たとえば砂の上でエサを運ぶアリの上に一滴の水滴が落ちてきたとして、アリにはそれが噴水の水が気まぐれな風で飛ばされただけなのか、それともこれからくる大雨の最初の一滴なのかわからない。それと同様に、毎日働いている中で「働く」ことをめぐる環境の変化を確実に感じていたとしても、その変化が何を原因として生まれ、どこに行き着こうとしているのはなかなか知ることはできない。この本はそんな状況の見取り図を与えてくれるものだ。 ...
原題は"Heart of Darkness"。『地獄の黙示録』の元ネタであり、T. S. エリオットの『荒地』にもその一節が引用されている、コンラッドの代表作だ。コンラッド自身が船員時代に経験した出来事をほぼそのままなぞった物語だそうだ。 ...
羊でなく羊を形作っている物質をめぐる冒険。どのあたりが冒険かというと、これまでサイエンスライターとして最先端の理論物理の啓蒙書を数多く書いてきた筆者が、「物質とは何か」という哲学の問いに取り組んだところだろうか。 ...
コンラッドは風邪薬の名前じゃなくて、19世紀末から20世紀はじめにかけてイギリスで活躍した小説家だ。出身は今のウクライナでポーランド系の家系に生まれ、母語もポーランド語だったようだ。船員として世界各国を回るうちに英語を身につけ、37歳の時に陸に降りて小説家としての道を選んだ。そのときの経験が作品に大いに生かされていて、本書に収められている6つの作品の舞台も、南米、イタリア、ロシアなど世界をまたにかけている。 ...
IT関連でかゆいところに手が届くテクニックを満載したシリーズ、オライリーのHACKSからITではなく人間の脳と心にスポットをあてた本がでた。もちろん単に知識を提供してくれるだけの本ではなくそれを読者が実際に試せるようになっている。 ...
本土の船着場とダヴンホール島を行き来するあいだ、いつも一瞬だけ、船着場も島も見えなくなる瞬間があった。その瞬間には、霧に包まれて水上に浮かぶ彼の船以外、もはや何ひとつ存在しなかった。空から太陽がなくなっても。国と名のるものがすべて消滅してしまっても、何も変わりはしなかっただろう。 ...
数学は美しい。こんがらがった数式を変形していて思いがけずきれいな形になったときにそう感じることがある。そして、そうした数学の美しさは人間の頭の中だけでなく、どこかにリアルに実在しているような気がしてくる。もちろん永遠に。 ...
Rという集合を「自らを要素として含まない集合」と定義する。このときR自身はRに含まれるだろうか。含まれるとすると「自らを要素として含まない」という定義に反するし。含まれないとすると、「自らを要素として含まない」という定義に合致してしまうのでRに含まれることになり、これまた矛盾だ。これは発見者に因んでラッセルのパラドクスとよばれ、勃興したばかりの論理学に深刻な打撃をもたらした。 ...
「世の中に不思議なものは何もないのだよ」と京極堂はいうけれど、量子はやっぱり不思議だ。 電子や中性子などの素粒子は波でもあるという。粒子のイメージだとある一点に凝縮して存在しているはずだけど、波だとその存在そのものが薄められて広がっていることになる。波だと考えてしまえば、位置と運動量を同時に確定できないという不確定性原理や、同時に二つの穴を通り抜けられるという現象も、当然といえるのだが、波を波として観測することはできず、ぼくらはそれをいったん粒子という形で観測することになる。何度も観測を繰り返すことにより統計的に、ようやく波という形がみえてくるのだ。 ...
筆者は1970年生まれのノルウェーの哲学者。 ぼくは退屈というのはあまりきらいじゃなくて、どこか優雅なものだとさえ思っていて、この本を手にとったのも小さくて優雅な退屈を味わえるかなと思ったからだ。だが、筆者が問題にしているのは、ぼくが思い描いたような「状況の退屈」つまり「ある決まった状況でのある明確な原因による退屈」ではなく、「実存の退屈」つまり「何をしていいかさえわからず人生の目標を失ってしまったときの退屈」だ。 ...
年代記形式でいくつかのエピソードを絡み合わせ、はるか彼方への孤高で孤独な旅の軌跡をたどってゆく。 紀元30世紀。人類のほとんどは仮想現実の世界でソフトウェアとして生きていて、ほぼ永遠といっていいような生命を得ている。たいていの「人間」親となる数名の精神の要素を組み合わせることによって生まれるが、一連の物語で主要な役割を果たすヤチマは、実験的なパラメータから作られた、親を持たない「孤児」とよばれる存在だ。 ...
「卓越の士、敬愛する友よ」なんていう呼びかけではじまるメールを一度でいいからもらってみたい。 これはスピノザがさまざまな人々と交わした書簡のうち現存する84通をあつめたものだ。当時は書簡が学術雑誌の代わりをしていたらしく、回覧したり、出版する目的で残されていたらしい。だから、内容もスピノザの思想に関する質問とその回答がほとんどだったりする。スピノザの数少ない著作からだけでは判断できない細部に触れていて、それはそれでとても価値があるものだけど、文章の端々や行間にあらわれるスピノザの人柄や生活態度に興味をひかれる。 ...
年収が年齢の10倍未満だ その日その日を気楽に生きたいと思う 自分らしく生きるのがよいと思う 好きなことだけして生きたい 面倒くさがり、だらしない、出不精 一人でいるのが好きだ 地味で目立たない性格だ ファッションは自分流である 食べることが面倒くさいと思うことがある お菓子やファーストフードをよく食べる 一日中テレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある 未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上) 上で紹介した項目に半分以上該当するとかなり「下流的」ということになるらしい。ぼくは5つ該当で、ぎりぎりセーフだった。 ...
ブリタニカ百科事典を全巻読破しようとした男性のセルフ・ドキュメンタリー。典型的な小市民で、黴菌恐怖症、家族や友人に要らぬ知識を疲労して煙たがられるような情けなさをみせながらも、書斎に閉じこもるのではなく、クイズ番組に出場したり、メンサ(IQ上位2%に入る人たちの国際的社交クラブ)に加入したり、IQ上位0.0001%の人に会いに行ったり、とにかく行動的だ。情けない部分では妙な親近感を感じてしまったが、素顔はきっと優秀な編集者なのだろう。 ...
永井均の<この私>の謎に脳科学の側から迫ろうとした本。 科学的には脳内の1000億の神経細胞の活動から意識がうまれることに間違いない。脳内を見渡す「小さな神の視点」、「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」、「メタ認知」という興味深い概念を最新の脳科学の知見をまじえて紹介したあと、本書では主体の構造のモデルとして「メタ認知的ホムンクルス」というモデルが提案されている。外部からの刺激で脳内に擬似的な客体が生まれ、それにより脳内の各領域に起きた神経細胞の活動の関係性を擬似的な主体がメタに把握するというモデルだ。自分の理解のためにコンピュータの比喩で擬似的な客体がデータ擬似的な主体がプログラムとすると、プログラムが意識を持つわけではなくデータの集合が意識になるわけでもなく、プログラムがデータを処理する関係性の中に意識が生まれるということになる。 ...
それまでの人生で偶発的に負ってしまった瑕や歪を克服してより本来的な自分自身に回帰するというのは、村上春樹のみならず現代文学でよくとりあげられるテーマのひとつだ。村上春樹には特にそういうテーマの作品が多い印象があって、ひょっとしたら多かれ少なかれすべての作品にそういう要素が埋め込まれているのかもしれない。この短編集に収められているのもまさにその系統の作品だ。 ...
あめりか-の-ますづり【アメリカの鱒釣り】 (Trout Fishing in America) ①おそらく架空の小説のタイトル。表紙はサン・フランシスコのワシントン広場に立つベンジャミン・フランクリン像の写真であり、「マヨネーズ」という言葉とともに終わる。 ...
底抜けにブラックでシニカルなスペースオペラの2作目。1作目の『銀河ヒッチハイク・ガイド』と物語は完全に継続していて、続編というより前後編の後編、いや全部で5作らしいので(5作からなる三部作とよばれている)ようやくストーリーが佳境に入ってきたという感じだ。 ...
銀河バイパス建設のために地球が破壊されてたった一人生き残ったときに是非とも必要になる本。それが『銀河ヒッチハイク・ガイド』だ。表紙には大きな読みやすい文字でそういうときにうってつけの言葉―「パニクるな」と書かれている。 ...
リベラリズムとは、他者への寛容を旨として、市場経済のもとで所得の再分配を広く認める考え方だ。個人的にはほかに社会がうまくいくあり方はないだろうと思うのだが、一方には新保守主義(≒ネオリベラリズム)とよばれる市場原理主義的な考え方があり、他方には市場経済に代わるしくみを模索する共産主義的な考え方もある。リベラリズムは中庸ともいえるのだけど、なぜ再分配が認められるのかという問いに対して十分答えきれてないような気がしていた。 ...