『エンドゲーム』(プレビュー公演)

さすがにチケットをとった時点では誰の戯曲か認識していたはずだが、観劇時点ではすっかり忘れていた。構造が『ゴドーを待ちながら』と似ているなと無邪気に感じた直感はドンピシャで、まさにサミュエル・ベケットの作品だった。
文明崩壊後のシェルターと思しき荒廃した一室が舞台。この家の主人であり、視力をなくし立つこともできないハムが車椅子でチェスのキングのように舞台中央に陣取っている。クロヴという男がハムの世話をしている。ハムと逆に彼は座ることができない。クロヴは横暴なハムを憎んでいるが、なぜかその命令に逆らうことができない。 その他の登場人物は2人いる。年老いた男女ナッグとネルだ。少なくともナッグはハムの実の父親で、ということはネルは母親なのだろう。彼らは両脚を失っていてゴミ箱の中で暮らしている。
ハムとクロヴはチェスの駒であると同時に、互いに対戦するプレイヤーでもある。ハムは何度も「俺の番か」というようなセリフを口にする。ただし、二人とももう勝てないことはわかっていて、負けを宣言する瞬間を先延ばしにしているのだ。クロヴはいつでもシェルターを出ていくことができるが、外には何もなく、出ていくことは彼自身の死を意味し、置き去りにされたハムも遠からず死ぬことになる。その終わりのときは彼らにとって救いでもあるが、恐怖の対象でもある。口でなんと言おうが、結局彼らはその瞬間を先延ばしにし続ける。舞台上では何も起きず、永遠の繰り返しを見ているように感じる。しかし、終わりのときは確実に迫っている。ハムが切望する痛み止めの在庫はついに底をつき、ネルはいつの間にか亡くなっている。
舞台を見ている間は、ポスト・アポカリプスの極端な思考実験のように思えて、正直退屈な時間もあったのだが、終わってからじわじわと、その普遍性が迫ってきた。人は誰でも老境を迎え、終わりを意識しながら、日々衰えていく肉体や精神とどうにか折り合いをつけて日々をやり過ごしていくことになる。そういう姿とこの戯曲の描く世界はぴったり重なりあう。
ハムはラストで、彼の顔を覆う血まみれのハンカチは残るだろうと言う。それは果てしなく絶望に近いが、他に何もない中では希望のように聞こえてしまう。
今回ぼくが見たのは本番公演を数日後に控えたプレビュー公演だったが、隙なく仕上がっていたと思う。役者はみなあて書きみたいに自然に演じていた。
作:サミュエル・ベケット(翻訳:岡室美奈子)、演出:小川絵梨子/新国立劇場小劇場/A席5500円/2026-05-16 19:00/★★★
出演:近江谷太朗、佐藤直子、田中英樹、中山求一郎