好きな登場人物は当然騎士団長です。 これほど集中して本を読んだのはほんとうに久しぶり。まさに読みふけるという感じだった。『1Q84』は、スタイルとしても内容としても村上春樹らしくない作品で一応堪能としたとはいえ、これじゃない感がぬぐえなかったが、今回は決して新しさはないものの村上春樹作品の王道をいく展開。一人称の男性主人公、親しい人との別離、怪異との遭遇、通過儀礼としての冥界めぐり。これまでの作品からの焼き直しといわれればそれまでだけど、はまるところにはまった感じがしたのだった。はまりすぎだろうと突っ込みたくなることはあったが。 ...
今やディストピア小説の古典のひとつといっていい作品。ディストピアマニアとしては読んでおかなくてはいけない。 「侍女」という言葉の重々しさから、読む前は今の文明と隔絶した遙か未来か過去、あるいは別の惑星の物語のような気がしていたが、なんと原書が出版された1985年からみると近未来、今はもう過去の2000年前後の時代設定だった。舞台はアメリカ。極端な不妊、少子化を背景に、極右勢力が大統領を暗殺してクーデターを起こし、人種差別、女性差別的な身分制社会を作りあげる。トランプ政権が誕生した今からみると予言的なものを感じてしまう。同じディストピア小説の中で『1984』と比べても圧倒的なリアルな状況設定だ。 ...
横浜駅は「完成しない」のではなく「絶え間ない生成と分解を続ける定常状態こそが横浜駅の完成形であり、つまり横浜駅はひとつの生命体である」と何度言ったら — 柞刈湯葉(いすかり・ゆば) (@yubais) January 4, 2015 元はといえばすべてはこのツイートを皮切りに連ツイされた物語の断片からすべてははじまった(ぼくもちゃんと2日あとに見つけていた)。やがてネットで連載され、賞をとり、書籍化されたのがこの本だ。ぼくはネットの連載(今でも読める)はスルーしてしまったが、書籍化の際に大幅に加筆されているそうだ。 ...
夜と霧の隅でからさらに遡っておそらくこの本が一番最初に読んだ「大人の本」だったと思う。 1958年11月から1959年4月まで半年近く、筆者が船医として水産庁の漁業調査船に乗り込んだ航海の記録。60年近く前の航海日誌読んで意味があるのかなんて考えもしたが(それをいうなら初めて読んだときもかなりの年月が経過していた)、あとがきに「大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりないが書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした」とあるからだろうか。まったく古さは感じなかった。 ...
マーク・トウェインといえばトム・ソーヤーハックルベリー・フィンといってしまうのは素人。SF、歴史物、そして晩年は幻想的で奇妙な味わいの作品も書いている。柴田元幸さん編訳ということでさぞかしマニアックなチョイスをしているんだろうと思ったが、短いほら話というような作品がメインで驚いた。いや、収録されている『物語の語り方』という一種の文学論でトウェイン自らがいうように彼は内容よりも語り口を重視した作家なのだ。確かに彼一流のユーモア溢れる語り口を堪能できるチョイスだった。 ...
タイトルにひかれて読んでみた。1950年、ヴァンスのキャリアの最初期に書かれた作品だ。タイトルはSFみたいだがむしろ魔法が活躍するファンタジーだった。 ...
子供の本から大人の本への移行期に読んだ本を何十年かぶりで再読してみた。『ドクトルマンボウ航海記』が気にいって小説に手を出したのだが、あの頃の自分にどれだけわかったか疑問だ。 ...
夏目漱石の代表作のひとつなのにその存在を忘れていた。朝夢現のときにテレビで内容を紹介していて読もうと思ったのだった。 漱石が教師を辞めて朝日新聞社に入社し作家専業になって書いた最初の作品だ。漢文がベースの流麗な表現がちりばめられていて美しさを感じるものの、現代人(ぼくのことだ)にとっては意味のとりづらい箇所があったりした。 ...
イザベラ・バードは1831年イングランド生まれの女性冒険家。世界各地を旅行しいくつか旅行記を残しているが、その中のひとつがこの日本を訪れて書かれたものだ。まだ維新から10年後の1878年、元号でいうと明治11年だ。5月21日に船で横浜に上陸してから12月24日に同じく横浜から上船するまでおよそ7ヶ月間日本に滞在したことになる。 ...
今年の春くらいに書店のイベントで見つけて興味をひかれたが、機会を逸してこのまま読まないで終わりそうなところに作者の訃報。次に読む本に昇格した。 ...
久しぶりに読む紙の本にして、『黒い時計の旅』以来2冊目のスティーヴ・エリクソン。 (ストレートには意味をとりにくい)詩的な表現が全編にあふれていて、小説というより壮大な叙事詩を読んでいるような気になってくる。テーマはずばりアメリカ(という理想)だ。ロサンゼルス郊外で暮らすある家族(元小説家で失業中のザン、落ち目の写真家ヴィヴ、彼らの実子パーカー、エチオピアから迎えた養女シバ)のファミリーストーリーに、2008年のオバマ大統領の当選、1968年のロバート・ケネディの大統領選挙中の暗殺、デイヴィッド・ボウイがベルリンで音楽活動を行った1970年代末から1989年の壁崩壊、など内外の歴史的なイベントがかぶさってくる。前面には出てこないがリーマンショックも主人公家族の破産、自宅の喪失という形で片鱗をみせる。 ...
人工授精が一般化しセックスによる生殖が行われなくなった並行世界の日本が舞台。夫婦は人工授精で生まれた子供を育てるための姉弟や兄妹のような関係で、夫婦間でセックスをすることは「近親相姦」と呼ばれてタブーとなり、それぞれ別に恋人(リアルの人間の場合もあればフィクションのキャラクターである場合もある)をもつことがふつうになる。そんななか生身のセックスをする人たちはどんどん減ってゆく。 ...
モンティパイソンみたいなナンセンスでシュールなユーモア。本国アメリカではそれほど売れなくてイギリスでベストセラーになったのもうなずける。このユーモアに最初にやにやしながら読んでいたのだが、いや実はこれはユーモアじゃなくて(小説の中の)事実に即しておきたことをそのままのカフカ的な不条理な状況を描いていることに気がつかされ、背筋が冷たくなってくる。 ...
コンビニのスイーツみたいにぺろりと読んでしまったが、けっこう個人的に身につまされる作品だった。 幼い頃から周囲の人間たちが理解できず溶け込むことができなかった主人公古倉恵子は、大学生の時にコンビニ店員という職業と巡り会い、30代後半になっても就職も結婚も恋愛もせずずっとアルバイトでコンビニ店員としての生活を続けている。人間として当たり前とされている自己実現の欲望や恋愛欲、性欲というものが皆無の恵子であったが、コンビニのマニュアルや目的意識は完全にフィットしたのだ。コンビニ店員はまさに天職だった。ところが、そんな彼女に対する風あたりがこのところ強くなりつつあった。恵子はたまたまの機会をとらえある変化を試してみることにする……。 ...
はじめてのソローキン。まったく予備知識なしに読み始めた。 冒頭、シベリアの奥地で7ヶ月間の極秘任務についた生命文学者ボリス・グローゲルが年下の同性愛の恋人に送る書簡という形で物語は進められる。任務は青脂という温度とエントロピーが不変の物質の製造だ。そのためにロシア文学の文豪のクローン(といっても姿形はまったく異なりグロテスクに変形させられている)に作品を執筆させる。青脂はその副産物として得られるのだ。ドストエフスキー、チェーホフ、トルストイ、ナボコフ……。ボリスの中国語やスラングで溢れた(巻末に註はあるものの半分くらい意味不明な)手紙で綴られる施設内のただれた人間関係の中に文豪たちの作品が入り込んでくる。この作品たちはもとの文豪の作品のエッセンスを感じさせながら、その姿形同様ねじれていて、ずっとそういう形で物語は進んでいくものだと思っていた。ところが、ところが……。 ...
タイトルをみて、そういえばピケティブームあっという間に過ぎさってしまったな、という感慨に打たれたが、『21世紀の資本』の邦訳出版が2014年末で、もうそれからそれなりに年月が経過しているのだった。時の流れが速すぎる。 ...
舞台となっているのはほぼ現代だが、半年後に直径6.5kmの小惑星が地球に衝突し人類の半分以上が即死し文明の消滅が確定しているという設定。秩序はかろうじて保たれているが、自殺したり、離職して死ぬまでにしておきたいことリストを実現しにいく人が続出して、衝突前から文明は崩壊しはじめている。 ...
SR, AI, アンドロイド、3Dプリンター等今ホットなな科学技術の第一人者に取材した科学ルポの形をとりつつ、幼い頃は自分をロボットだと思っていたという筆者の「人間と機械の境界はどこか」という疑問を解き明かそうとした本。インタビューの合間に著者の独白がはさまる構成が斬新だ。 ...
異形で独自の生態と文化を持った知的生物が科学技術で世界の有り様を探るなかで危機に気がつきそれを乗り越えようとする姿を描いているのは『白熱光』も同じだが、そちらではぼくらの住む宇宙の中の話だったが、本作では別の物理法則を持つ別の宇宙が舞台になっている。 ...
ブコウスキーが死の直前最後に完成させた小説。他の作品は作者の分身が主人公の私小説的な物語らしいのだけど(作者の分身チナスキーは本書のなかでは古書店主の「ついいままで飲んだくれのチナスキーがいたんだ」という言葉の中にだけ登場する)、これは私立探偵が主人公のハードボイルド小説という形をとっている。ただし探偵ニック・バレーンは酒浸りで競馬ですってばかりいる怠け者だ。さえない風采とおいぼれた身体で、ギリギリでその生活にしがみついている。 ...