サラ・ピンスカー(市田泉訳)『いずれすべては海の中に』ebook

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アメリカのSF作家サラ・ピンスカーの2019年に刊行された現時点で唯一の短編集の邦訳。電子書籍版で読んだが表紙に惹かれて選んだジャケ買いだった。

収録されているのは13篇。ショートショートみたいに短いものから中編に近い長さのものまでいろいろだ。印象的な作品をピックアップする。

冒頭の『一筋に伸びる二車線のハイウェイ』は事故で失った腕の代わりにサイボーグの義手をつけたら自分が遠く離れたコロラドのハイウエイみたいな気がしてしかたなくなるという話。ラストがいい。『時間流民のためのシュウェル・ホーム』は一番短くて断片という感じの作品だが、語られているシーンの外の物語の広がりを感じる。

『オープン・ロードの聖母様』は感染症の蔓延で本物のライブ演奏が廃れスタジオ・ホロ・ライブというスタジオで収録したホログラム映像をあたかもその場で演奏しているかのように見せる技術が発達して普及した世界が舞台。そんな風潮に背を向けてルースはバンドのメンバーたちとギリギリの生活をしながら、オンボロのバンで少数のコアなライブファンのために全米の小さな町から町へと駆け回っている。この題材はのちに長編として取り上げられ邦訳も出ているそうだ。実はサラ・ピンスカーはシンガーソングライターとしてアルバムを何枚か出していてApple Musicでも聴くことができる。おそらくその経験が反映されている。音楽に関する物語はもう一編『風はさまよう』が収録されており、トラディションとオリジナリティの関係が考察されている。

作者の個人的な特性でいうとレズビアンであることが挙げられる。作中の人物もメインの女性キャラクターはほとんどレズビアンで女性のパートナーがいるかあるいはいたことになっている。だがそれは単なる背景のひとつであり、ほとんどの場合物語に大きな影響を与える要素ではない。『孤独な船乗りは誰一人』という作品が唯一著者のセクシャリティが前面に出ている作品た。ただし主人公はレズビアンではなく両性具有。船乗りを誘惑して命を奪うセイレーンたちとのとの葛藤が比喩的に物語られる。

個人的に一番好きな作品は『イッカク』。リネットは観光を期待して、クジラの形のボディーでデコレーションされた車を運転しながら運ぶ交代要員を引き受けたが、病的なまでに謹厳実直な雇い主ダリアは其れを許してくれない。とある町で、この車とそれを作ったダリアの母の謎がマジカルに垣間見える。垣間見えるだけですべてを明かさないのがいい。