坪内祐三『靖国』

大戦中は戦争遂行の精神的支柱として使われ、いまや左右のイデオロギー対立の場と化している靖国神社だけど、明治二年の創建からしばらくの間は、そういう国粋的なものとは別の開放的な空気が流れていたことを文学作品や、その他の貴重な資料をベースに解き明かしてゆく。 ...

竹田青嗣『現象学入門』

入門と銘打っておきながらちっともわかりやすくない本はごまんとあるが、本書はそんなことはなく、少なくともわかった気にはさせてくれる本だ。 ...

ポール・オースター(柴田元幸、畔柳和代訳)『空腹の技法』

ポール・オースターの初期のエッセイを中心に編まれたアンソロジー。原書は出版社が変わったり版を重ねるごとに内容が追加されているらしい。本書も文庫化にあたって、3編追加されている。 ...

阿部和重『ニッポニアニッポン』

ニッポニアニッポンというのは絶滅が危惧される鳥トキの学名。そのトキを名前の一部に持つ17歳の少年鴇谷春生は、トキを鬱屈した思いをぶつける対象にして、パラノイア的な妄想を拡大させていき、ついには佐渡にあるトキ保護センターの襲撃を思いつく。 ...

杉田昭栄『カラス なぜ遊ぶ』

「ショックなこともあるけど、カラスをきらいになれない」というのがぼくがカラスに抱いている率直な気持ちだ。そんなカラスの行動の謎を脳と身体の研究成果から解き明かす本。 ...

若桑みどり『絵画を読む~イコノロジー入門』

バロック期の写実的な絵画が好きでよく観にいったりするのだけど、見えるものをそのまま描いたものはほとんどなくて、ひとつひとつの図像に意味が隠されているという話をきいて興味をもった。この本を手に取った理由はそういうところにある。 ...

小泉義之『ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』

はるか昔に買って挫折していた本。挫折した理由は、読んでいて知の欺瞞騒動が頭にちらついてしまったからだ。現代の哲学者たちは自然科学の難解なジャーゴンを振り回すけど、その自然科学への理解は誤っていることが多いことが明らかになった事件で、本書にもその手のジャーゴンがちらばっているようにみえた。それで、難解な部分を、ここはがんばって理解すべきなのか、すっとばすべきなのか判断できなくなってしまったのだ。 今回読んでもそのあたりは一緒だ。ただ、最後まで読み通して、ジャーゴンをとりのぞいたドゥルーズの思想そのものはすごそうだという片鱗はかいま見えた。 ...

柄谷行人『探求 I』

「他者」とはなんだろう。柄谷はそれを同じ「言語ゲーム」(ウィトゲンシュタイン)に属しておらず、「教える-学ぶ」という態度で臨まなければならない相手だといい、そこには「命がけの飛躍」が必要なのだという。 ...

高橋源一郎『ゴーストバスターズ-冒険小説-』

このところ新書ばかり読んでいたので久しぶりの小説だ。その中でも高橋源一郎を読んだのはほとんど前史といっていいくらい昔のことだ。本の題名も内容も忘れてしまったが、さまざまなパロディーや、ストーリーの流れの故意の破綻など、小説はここまで自由に書けるんだという驚きを感じたと思う。ただ、その自由さについていけなかった。 ...

小林頼子『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』

とにかくフェルメールの絵はすごい。だが、そのすごさを難解な言語で表現しようとする批評家たちに筆者はノーととなえる。そんな現代の主観的な視点から語るのではなく、17世紀オランダという時代・場所でフェルメールがどのような意図で作品を描いたかを実証的に解き明かすことが、彼の作品を理解するということではないかという。 ...

柄谷行人『倫理21』

この本もまた責任に関する本だ。最近もあったが、少年犯罪が起きると決まってその親の責任が問われる。これは欧米にもアジアにもみられない日本独特の現象らしい。その責任は「世間」に対するもので、この「世間」をおそれて日本では親も子も互いに拘束されながら生きざるを得ない。親子関係以外でも、日本では、人々の間には友情もなく、無関心で、ただ何となく同調しあいながら暮らしているだけなのだ。 ...

加藤典洋『日本の無思想』

ぼくは日本人としてはかなり異端に属すと思っているが、それでもしっかりホンネとタテマエを使い分けて生きていて、よく、タテマエに従うふりはするけどホンネは守るぞというような考え方をしてしまうことがある。筆者は、実はタテマエとホンネどちらも入れ替え可能で、「どっちでもいい」という、思想を成り立たせないようなニヒリズムをささえているという。本書では、それはなぜかという疑問をなげかけるところからはじまって、近代において失われている公共性を立て直すにはどうすればいいかというところに話はもっていかれる。 ...

平田オリザ『演技と演出』

よくみにいく劇団「青年団」の主宰である平田オリザ氏の演技・演出論。直前に読んだ本がウィトゲンシュタインに関する本だったので、本書の中の演劇論的な部分を読んでいると、ウィトゲンシュタインが「言語ゲーム」について語っていたことと共通することが多いことに気がつく。 ...

鬼海彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』

哲学することと哲学の研究をすることは方法論としてかなりちがうことで、後者には文献学のこつこつとした実証的な作業が必要なのだと思う。本書は、難解で警句のような短い文体で知られるウィトゲンシュタインについて、その遺稿すべてを書かれた時期ごとに分析することにより、彼がいわんとしたことを解き明かしている。 ...

仲正昌樹『「みんな」のバカ! 無責任になる構造』

タイトルは、実は『「みんな」の壁』にしようとしたのではないかと勘ぐりたくなる。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」の「みんな」とは誰のことなのだろう。というところからはじまって、「みんな」がだんだんバカになってゆく大衆社会の構造、「みんなの責任」という名前の無責任の体系ということに話がひろがってゆき、最後は「みんな」という言葉が使われるときはもう「みんな」という存在はどこにもいなくなっているのだということで、終わる。 ...

石川文康『カント入門』

哲学系の本を読んでいると、たとえ名前は明に語られなくても常にちらつく人影。それがカントだ。一度ちゃんと読まなくてはと思って、手に取ったのが、カントの著作ではなく、入門書だというのは我ながらかなりへたれだと思う。 ...

三浦俊彦『可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える』

様相論理というのは、古典的な述語論理に加えて、「可能」とか「必然」という様相をあつかえる体系なのだけど、そこでは「可能世界」という概念が前提とされている。つまり、ぼくらが存在しているこの世界以外に、無数のそうもありうるような世界が存在しているとするのだ。その概念を使えば、「可能」というのはそれらの可能世界のうち少なくともひとつの世界で成り立つことで、「必然」というのはすべての可能世界で成り立っていることだと定義できる。 ...

内田樹『寝ながら学べる構造主義』

タイトル通り寝ながら学べるかどうか試してみたら、ほんとうにできた。とてもわかりやすく書かれた本だ。ここはひっかかりそうだなというところでは、必ずわかりやすく言い換えてくれるので、怯えることなくすらすら読めてしまう。 ...

竹内薫『超ひも理論とは何か 究極の理論が描く物質・重力・宇宙』

近代以前は万物の源泉を探求するのは哲学の仕事だったけど、今ではそれは自然科学に委ねられている。晦渋な形而上の言葉に代わるのはそれ以上に難解な数式だ。その数式をできる限り使わずにイメージだけでも理解してもらおうというのが本書の目的になっている。 ...

姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ 近代文化批判』

近代西欧社会に登場した規律=訓練型の権力は「知」すなわち学問、文化と結びつくことによって大きな力を発揮した。西欧がオリエントを植民地として内部に組み込んでいく中で、観る側(=西欧)、観られる側(=オリエント)という非対称で差別的な視線から「オリエンタリズム」という支配する知としての言説が生まれてきた。第一章、第二章では、ウェーバー、フーコー、サイードの議論を援用しながらオリエンタリズムの正体を解き明かしてゆく。 ...