ロナルド・ドーア(石塚雅彦訳)『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』

働くということ - グローバル化と労働の新しい意味

たとえば砂の上でエサを運ぶアリの上に一滴の水滴が落ちてきたとして、アリにはそれが噴水の水が気まぐれな風で飛ばされただけなのか、それともこれからくる大雨の最初の一滴なのかわからない。それと同様に、毎日働いている中で「働く」ことをめぐる環境の変化を確実に感じていたとしても、その変化が何を原因として生まれ、どこに行き着こうとしているのはなかなか知ることはできない。この本はそんな状況の見取り図を与えてくれるものだ。

通信や交通の発達によって世界の距離が縮まり、第三世界の国々の安価な労働力と直接競争しなければいけなくなりつつある。何十年か前日本の台頭にともなって西欧諸国が経験した状況がまたくりかえされているわけだ。

そんな中なぜか元気がいいのがアメリカで、「アメリカ人は自分たちが生産するより5.5%多く消費し、生産するより少なく消費する他の(特にアジアの)国民が、あまった生産品をアメリカに輸出する。それで得たドルをアメリカに投資する形でアメリカ人に貸す」というからくりで世界の景気はたもたれているいるそうだ。それでアメリカに学べ的なムーブメントが起きている。

各企業の経営者は世界的な競争力を重視し、従業員利益でなく株主利益の最大化をはかるアメリカ的経営を理想的なものと考えるようになっている。

具体的には、労働時間の増加、年功給から成果・能力給への移行、解雇条件の緩和、派遣・臨時雇いの拡大、経営者の賃金の圧倒的な伸びなど、本書で取り上げられているようないくつかの現象が徐々にではあるが、変化として感じられるようになってきている。

筆者はこのような「新自由主義」的な流れ―筆者の言葉では「市場個人主義」―にどちらかといえば批判的なのだが、公平な視線で現状を分析している。市場個人主義は一種のイデオロギーとして教育やシステムを通じてまきちらされているが、筆者はこの流れを変えるきっかけとして、アメリカの景気の後退と格差拡大による反社会的行動の頻発を挙げている。もはや歓迎せざる事態しかないわけだ。

印象に残ったエピソードをふたつ挙げる。

ひとつ目。雇用可能性が低い人々の就く仕事の賃金水準が、生活保護の給付レベルまで落ちてしまい、働くことに対するインセンティブが失われつつある。賃金水準を法で縛れば、逆に仕事がなくなってしまう可能性がある。というヨーロッパの状況の下で、BIENという団体が、ベーシックインカム(年金、生活保護などを廃止する代わりに全国民に一定の金額を給付する制度)を推進しているとのこと。その代わり、全国民に何らかの奉仕的な活動が義務づけられる。

二つ目。第三世界の労働者の状況の劣悪さ(低賃金での酷使や児童労働など)をそれだけとりあげて問題にすることは一見人道主義的であるようにみえて保護主義にほかならないという。貧困状態から脱するためには、その低賃金こそが最大の武器なのだから。「搾取されることより悪いことはただ一つだけ―搾取されないこと」。