以前野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は読んでいたが、村上春樹訳で十数年ぶりに読んでみた。 前回はそうは思わなかったが、読み返してみると主人公のホールデンはかなりいやなやつに思えた。集団生活に適応できないことや、勉強をする意欲がないことや、酒、タバコ等の素行不良は別にどうということないのだが、自己中心的で相手の感情をかえりみないところ、それに自分自身の感情や行動をコントロールできないところや、病的に嘘をついてしまうところは救いようがない欠点に思えて、ホールデンに感情移入することができなかった。逆に感情移入できなかったからこそ、救いようのなさに気がついたのかもしれない。それは欠点というより、注意欠陥/多動性障害(AD/HD)という、いまならちゃんとした病気として認められる症状だ。 ...
表題作が演劇になるというので、読んでみた。9つの短編が収められているが、まず8番目の表題作から読んだ。死んだあと骨は砕いて海にまいてほしいと言い残して亡くなった夫の視点から、妻がためらいつつもその遺言を実行するのをやさしい眼で見守る。だからといって、死後の世界とか霊魂の存在を前提にしているのではなく、見守る夫の意識というのはヴァーチャルなものだと思う。残った妻の心の中から生まれたものと考えるのが自然かもしれない。でも、その海の中に拡散して、そのヴァーチャルなものが消えていく瞬間に最後の声でいった「ありがとう」はリアルだった。 ...
右な人たちの言い分は、その反感に満ちた語り口だけで、聞く耳をもてなくなってしまう。その点、この本は、純粋にいい意味で、奥歯にもののはさまったような語り口で書かれていたので、ちゃんと最後まで読むことができた。筆者自身も、「保守思想の陣営が、いわゆる左翼思想への反感を吐露することに終始してきた」ことを認めている。 ...
カポーティは好きなタイプの作家だが、その割にはあまり読んでいない。『夜の樹』という短編集や『ティファニーで朝食を』(原作は映画のような甘ったるいハッピーエンドではなく、それどころか恋愛ものですらない)、それにちくま文庫版の短編集くらいだ。今回読もうと思ったのも、よしもとばななの『アムリタ』の中で登場人物の一人が、どこにいくにも持ち歩いて何度読んでもあきないというようなことを言っていたからだ。 ...
偏見とか差別などのいやな感情を正論のように語る人たちが増えているような気がして、息苦しさを感じていた。その空気から抜け出す清涼剤のようなものがほしくなって買ってみた。 ...
少年時代に殺人を犯してしまった男の回想という形で物語は語られる。主人公の少年はどこか『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンを思い起こさせる。こちらは寡黙で饒舌なホールンデンとは正反対だが、周囲への不適応、ものの本質をみぬく大人びた視線、自分自身への苛立ちは共通だ。最初は、そういう少年が殺人という罪を乗り越えていく教養小説だと思いこんで読んでいた。でも、最後の最後でその予想は裏切られ、不可解ななぞの中に投げ出されてしまう。 ...
少年時代に昆虫に興味をもったことをのぞいて生き物に興味をもったことはほとんどない。昆虫のときは、彼らにとっては迷惑な話で、ちょっとした虐殺行為をやったりした。 ...
才能ある作家だったサックスという男が、いくつかの偶然の積み重ねから、幸福な家庭を投げ捨てて、全米の自由の女神を破壊してまわるテロリスト(人の命は奪わず、メディアを通じてアメリカという国のありかたを改めようというメッセージを流す)になり、結局は爆死してしまう。その事故を知った、やはり作家である友人の目から、回想という形で物語は語られてゆく。 ...