これだけ熱中したミステリーは久しぶりだ。殊能将之という人はおそらく7割から8割くらいの力で物語を綴っている。残りの力は物語の流れを冷静に制御するのに使われているように思われるのだ。だからこそこれだけ完成された世界が描けているのだろう。たまに本来の10割の力がかいま見えるところがあって、そこではなおさらううんとうならされる。 ...
小説を発表する前の初期に書かれた自伝的要素の入ったエッセイ。『孤独の発明』という統一したタイトルがつけられているが、収められている二編『見えない人間の肖像』、『記憶の書』は文章のトーンも違うし、別の作品と考えた方がいいと思う。 ...
遠くにあるものをながめるとなぜだかゆったりした気分になれるもので、19世紀末のイギリスのボート遊びの話は、遠すぎて見えないわけでもなく、ちょうどいいくらいの遠さなのだった。でも読んでいて感じたのは遠さより近さの方で、風物は異なれど何がgoodで何がbadなのかという感じ方は共通だなと思った。それは都市で生活するということの共通性なのかもしれない。 ...
村上春樹の『ハードボイルドワンダーランド』のように、二つの異なった世界が交互に綴られる。ひとつはカオルという女性がバリという勝手知らぬ土地で孤軍奮闘するリアルな世界。もうひとつは哲郎という男性の過去を振り返る、内省的で、いろいろな出来事の意味が神秘的にからまった世界。この二人は兄妹で、同じ一つの問題に直面している。哲郎が麻薬運搬の疑いでバリの警察に拘束され死刑判決の可能性があるのだ。 ...
半年前まで軍事・スパイ訓練の私塾にいた主人公は、とある事件で塾が解散に追い込まれたことから、今は渋谷で映写技師をしている。そんな主人公のバイオレンスな日常が日記形式で綴られる。そこに描き出されるのは、固有名詞などはぼくの勝手知ったる渋谷の街だが、さまざまな暴力に満ち溢れている。映画監督の青山真治など暴力をテーマの中心にすえる作品は最近多くて、そのどれにもどうも唐突過ぎる印象をもってしまうのだが、阿部和重の描く暴力にはなぜかリアリティを感じる。 ...
読み終わる直前まで「オーデュポン」だと思い込んでいた。その方が響きが自然だと思う。 やけになってコンビニ強盗を働いた「僕」は、逃走の果てになぜか見知らぬ島で朝をむかえる。そこは100年以上も本土と隔絶していて、言葉を話し未来を予見することのできるかかしや、何でも反対のことを話す画家や、自由に人を撃ち殺すことが認められている男がいたりする奇想天外な島だった……。 ...
このコーナーではじめてとりあげるコミック。このコーナーをはじめたのが2003年春で、それからまったくコミックを読んでいなかったということはもちろんないのだけれど、たとえば『20世紀少年』の第14巻を読むということは「読書」という行為とはちょっとちがうもののような気がしたのだった。それは「消費」といったほうがぴんとくるようなことで、読後に特に語りたいこともなかったのだ。 ...
読み終わった直後に、今自分が読んでいたのがどんな本だったか確認するため、もう一度最初のページからめくる必要があるような本だ。薄いし、その中では出来事らしい出来事は数えるほどしか起こらない。「カメラ」というのも後半の数ページに登場してすぐに捨てられてしまうだけなのだ。日常のささいな物事に象徴的な意味をもたせようとするところは、日本のいわゆる私小説に近いような気がする。 ...
日影丈吉という作家を知ったのは和田誠監督の『怖がる人々』というオムニバス映画の中の『吉備津の釜』という話が最初だ。よくできた話だなと思いつつも、日影丈吉の本を読もうとか、手にとろうとかいうことは特にしてこなかったのだが、10年近くたって、ふとした気まぐれから、文庫になった短編の選集を読むことにした。 ...
どこで読んだか忘れたけど、高い志をもちながらばかげたことをしてしまうという文学の系譜があるらしく、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などが含まれるそうだ。この作品も間違いなくそこに連なる作品で、多分この系譜の元祖のひとつであるセルバンテスの『ドン・キホーテ』が主人公の行動を方向付けする上で大きな役割を果たしているのは系譜を意識してのことかもしれない。 ...
4冊目のタブッキ。構成としては『インド夜想曲』によく似ていて、ロードムービーのようにいろいろな場所を訪ね歩き、さまざまな人に出会うというもの。『インド夜想曲』ではインドが舞台だったが、今回はポルトガルの首都リスボン周辺だ。タブッキ自身はイタリア人でイタリア語で作品を発表している作家だが、この作品に限ってはポルトガル語で書かれている(邦訳はそれをイタリア語に訳したものをベースにしているので複雑だ)。 ...
これまた長い間積読になっていた本。一度機会を逃すとどんなに読みやすい本でも読めなくなってしまう。 「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい。」というピタゴラスの定理が献辞の代わりに書かれている。主人公が浴室にひきこもったまま外に出なくなる話かと思っていたが、やけにあっさりと、冒頭から11段落目(すべての段落に番号がふってあるので数える必要はない)で外に出てしまうのだ。でもそれは何の解決でもなく、というよりそもそも何が問題か本人さえわからない。 ...
日本語の「郊外」から想い起こされるイメージには二つあって、ひとつは田園と住宅が混じりあったような風景、もうひとつはこの本の中に出てくるサンドラールという詩人の言葉を借りれば「貧しさであり、投機本位の開発で出現した、箱をつみかさねただけの息づまる集合住宅であり、世界の終わりを思わせる陰鬱でじめじめした敷石の砂漠であり、劣悪な労働条件のもとで人々の身体と時間を拘束する工場」のイメージだ。この本でいうところの「郊外」は後者のイメージに負っている。 ...
ちょっとどころではなく、教育委員会の禁書リストに入りそうな、かなり「エロい」小説。時間をとめる能力を持つ男。彼はもっぱらその能力を(読者の期待を裏切らず)女性の服を脱がすことに使う。 ...
これまた積読解消の一環。 レイ・ブラッドベリといえば『華氏451度』と『火星年代記』。というよりそれ以外の作品はほとんど読んだことなかったのだが、SFという枠にとどまらず多種多様な作品を書くことのできる人だと再確認。 ...
世界は謎に満ちている。でもぼくたちはそれらの謎にみじんも気がつかずに日々を過ごしている。そのこと自体に大きな謎が含まれているというのに。 ...
積読解消月間といいながら、積読しているはずの本が見当たらず、結局買いなおすことが続いていたが、これはほんとうに積読解消だ。いまさらながら宮部みゆきは長編にかぎらず短編も面白く、なぜ積読になってしまったか全然わからない。 ...
ソローは自分の属する社会が仮想現実=マトリックスにすぎないということに気がついてしまったのだ。ほとんどの人はその現実がすべてだと思い込んで、「静かな絶望の生活」を送っているけど、実はほんとうの世界はどこかほかのところにあるのではないか。ソローはそれを確かめるために、ウォールデン湖のほとり、森の中に移り住んだ(人里離れたところではなく村のすぐそばではあったのだが)。そこでの生活や美しくおおらかな自然とのふれあいが理系的な描写でつづられる。池澤夏樹もそうだが理系出身の人の描写はどこか透明感があって好きだ。 ...
積読解消月間。 『タイムクエイク』は現在のところカート・ヴォネガットの最後の小説で、本人が作中で公言するところによればそのまま最後の小説になるであろうといわれている。 ...
檸檬 散歩者の散歩者による散歩者のための小説だ。 八百屋の店先でふと見つけたみずみずしい檸檬。それが不吉な塊をはねのけ幸福感をもたらしてくれる。ぼくもまた檸檬をさがして街々をさまよっているのかもしれない。機会があればそれを使って街じゅうまるごと吹き飛ばしてしまおうとねらっている。そう、散歩者はまたテロリストでもあるのだ。 ...