしとしよう。 ゲームソフトを媒介にして子供たちの間に広がる噂をテーマにした作品。本作が書かれた1988年から、インターネットとモバイルネットワークの普及にとも...

宮沢章夫『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』

『サーチエンジン・システムクラッシュ』で池袋の街の迷宮的な魅力を描いた著者が、今回舞台にするのはちょうど10年前、2001年の西新宿だ。まだ税務署通りの拡幅工事がはじまってなかったころだ。当時まだたくさん残っていた中古レコード屋の中の一軒を舞台に、自分が歌舞伎町で起きた放火事件の...

ジャネット・ウィンターソン(岸本佐知子訳)『灯台守の話』

物語る行為というのは、闇の中で自分がいる位置を見いだすための光なのかもしれない、ちょうど灯台がそうであるように。 母親に死なれて天涯孤独になってしまった少女シルバーが、灯台守のビューにひきとられる。彼女はビューが語る物語をきいて育ち、やがて自ら物語るようになる。灯台を離れ、ひとりで...

宇野常寛『リトル・ピープルの時代』

現代が、ビッグ・ブラザーが壊死し、誰もが否応なく(小さな)父として機能してしまうリトル・ピープルの時代であるという立場から、村上春樹論でその想像力の限界を指摘して、子供向け番組ながらその限界をやすやすと乗り越えたシリーズと平成版仮面ライダーを紹介する。 ぼくは村上春樹のファンで、ほ...

菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校 〜【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 調律、調性および旋律・和声』

もとから音楽の理論を一般教養程度でもかじっておきたいと思っていて、このところラジオなどでファンキーでリズミカルなトークにアディクト気味の菊地成孔さんの著書ということもあり、渡りに舟と、手に取った。目次を追っておくと、「調律」(1回)、「調性」(2回)、「旋律・和声」(6回)、「律...

オーウェン・コルファー(安原和見訳)『新・銀河ヒッチハイクガイド』

英国風のシニカルでナンセンスなユーモアとSFが結合した面白さに心ときめいた『銀河ヒッチハイクガイド』三部作も、第四作、第五作と、はじけたところがなくなり気が滅入るような感じになってきて、そのまま作者のダグラス・アダムスが若くして亡くなってしまったから、新作が出るなんて、まったく予...