ジェローム・K・ジェローム(丸谷才一訳)『ボートの三人男』

遠くにあるものをながめるとなぜだかゆったりした気分になれるもので、19世紀末のイギリスのボート遊びの話は、遠すぎて見えないわけでもなく、ちょうどいいくらいの遠さなのだった。でも読んでいて感じたのは遠さより近さの方で、風物は異なれど何がgoodで何がbadなのかという感じ方は共通だ...

池澤夏樹『花を運ぶ妹』

村上春樹の『ハードボイルドワンダーランド』のように、二つの異なった世界が交互に綴られる。ひとつはカオルという女性がバリという勝手知らぬ土地で孤軍奮闘するリアルな世界。もうひとつは哲郎という男性の過去を振り返る、内省的で、いろいろな出来事の意味が神秘的にからまった世界。この二人は兄...

阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

半年前まで軍事・スパイ訓練の私塾にいた主人公は、とある事件で塾が解散に追い込まれたことから、今は渋谷で映写技師をしている。そんな主人公のバイオレンスな日常が日記形式で綴られる。そこに描き出されるのは、固有名詞などはぼくの勝手知ったる渋谷の街だが、さまざまな暴力に満ち溢れている。映...

伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』

読み終わる直前まで「オーデュポン」だと思い込んでいた。その方が響きが自然だと思う。 やけになってコンビニ強盗を働いた「僕」は、逃走の果てになぜか見知らぬ島で朝をむかえる。そこは100年以上も本土と隔絶していて、言葉を話し未来を予見することのできるかかしや、何でも反対のことを話す画家...

高野文子『黄色い本―ジャック・チボーという名の友人』

このコーナーではじめてとりあげるコミック。このコーナーをはじめたのが2003年春で、それからまったくコミックを読んでいなかったということはもちろんないのだけれど、たとえば『20世紀少年』の第14巻を読むということは「読書」という行為とはちょっとちがうもののような気がしたのだった。...

ジャン=フィリップ・トゥーサン(野崎歓訳)『カメラ』

読み終わった直後に、今自分が読んでいたのがどんな本だったか確認するため、もう一度最初のページからめくる必要があるような本だ。薄いし、その中では出来事らしい出来事は数えるほどしか起こらない。「カメラ」というのも後半の数ページに登場してすぐに捨てられてしまうだけなのだ。日常のささいな...

怪奇探偵小説名作選〈8〉日影丈吉集―かむなぎうた

日影丈吉という作家を知ったのは和田誠監督の『怖がる人々』というオムニバス映画の中の『吉備津の釜』という話が最初だ。よくできた話だなと思いつつも、日影丈吉の本を読もうとか、手にとろうとかいうことは特にしてこなかったのだが、10年近くたって、ふとした気まぐれから、文庫になった短編の選...

阿部和重『アメリカの夜』

どこで読んだか忘れたけど、高い志をもちながらばかげたことをしてしまうという文学の系譜があるらしく、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などが含まれるそうだ。この作品も間違いなくそこに連なる作品で、多分この系譜の元祖のひとつであるセルバンテスの『ドン・キホーテ』が主人公の...

アントニオ・タブッキ(鈴木昭裕訳)『レクイエム』

4冊目のタブッキ。構成としては『インド夜想曲』によく似ていて、ロードムービーのようにいろいろな場所を訪ね歩き、さまざまな人に出会うというもの。『インド夜想曲』ではインドが舞台だったが、今回はポルトガルの首都リスボン周辺だ。タブッキ自身はイタリア人でイタリア語で作品を発表している作...

ジャン=フィリップ・トゥーサン(野崎歓訳)『浴室』

これまた長い間積読になっていた本。一度機会を逃すとどんなに読みやすい本でも読めなくなってしまう。 「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい。」というピタゴラスの定理が献辞の代わりに書かれている。主人公が浴室にひきこもったまま外に出なくなる話かと思っていたが、やけにあっさ...

堀江敏幸『郊外へ』

日本語の「郊外」から想い起こされるイメージには二つあって、ひとつは田園と住宅が混じりあったような風景、もうひとつはこの本の中に出てくるサンドラールという詩人の言葉を借りれば「貧しさであり、投機本位の開発で出現した、箱をつみかさねただけの息づまる集合住宅であり、世界の終わりを思わせ...

ニコルソン・ベーカー(岸本佐知子訳)『フェルマータ』

ちょっとどころではなく、教育委員会の禁書リストに入りそうな、かなり「エロい」小説。時間をとめる能力を持つ男。彼はもっぱらその能力を(読者の期待を裏切らず)女性の服を脱がすことに使う。 といっても彼はそれで対象となった女性を傷つけようとは決してしない。節度をもって、むしろ、まるで映画...

レイ・ブラッドベリ(伊藤典夫訳)『二人がここにいる不思議』

これまた積読解消の一環。 レイ・ブラッドベリといえば『華氏451度』と『火星年代記』。というよりそれ以外の作品はほとんど読んだことなかったのだが、SFという枠にとどまらず多種多様な作品を書くことのできる人だと再確認。 24編からなる短編集。気に入った作品を3つあげると、『ローレル・ア...

野矢茂樹『哲学の謎』

世界は謎に満ちている。でもぼくたちはそれらの謎にみじんも気がつかずに日々を過ごしている。そのこと自体に大きな謎が含まれているというのに。 二人の人物の対話形式で進行していき特に難しい言葉も使われていないので、すらすら読めてしまう。意識の外に実在の世界は果たしてあるのか?世界は今から...

宮部みゆき『人質カノン』

積読解消月間といいながら、積読しているはずの本が見当たらず、結局買いなおすことが続いていたが、これはほんとうに積読解消だ。いまさらながら宮部みゆきは長編にかぎらず短編も面白く、なぜ積読になってしまったか全然わからない。 短編を読んでいて感じるのは、月並な言葉でいうと登場人物に対する...

H.D.ソロー(飯田実訳)『森の生活』

ソローは自分の属する社会が仮想現実=マトリックスにすぎないということに気がついてしまったのだ。ほとんどの人はその現実がすべてだと思い込んで、「静かな絶望の生活」を送っているけど、実はほんとうの世界はどこかほかのところにあるのではないか。ソローはそれを確かめるために、ウォールデン湖...

カート・ヴォネガット(浅倉久志訳)『タイムクエイク』

積読解消月間。 『タイムクエイク』は現在のところカート・ヴォネガットの最後の小説で、本人が作中で公言するところによればそのまま最後の小説になるであろうといわれている。 小説と書いたがこの作品が文字通り小説といえるかどうかは難しいところで、時間の急激な逆行と、それからもとの時間にもどる...

梶井基次郎『檸檬』

檸檬 散歩者の散歩者による散歩者のための小説だ。 八百屋の店先でふと見つけたみずみずしい檸檬。それが不吉な塊をはねのけ幸福感をもたらしてくれる。ぼくもまた檸檬をさがして街々をさまよっているのかもしれない。機会があればそれを使って街じゅうまるごと吹き飛ばしてしまおうとねらっている。そう...

イタロ・カルヴィーノ(脇功訳)『冬の夜ひとりの旅人が』

十年近く間をあけての再読だ。 あなたは今イタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。さあ、くつろいで。精神を集中して。 という一節からはじまる不思議な小説。この本では読書という行為そのものが、物語のテーマになっている。この物語で「あなた」と呼びか...

保坂和志『猫に時間の流れる』

保坂和志の小説には必ずといっていいほど猫が登場するが、これは猫に主軸をおいた作品。くろしろという嫌われ者のボス猫と主人公の関わりというか、すれ違う様を描いている。猫を擬人化したり逆に機械的なものとしてみるのではなく、猫には猫の人間にはわかりえない内的世界があるという描き方がとても...