映画、音楽、文学、そして最近は演劇分野など多方面でエッジの立った批評活動をしている佐々木敦さんが書いた、ちょっと不思議な「自己啓発」本。筆者自身が体現している、結果をおそれずに積極的に様々な未知なものに遭遇する生き方をオルグしている。ただその説得の仕方がとてもユニークで、著者も認めているように誰が啓発の対象なのかがとても謎なのだ。だから、ここに感想を書くこともとても難しい。 ...
作者の半生をなぞったかのような自伝的小説。帯には半自伝的と書いてあったけど、自伝的成分は4分の3くらいはあるんじゃないか。 ...
小澤征爾はまぎれもない音楽のプロフェッショナルで、その語るエピソードは、有名な指揮者や演奏家に関するものにせよ、音楽のなりたちに関するものにせよ、興味深いものばかりだった。驚くのは、少なくとも音楽の演奏に関してはずぶの素人であるはずの村上春樹が、小澤征爾の話の先回りをしたり、小澤征爾自身が気づいてないようなことに気づかせたりしていたことだ。彼は、音楽を聴くことに関してもほとんどプロフェッショナルといってもいいかもしれない。そして、その音楽を聴くことに関する高い能力が、創作とも関係しているのはまちがいのないところだ。 ...
山野浩一の傑作短編集二編。『鳥はいまどこを飛ぶか』のほうをジャケ買いして、日本にこんな独自の世界を築き上げた小説家がいるのかと驚き、読み終わらないうちに『殺人者の空』を入手した。 ...
きっかけは、架空の人物のフルネームがタイトルになっている文学作品をさがそうと思ったことだった。古今東西の小説家をひとりひとり思い浮かべるうちに、バルザックなら絶対にフルネームタイトル作品があるはずだと思って、調べてみたら、予想通り。でも、ちょっと待て。いままで、そのバルザックの作品をまったく読んだことがない。ここは、どれか一冊読んでみるべきなんじゃないか。いきなり長編というのも骨が折れるので、短編集、ということで本書を手に取ったわけだ。 ...
ニッチでマイナーな食べ物だった戦前の「南京そば」、「支那そば」がいかに国民食ともいわれるようになってきたかを、戦後日本の歴史と共にたどっていく。ラーメンそのものではなく、ラーメンと日本社会のかかわりに重点を置いた本だ。 ...
これまでイーガンを読み継いできた読者からすると、決してあたらしいアイディアが書かれているわけではない。高速なコンピュータ上で進化をシミュレートして生み出される知的存在。脳をクローンに移植して得られる永遠の生命と、自分とは何かという問。異なる数学的原理に支配される、隣接する二つの世界。ソフトウェア化した人間を亜光速のナノマシンにのせて宇宙の彼方やブラックホールの中に送り出せるようになったはるか未来の物語。などなど。アイディアの目新しさではなく、じっくりとそのテーマに取り組んだ、思考のあとがうかがえる作品が多く、物語としておもしろい。 ...
ヘミングウェイというとマッチョなイメージが強いけど、初期に書かれたこの短編集に収められた作品、中でも自伝的な色彩の強いものを読むと、内省的な文学青年としての側面を強く感じる。この短編集でも、戦争、闘牛、ボクシングなど血なまぐさいテーマの作品が多いけど、むしろそういう弱々しいところを克服するために、従軍したり、男性性を誇示するようなポーズをとり続けたような気がしてくる。そういう意味では、日本でいうと三島由紀夫と似ているといっていいのだろうか。少なくとも、最後自殺したところは同じだ。 ...
絶版になった新潮文庫版を探しまわってどうにかブックオフでみつけたが、河出文庫版が出ていたのだった。まあ、安く入手できたからよしとしよう。 ...
『サーチエンジン・システムクラッシュ』で池袋の街の迷宮的な魅力を描いた著者が、今回舞台にするのはちょうど10年前、2001年の西新宿だ。まだ税務署通りの拡幅工事がはじまってなかったころだ。当時まだたくさん残っていた中古レコード屋の中の一軒を舞台に、自分が歌舞伎町で起きた放火事件の犯人ではないかとおびえる店主、早朝に店の場所をたずねる電話をかけてきた謎の女、「火をつけろ」とつぶやく初老の男、スーパーで買い物カゴの中身をのぞいて献立をあてる男。それぞれの事情で町を行き来する、彼らの前にやがて9月11日がやってくる……。この作品でも主役は町だった。西と東で画然とわけられている新宿の町が、まるでその場にいるように感じられた。『サーチエンジン・システムクラッシュ』を読んで池袋の魅力を再発見したように、本書で新宿が一層好きになったのだった。 もう一編は『返却』という、八王子の図書館に31年間返さなかった本を返しにいく話。主人公の名前は町村で、『サーチエンジン・システムクラッシュ』の主人公とおそらく同じ男だ。前回と同様、よみがえる過去の記憶に翻弄されながら、その目的は脱臼を繰り返して、なかなか果たされることがない。 ...
物語る行為というのは、闇の中で自分がいる位置を見いだすための光なのかもしれない、ちょうど灯台がそうであるように。 ...
現代が、ビッグ・ブラザーが壊死し、誰もが否応なく(小さな)父として機能してしまうリトル・ピープルの時代であるという立場から、村上春樹論でその想像力の限界を指摘して、子供向け番組ながらその限界をやすやすと乗り越えたシリーズと平成版仮面ライダーを紹介する。 ...
英国風のシニカルでナンセンスなユーモアとSFが結合した面白さに心ときめいた『銀河ヒッチハイクガイド』三部作も、第四作、第五作と、はじけたところがなくなり気が滅入るような感じになってきて、そのまま作者のダグラス・アダムスが若くして亡くなってしまったから、新作が出るなんて、まったく予想もしていなかった。本屋でこの邦訳を見かけたときも、一瞬何かの見間違いかと思った。あに図らんや、確かにそれは公式に認められた新作だったのだ。 ...
たぶん、『ダブリン市民』とか『ダブリンの人々』というタイトルだったら、手に取ってなかっただろう。『ダブリナーズ』の語感にひかれて読もうと思ったのだ。 ...
平易な(ときによって必要な程度に入りくんだ)言葉を読んでいるうちに、いつの間にか哲学的な思考の深みへと連れて行ってくれる本。得てして、そういう深みは、神秘のヴェールに隠されて結局よくわからないままだったり、抽象的すぎて不毛だったりするものだが、本書では、たくみなバランス感覚とでもいおうか、うんそこだよな、という場所に連れて行ってもらえるのだ。 ...
カズオ・イシグロは、望みや使命を果たすことができず何らかの悔恨、失意とともに生きるようになった人を一貫して描いているような気がする。この作品でも、長じて探偵として活躍するようになった主人公が、満を持して生まれ故郷の上海に戻り、少年時代に相次いで失踪した両親の行方を追跡するが、日中戦争開戦の混乱や彼の属するイギリス人社会にはびこる無気力のせいもあって、なかなか成果をあげられない。あきらめかけた頃、真相は意外なところからやってきた……。 ...
著者は脳科学者でも心理学者でもなく、ロボット、コンピュータに明るい工学畑の人。明晰でわかりやすい文章ですらすら読むことができた。 ...
SF映画など虚構の世界では、自明なことみたいに描かれているけど、タイムトラベルというのが具体的にどういう現象をさしているのか考えれば考えるほどわからなくなる。何が移動するのか?移動してたどりついた世界は移動する前の世界とどういう関係なのか?つまり、タイムトラベルは可能か、という疑問ではなく、タイムトラベルとは何か、という疑問だ。本書はそれにこたえようとしている。 ...
のそのそした動きと危機を察知すると丸くなってしまう臆病さが他人と思えなくて、ダンゴムシは(どこが肩かわからないが)つい肩を持ちたくなる存在だ。そのダンゴムシに心があると聞いては、読まずにいられない。オカルトでもトンデモでもなく、自然科学の立場から書かれた本だ。 ...