坪内祐三『靖国』

靖国 (新潮文庫)

大戦中は戦争遂行の精神的支柱として使われ、いまや左右のイデオロギー対立の場と化している靖国神社だけど、明治二年の創建からしばらくの間は、そういう国粋的なものとは別の開放的な空気が流れていたことを文学作品や、その他の貴重な資料をベースに解き明かしてゆく。

そのころ、靖国神社の境内ではサーカス、競馬、相撲などさまざまな催し物が開かれていたし、近くには勧工場(デパートの前身)や最先端の設備を備えたアパートがあるようなモダンな場所だったそうだ。

読んでいて、その空気を呼び戻したいという筆者の願いのようなものを感じた。だが、イデオロギー的なものから離れようとすることはそれ自身イデオロギー的な行動だ。筆者の立場も決してイデオロギーと無縁ではない。今や靖国とイデオロギーを切り離すのは、果てしなく困難だ。靖国は、あの戦争をきちんと総括できなかったことの象徴のような場所になっている。

散歩好きのぼくは、今、あの場所から開放的な空気が失われてしまったことがただただ残念でならない。

★★