スティーヴ・エリクソン(柴田元幸訳)『黒い時計の旅』

黒い時計の旅

本土の船着場とダヴンホール島を行き来するあいだ、いつも一瞬だけ、船着場も島も見えなくなる瞬間があった。その瞬間には、霧に包まれて水上に浮かぶ彼の船以外、もはや何ひとつ存在しなかった。空から太陽がなくなっても。国と名のるものがすべて消滅してしまっても、何も変わりはしなかっただろう。

裏表紙にある「仮に第二次世界大戦でドイツが負けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら……」という言葉からは歴史のifを問うポリティカルサタイア的な作品を思わせるが、一言でいえば、血と汚辱にまみれた20世紀という世紀に赦しを与えて救いだすための黙示録だ。

20世紀のはじまりから終わりまでの時間、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカという空間、そしてドイツが勝った可能世界と負けた可能世界を、複数の人物の視点を借りて融通無碍に行き来してゆく。アメリカインディアンの血をひき巨大な身体をもつ男バニング・ジェーンライトはヒトラーの私設ポルノグラファーになる。彼の住む世界ではドイツがヨーロッパを支配し続け戦争はいつまでも終わらない。彼の書く作品のヒロインがデーニアという女性だ。彼女の住む世界では史実と同様にドイツは敗れている。二人は1938年のウィーンの街角で一瞬視線を交わし、それ以来20世紀は二つに分裂してしまったのだ。

バニングは老いさらばえたヒトラーに対する復讐のためデーニアの胎内にヒトラーの犯した数々の悪行をまぜあわせた赤ん坊を創造する。しかしデーニアの愛の力でそれはふつうの男の子の形で生まれてくる。ただし、彼の髪の毛はいっさいの色が抜け真っ白だ。

何年もの月日が流れ、アメリカの辺境にある島ダヴンホールで二人は再び出会い、そして二つの20世紀がひとつになる。その瞬間バニングは死ぬ。デーニアはその見知らぬ男を「バニング・ジェーンライト」と名付けた。

最後はデーニアの息子マークの極北へと向かう旅で救済は完了する。

最後の息の暖かい霧を通して、彼は、百の幽霊たちの記憶がふわふわと漂うように空へと上ってゆき、ついには空しく破裂するのを見守った。