ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『悪霊』

悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

悪霊〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

悪霊 3 (光文社古典新訳文庫)

鬼気迫るとしかいいようがない。ぼく自身悪霊にとりつかれたみたいに夢中になって一気に読んでしまった。『カラマーゾフの兄弟』よりこっちの方がパワフルで普遍的だ。

ロシア中西部のある地方で立て続けに起きた惨劇のそもそものはじまりから順を追って語られる。語り手は無個性的で穏健さがとりえのGという人物。だがなぜか神のような視点で各人物の内心奥深くに入り込んだ描写が行われる。その登場人物たちが揃いも揃ってものすごい存在感なのだ。優柔不断の旧世代のリベラル学者ヴェルホーヴェンスキー、ヴェルホーヴェンスキーの庇護者であるワルワーラ夫人の一人息子で神の如き魅力とカリスマを振りまくスタヴローギン、スタヴローギンの影響により対極的な思想を持つに至ったシャートフとキリーロフ、過激派組織の立ち上げを画策する陰謀家にして道化役ヴェルホーヴェンスキーの息子ピョートル、ヴェルホーヴェンスキーの借金のかたに軍隊に売られ犯罪者に落ちぶれた流刑囚フェージカ、大酒飲みのレピャートキン大尉。そしてリーザ、二人のマリヤ(足の悪いマリヤとシャートフの元妻のマリヤ)、ダーリヤなど登場する若い女性はほとんどスタヴローギンと何かしらの関係をもっている。なんと、これら主要な登場人物の半数以上9人が命を落としてしまう。

第二部のスタヴローギンといろいろな人物との対話シーンが緊張感にあふれてとにかく素晴らしい。キリーロフ、シャートフ、マリヤ・レピャートキナ、そして独立した章になっていて当初の版には含められなかったチーホン主教との対話。中でもぼくが好きなのはキリーロフとの対話だ。この一部をネットで読んでこの作品を読もうと思ったのだ。

「人間って、ほんとうによくない」ふいにまた口を開いた。「だって自分たちがすばらしいことがわかってないんですから。それがわかってれば、女の子に暴行なんか働きません。自分たちがすばらしいってことに気づかなくちゃいけない。そうすれば、みんないい人になる。それこそひとり残らずね」

「で、じっさいにあなたはそれに気づいた。ってことはあなたはいい人間ってことにですね?」

「いい人間ですよ」

あと興味深いのはピョートルのもとに集まった組織のメンバーのひとりシガーリョフの思想。

人類の十分の一は、個人の自由と、残りの十分の九に対する無限の権利を享受します。残りの十分の九の人間は個性を失い、家畜の群れのようなものに変わり、絶対的な服従のもとで、何世代かにわたる退化をかせね、原初の無垢を獲得しなければならない

彼のビジョンに基づく社会は後の『1984』や『すばらしい新世界』などに通じるディストピアだ。このあとロシアに誕生し、そのあと世界の半分に拡散した現実の社会主義、共産主義は結果としてこの通りの社会を目指してしまったような気がする。ドストエフスキーの作品は当時のロシアの世相を抜きにして語れないが、共産主義というものの行く末について正しく見抜いていた。