柄谷行人『探求 I』

探究〈1〉

「他者」とはなんだろう。柄谷はそれを同じ「言語ゲーム」(ウィトゲンシュタイン)に属しておらず、「教える-学ぶ」という態度で臨まなければならない相手だといい、そこには「命がけの飛躍」が必要なのだという。

最初ちょっと難解に感じたが、同じテーマが何度も何度も波のように繰り返されるので、読み進めるうちに理解できてくる。言語に関してだけではなく、経済でも「他者」は存在していて、「売る-買う」という関係にもやはり「命がけの飛躍」が必要だ。人々はそれをさけるために貨幣を貯蔵する。ただ、キルケゴールの「キリスト」を他者としてみる話はぴんとこなかった。

現代哲学は相対主義を克服するのに神秘主義を採用してしまう傾向があるように思っていたけど、本書では、神秘主義を排して他者に向き合う実践という道が示される。とりあえずこの立場が、これから先いろいろものを考えていくにあたっての定点かなと思った。もっといえば、生きるということは「命がけの飛躍」の積み重ねなのだ。ただ、それを実践するということになると、「命がけの飛躍」の前でぼくは躊躇して、こんなふうに他者に対してひとりごとをいい続けてしまう。

★★★★