横山裕一『トラベル』

最新作の『NIWA』よりこちらの方が完成度は高いと思う。『NIWA』はギミックの面白さが優先という感じだったが、『トラベル』は完全にアートだ。 三人の男が列車に乗って目的地まで旅をする。徹頭徹尾ほんとうにそれだけで、セリフも文字による説明はまったくなく車内や車窓の奇妙な光景が描写されるのだけど、とにかくかっこいい。どのコマも決定的瞬間をとらえた写真のように構図がすばらしくて、まるで写真集でもみるように一コマ一コマ丁寧に鑑賞したのだった。 ...

殊能将之『美濃牛』

長編第一作の『ハサミ男』を大絶賛しておきながら二作目の本書を読むまでえらく時間があいてしまった理由の一つは凶器に使えそうなくらいの本書の分厚さで、もう一つは、「探偵」が登場するというのをきいて、古典的でありきたりな推理小説という想像がぬぐいきれなかったためだ。 実際読んでみたら、想像は半分あたりで半分外れだった。形式的には、とてもよくできてはいるものの、トリックを含めてほんとうにオーソドックスな推理小説なのだが、ギリシア神話のミノタウロスの物語を主軸に、横溝正史へのオマージュ(というのはぼくが読みとれたわけではなく巻末の解説の受け売り)や、各章の冒頭に置かれた古今東西のさまざまな文学作品の引用が、推理小説としてのストーリーの外側に、知的で愉快なメタミステリーとでもいうような空間を作り出していた。探偵石動戯作は内側のミステリーと外側のメタミステリーをつなぐ媒介者の役割を果たしているような気がする。 ...

横山裕一『NIWA』

絵を見てもそれがなかなかその場面の意味内容と結びつかないせいなのか、どうもコミックを読むのは苦手で、ここでコミックを紹介するのは高野文子『黄色い本』に続いて二度目だったりする。 はじめて横山裕一の作品を見たのは六本木の森美術館で、コミックのページが現代美術の作品として展示されていることはさておいても、そのシュールな内容に度肝を抜かれたのだった。 ...

入不二基義『哲学の誤読―入試現代文で哲学する!』

大学入試の問題に出題された4人の哲学者野矢茂樹、永井均、中島義道、大森荘蔵の文章を題材に、解説者、出題者、本書の著者、そしてオリジナルの文書を書いた執筆者自身、というさまざななレベルの誤読を対照することにより、それぞれのテーマを深く読解する。 ...

松浦寿輝『半島』

ぼくももう立派に(というよりあまり立派じゃない)中年の一員だけど、中年期というのは、青年期のようにものの価値や美に執着する性向と、そういうものは所詮仮初のものだし取り逃し続けたって別にかまわないという諦観と解放感が入り混じった態度に引き裂かれているもので(そのどちらも「自由」と呼ぶことができる)、ちょうどこの小説の主人公迫村もそんなどっちつかずの状態で、大学教師の職を辞め、自由を求めて、瀬戸内海に突き出した半島(というか実際の舞台はその半島と橋で結ばれている島)にやってくる。そこで彼はさまざまな不可思議な人物や出来事に翻弄される。 ...

古川日出男『サマーバケーションEP』

最初のページを開いたときからそれははじまっています。それとは、冒険です。年齢も性別も国籍もばらばらな人々が、井の頭公園から東京の都心をぬけて海を目指します。ガイドしてくれるのは、やわらかで透明でリズミカルな文体と、とびきりの幸福感。 ...

チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』

劇作家として有名なチェーホフは短編小説の名手でもあり、多くの作品を残している。といっても日本語で手軽に読める作品はとても少なくて、本書に収録された晩年の7編はかなり貴重な存在だ。 ...

ポール・オースター(柴田元幸訳)『トゥルー・ストーリーズ』

1983年から2002年に書かれたポール・オースターのエッセイをまとめたもの。若いころの貧乏話、時事問題に対するメッセージなどあるけど、一番大きなパートを占めるのはオースター自身および彼の知り合いが経験した「信じられない偶然」の数々だ。 ...

原尞『愚か者死すべし』

前作『さらば長き眠り』から9年もの月日をおいて刊行された、探偵沢崎を主人公にした新シリーズ。著者による後記に「ただひたすら、それら(旧シリーズの諸作品)より優れて面白い作品を、それらより短時間で書くための執筆方法と執筆能力の獲得に苦心を重ねておりました」とある通り、これまでとは文体がかなり変わっている。よくいえば軽快になったということだが、それは何か重大なものが失われたことによる軽さのように感じられた。 ...

矢作俊彦『ロング・グッドバイ』

「長いお別れ」じゃなくて"THE WRONG GOODBYE"つまり「間違ったお別れ」だ。といってもバチモノではなく、チャンドラーとフィリップ・マーロウの系譜を受け継ぐ正統的なハードボイルドだ。 ...

村上春樹『風の歌を聴け』

記念すべき村上春樹のデビュー作。再読のはずだけど、たぶんそれは前世の出来事だったようだ。 途中からひょっとしたらと思ったが、語り手の「僕」が文章についての多くを学んだというデレク・ハートフィールドはやはり架空の小説家だった。つまり、デレク・ハートフィールドは村上春樹にとってのキルゴア・トラウトだったのだ。でも、彼はその後の作品には一度も登場していない。メタフォリカルな味付けを誰かの架空の小説の中の話として持ち出すのではなく、本編の中に盛り込むようになっていったので、彼の存在は必要とされなくなったのだろう。 ...

銀林みのる『鉄塔 武蔵野線』

鉄塔の写真を何度か撮っているし、世の中平均より鉄塔好きのぼくではあるが、鉄塔が小説になるとは思いも寄らなかった。いや、もちろん人々とのふれあいとか恋愛とかサスペンスとかを盛り込めばどうにでもなるだろうが、小学生が高圧線沿いに鉄塔を訪ねて進んでゆくというだけで十分物語として成立しているのだ。 ...

藤田宣永『転々』

映画を観た後に原作というパターンだが、この作品に関しては映画と小説は別物という感じだったし、幻滅しそうな気がしてためらっていたのだが、映画の持っているいい意味での宙ぶらり感が、原作との間にどんな力学が働いて生まれたものなのか気になって、結局読むことにしたのだ。 予想はあたっていて、なんか語り口が下世話で、視点が俗っぽいし、映画では三浦友和が演じていた福原という男に魅力がない。一番印象的なのは、極端なくらい、原作の重要なエピソードが映画ではほとんどカットされていたことだ。主人公文哉が思いを寄せるストリッパー美鈴の話が小説では後半かなりの紙幅を費やして語られているのが、映画では彼女の存在ごと省略されているし、ラストであかされる衝撃の真相(正直これはかなり驚いた)もなかったことにされている。東京を歩き通すことから生まれる、世代の異なる二人の男の不思議な心の交流というこの物語の核からみれば、美鈴をめぐる活劇はリアリティのないノイズだし、最後の真相も知りたくないことだった。 ...

ポール・セロー(村上春樹訳)『ワールズ・エンド(世界の果て)』

つきはなしたような冷たいユーモアが特長の短編集。故郷から遠く離れた異郷にいる人たちが主人公になっている。人間の実存を感じさせるような重い作品はないけれど、冒頭の表題作『ワールズ・エンド(世界の果て)』と最後の『緑したたる島』は、いつの間にか人生の袋小路に入り込んだ人々の絶望をとてもリアルに描き出していた。 ...

古川日出男『gift』

10ページほどの掌編が20個つまっている。リズミカルな文章で語られるのは、物語の骨格から自由で、変形自在のインプロヴィゼーションだ。雨の話とか暗いトーンの話もあるのだが、全編を通すと、なぜだか穏やかな日向の風景が思い浮かぶ。長大な『アラビアの夜の種族』と比べると古川日出男という小説家は実は二人いるような気がしてきた。 ...

安部公房『壁』

高校生の時以来の再読。当然のようにすっかり内容を忘れていた。 あの当時はまだカフカも読んだことなくて、はじめた触れたいわゆる不条理文学だったので、この作品というよりこのジャンルへの驚きが大きく、この作品の特長をとらえきれなかったと思う。今回読んでみて、メタフォリカルなエピソードと、ユーモラスで、冒険小説としての体裁をとっているところが、なんだか村上春樹に似ていると思ったのだった。カフカは個人の力では変えることのできない大きなものが不条理として迫ったきたけど、安部公房も村上春樹もそういうものが失われたところからスタートしているような気がする。 ...

アルフレッド・ベスター(中村融訳)『願い星、叶い星』

日本で独自に編まれた短編集。どれも粒ぞろいの作品で訳もいい。 『ゴーレム100』の作者がどんな短編を書いているのかと思って読んだが、最後の『地獄は永遠に』をのぞいてはアンドロイド、タイムトラベル、地球の終末などをテーマにしたオーソドックスなSFだった。特に『イブのいないアダム』のラストは感動的でよかった。 ...

『文化系トークラジオLife』

TBSラジオで放送されている(少なくとも個人的には)大人気番組「文化系トークラジオLife」を書籍化した本。基本的には放送された内容の文字起こしで、ぼくみたいに何度も何度もヘビーローテーションでpodcastingを聞き返した人間には既視感を感じる内容だったが、あらためて活字という形で読んでみると思っていた以上に話がかみ合わず話題がずれまくっていて、そこがこの番組の魅力だということを再確認した。 ...

ジャック・ケルアック(福田実訳)『路上』

四度にわたりアメリカ全土(+メキシコ)を横断した破天荒な体験を、詩的で象徴的な文章で、小説としてまとめあげた記念碑的な作品だ。この作品を通してアメリカという国がもう一度発見されたのだ。 ...

多木浩二『肖像写真―時代のまなざし』

19世紀後半に活躍したナダール、20世紀前半のアウグスト・ザンダー、そして20世紀後半のリチャード・アヴェドンという3人の肖像写真家の作品を対比させながら、肖像になる人々の顔およびそれを撮る側の視線の変化をたどってゆく。 ...