木島泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史』ebook

自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ)

まずは目次から。

  • はじめに
  • 第一章 自然に目的はあるのか——西洋における目的論的自然観の盛衰と決定論
  • 第二章 決定論と運命論——ストア派・スピノザ・九鬼周造
  • 第三章 近代以前の自由意志論争とその影響——ホッブズとデカルト
  • 第四章 目的論的自然観は生きのびる——ライプニッツとニュートン
  • 第五章 ダーウィンによる目的論の自然化
  • 第六章 自然化された運命論——現代の決定論的思想の検討
  • 第七章 運命論のこれから
  • 第八章 自然主義のこれから

本書のテーマは「決定論」。すべての出来事はあらかじめ定まっていて変えられないという考え方だ。哲学史上の主要なテーマのひとつで本書のかなりの部分はその軌跡をたどることに費やされる。その中で最大のトピックは「決定論」と「運命論」の違いだろう。これまで「決定論」として語られてきたことの中に相当程度「運命論」が含まれている。実際多くの議論がその混乱の上になされていて驚いた。本書の主眼のひとつは、「決定論」から「運命論」をきちんと分離することだったりする。

この混乱を原因を含めて正しく指摘したのはスピノザだった。人間は、自分たちが何かの目的のために活動しているから、自然物や神も何らかの目的の下に活動していると錯覚している、という指摘が本質的すぎてつけたすことはないような気もするが、年代的には最近のライプニッツとニュートンはその指摘がないかのように「運命論」にしがみつき続けたのは、「運命論」そしてその運命の導き手としての神のしぶとさを示しているとも言える。

本書で、スピノザのほかにもうひとり立役者を選ぶとするとダーウィンだ。彼の提唱した進化論と自然選択という概念によって、生物の活動に特徴的な「目的」を神によらず自然によって説明できるようになったのだ。

一見これで「運命論」は除去できたかに思えるが、今度は脳という強敵があらわれてというような後日談的なことが第六章以降で語られる。

本書の中で何度も繰り返されているように、「運命論」が除外できてしまえば「決定論」そのものは恐れるべきものではない。思うに、たとえすべての出来事があらかじめ定まっていて変えられないとしても、それを知ることは計算量という観点からも実質的というより原理的に不可能だ。確実に未来を知る最速の方法は時がくるのを待つことなのだ。この状況は、実際そのときが来てみなければわからないと言ってしまってよいのではないだろうか。

電子書籍版で読んだのだが、ひとつだけ小さな苦情をいわせてもらうと、注にリンクがついてなくて、参照がたいへんだった。単なる文献紹介だったらいいけど、本書の場合は重要な補足が含まれるのでリンクをつけてほしかった。

★★★