吉田量彦『スピノザ 人間の自由の哲学』

今までいくつかスピノザ本を読んできたけど、本書はけっこう異色だ。 ひとつめ。スピノザの思想だけでなく家族、生涯、死後の受容に焦点をあてている。いまだにけっこうわからないことが多いのだが、父の事業を受け継いで営んでいたときの訴訟記録や、スピノザの兄弟のその後の行く末(カリブ海の島に渡...

アンディ・ウィアー(小野田和子訳)『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

目が覚めるとたくさんの管や電極につながれてベッドの上に横たわっている。身体がなぜここにるのか、自分の名前も思い出せない。部屋にはほかに二つベッドがあり人が横たわっているが、どちらも死んでいて、死んでからかなりの年月がたっているようにみえる・・・・・・。このシチュエーションで先が読...

サラ・ピンスカー(市田泉訳)『いずれすべては海の中に』

アメリカのSF作家サラ・ピンスカーの2019年に刊行された現時点で唯一の短編集の邦訳。電子書籍版で読んだが表紙に惹かれて選んだジャケ買いだった。 収録されているのは13篇。ショートショートみたいに短いものから中編に近い長さのものまでいろいろだ。印象的な作品をピックアップする。 冒頭の...

柞刈湯葉『横浜駅SF 全国版』

すっかり忘れていたので『横浜駅SF』を読み直すところからはじめて、あわせて一気に読み通した。 『横浜駅SF』のサイドストーリー。短いプロローグを別にすると、基本的に本編にでてきたサブキャラがメインで活躍する4篇の短編からなる短編集だ。 『瀬戸内・京都編 A Harsh Mistress』はJR北日...

柞刈湯葉『人間たちの話』

『横浜駅SF』の作者の初短編集。収録作は6編だ。 『冬の時代』は次の氷河期が到来して数世代後の日本を旅する若者と少年のスケッチ。長編小説のなかのひとつのエピソードを抜き出したような作品。 『たのしい超監視社会』はオーウェル『1984年』のパロディー。三大全体主義国家の一角ユーラシアが...

伴名練『なめらかな世界と、その敵』

表紙からラノベに毛が生えたようなものを想像していたが、思ってもいなかった本格的なSF作品を集めた短編集だった。SF的なアイデアだけじゃなく、登場人物の感情の動きの自然さと深みがすばらしい。それが物語をダイナミックに駆動する原動力になっている。 表題作の『なめらかな世界と、その敵』は...

ザミャーチン(松下隆志訳)『われら』

完成は1921年なので、ディストピア小説の嚆矢といってよさそうだ。ロシア革命からまだ4年でソビエトの共産主義体制は流動的だし、ナチスは影も形もなかった。そんな時期に現代的というか未来的な全体主義の姿を克明に思い描いたのは先見の明としかいいようがない。 〈単一国〉と呼ばれる壁で外界か...

川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』

20世紀中庸のアメリカ出身のゲイ作家ジュリアン・バトラー。といってもジュリアン・バトラーは実在しない。その実在しない作家の回想録を書いたのは彼の生涯のパートナーであったジョージ・ジョン。もちろん彼も彼の書いた回想録も実在しない。その実在しない回想録の日本語への翻訳が本書であり、飜...

吉川浩満『理不尽な進化 増補新版 —— 遺伝子と運のあいだ』

理不尽な(扱いをされてしまいがちな)本だ。 それはタイトルにも責任があって(おそらく本書に興味を持った人の大多数はぼくを含め進化に興味がある人だ)、「進化」と銘打っているにもかかわらず主題が「進化」でないからだ。「進化」に対する人間(その中には専門家も一般人も含まれる)の理解、そし...

中井英夫『虚無への供物』

日本探偵小説史上の三大奇書の一角を占める作品なので当然昔読んでいて忘れているだけだろうと思っていたが、読み進めてみても一行も記憶に引っかかる部分がないこと以上に、この作品を読んで忘れるはずがない。つまり、まさかの初読だった。 舞台は1954年(昭和29年)暮れから翌1955年夏にか...

カミュ(中条省平訳)『ペスト』

アルジェリア(当時はフランスの植民地)のオランという街にペストが蔓延し封鎖されるという状況で、町の外との別離に苦しむ人々や果敢にペストとの戦いに挑む人々の姿が描かれる。ジャーナリスティックな筆致でリアルに描かれているので、実際にあったことかと思ってしまうが、完全なフィクションで、...

劉慈欣(大森望、ワンチャイ、光吉さくら、泊功訳)『三体Ⅲ 死神永生』

三体三部作の完結編読み終えた。間違いなくオールタイムベストに入る作品だ。 本作の主人公は程心という女性。彼女は運命の巡り合わせで、前作で明らかになった黒暗森林という宇宙の弱肉強食の現実の中で人類の生き残りを賭けた選択を何度も担うことになる。その度に彼女は、自らの頼る原理である愛と平...

アレックス・パヴェージ(鈴木恵訳)『第八の探偵』

7編からなるミステリー短編集なのだけど、作中作という趣向が凝らされている。グラント・マカリスターという数学者が、ミステリーの構成についての自らの論文の実例として書いた短編集ということなのだ。各短編の合間に、作者グラントと出版のために彼を訪ねてきた編集者ジュリアとの対話が挟み込まれ...

Pedro Domingos “The Master Algorithm: How the Quest for the Ultimate Learning Machine Will Remake Our World”

次の本までのつなぎとして軽い気持ちで読みはじめたらちょうど半年かかってしまった。理由その一、英語だということ。日本語の3倍くらいかかる。理由そのニ、緊急事態宣言で通勤時間がなかったこと。通勤が一番の読書シチュエーションなのだ。そして理由その三。思ったよりずっと本格的に書かれた本で...

柳瀬博一『国道16号線 「日本」を創った道』

国道16号に関する個人的な話から。 もともと都心を散歩していてそれが徐々に同心円状に広がっていったのだけど、あるときから16号という道路をやたら目にするようになった。それもまったく離れた場所でだ。あるときは埼玉、あるときは千葉、あるときは八王子、あるときは横須賀。あまりにも神出鬼没...

木島泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史』

まずは目次から。 はじめに 第一章 自然に目的はあるのか——西洋における目的論的自然観の盛衰と決定論 第二章 決定論と運命論——ストア派・スピノザ・九鬼周造 第三章 近代以前の自由意志論争とその影響——ホッブズとデカルト 第四章 目的論的自然観は生きのびる——ライプニッツとニュートン 第五章 ダーウィ...

アンドレ・ブルトン(巌谷國士訳)『ナジャ』

捨てられそうになっていたところを救い出し、せっかくなので読んでみた。シュールレアリスムの旗手アンドレ・ブルトンの小説? タイトルの「ナジャ」という女性はなかなか登場しない。冒頭は「私とは誰か?」という問いから始まって、延々とどこに向かうかわからない感じで、出会った人々やみた物事やイ...

劉慈欣(大森望、立原透耶、上原かおり、泊功訳)『三体II 黒暗森林』

『三体』の続編。前作で異星文明との接触を果たした人類は同時に侵略の危機にさらされる。侵略者である三体艦隊は400年後に地球に到着する予定なので、余裕があるようにみえるが、「智子」という11次元空間に展開された陽子コンピュータにより、すべての人類の活動は監視され、テクノロジーの進歩...

三島由紀夫『新恋愛講座』

三島由紀夫は『金閣寺』しか読んだことなかったが、たまたま目の前に本書があったので読むことにした。 エッセイ集だ。『新恋愛講座』(昭和30-31年)、『おわりの美学』(昭和41年)、『若きサムライのための精神講話』(昭和43-44年)の3つの連載が収録されている。連載していた媒体が、...

ジョン・グリシャム(村上春樹訳)『「グレート・ギャツビー」を追え』

厳重警備の大学図書館地下室からフィッツジェラルドの手書き原稿を、5人組の窃盗団が盗み出す場面から始まる。窃盗は計画通りに成功するが、ささいなアクシデントで身元が割れ、窃盗団のうち即座に捕まってしまう。派手な登場だったが、彼らは物語の主役ではなく、手書き原稿ともどもあっという間に退...