安部公房『壁』

壁 (新潮文庫)

高校生の時以来の再読。当然のようにすっかり内容を忘れていた。

あの当時はまだカフカも読んだことなくて、はじめた触れたいわゆる不条理文学だったので、この作品というよりこのジャンルへの驚きが大きく、この作品の特長をとらえきれなかったと思う。今回読んでみて、メタフォリカルなエピソードと、ユーモラスで、冒険小説としての体裁をとっているところが、なんだか村上春樹に似ていると思ったのだった。カフカは個人の力では変えることのできない大きなものが不条理として迫ったきたけど、安部公房も村上春樹もそういうものが失われたところからスタートしているような気がする。

『壁』というのはひとつの作品ではなく、独立した2つの中編と4つの短編からなるアンソロジー的な本だ(ということも読むまで忘れていた)。『S・カルマ氏の犯罪』では名前をなくし、『バベルの塔の狸』では影(=身体)をなくす。アイデンティティ喪失といってしまうと月並みになってしまうが、『壁』が書かれた戦後間もない動乱期は、自分が自分であるという基盤が現代同様とても脆弱な時期だったのだろう(というより基盤が強固な時期の方が珍しいのかもしれない)。アイデンティティを失ったものは例外なく孤立してしまい、その状況からふだんみえないものがみえてくる。それは当然悪夢だけど、読者の立場からするととても楽しい悪夢だった。

ほかの作品も読み返してみよう。