中篇2つからなる作品集。 川上弘美と似ている。読み始めてすぐに思ったことがそれだ。夢の中のようにふわふわした現実感のなさ、身体感覚あふれる描写、じめっとしていて指向性のないエロティシズム。それはどちらかがどちらかの影響を受けたというより、いわば女性不条理文学というものの「系譜」を感じさせる。 ...
タイトル通り9編からなる短編集。翻訳小説は入り込みにくいものだが、どの作品も導入部が軽快でとても入っていきやすい。 ほとんどの作品に年端のいかない子供たちが出てくるので、その無邪気さを微笑ましく思ったりだとか、辛辣さを含んだユーモアに含み笑いをしているうちにどんどん読めてしまうのだが、最後の最後で、不可思議な謎を残したまま放り出されてしまう。そんな作品ばかりだ。それを象徴するように表紙見開きの言葉は「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」という禅の公案だ。 ...
サイバーパンクのバイブル的作品。『攻殻機動隊』や『マトリックス』などの想像力の原点がこの中につまっている。 ハッキング(クラッキング)は現代の、端末の文字や記号相手におこなうものではなく、コンピュータの中に没入(ジャックイン)してバーチャルリアリティを体験しながらおこうものになっている。主人公のケイスは、数年前雇い主を裏切ったことで、その能力を奪われてしまうが、能力を復活させる代わりにある仕事を引きうけてほしいという誘いにのる…。 ...
この前読んだ柴田敏隆『カラスの早起き、スズメの寝坊―文化鳥類学のおもしろさ』は鳥を擬人化して扱うような一般向けの面白さをねらった本だったが、これはもっと研究者よりの視点で書かれた本。 ...
15歳の少年「ぼく」と36歳の女性ハンナとの間のつかの間の恋。それはハンナの謎めいた失踪とともに突然終わりをつげる。それにはハンナのかかえる二つの秘密が関わっていた…。秘密のうちひとつは、ナチスのホロコーストに加担した過去。「ぼく」は法学の学生として、ホロコースト裁判の被告席に立たされたハンナと再会する。そして、やがて彼女のかかえるもうひとつの秘密―文盲に気がつく。その秘密を守るため、彼女は厳刑に甘んじようとする。そして…主人公の「ぼく」はいくつかの思いにひきさかれて考えこむばかりで中途半端な態度をとることしかできない。それは結局予定されていたような悲劇を呼び込む。 ...
文芸、サブカルチャー、それにデリダ、ジジェク、柄谷行人など思想家に対する批評、その「批評」というものをとりまく現状分析、講演、エッセイなどバラエティに富んだ、一冊まるごと東浩紀的な本。 ...
5月に読んだ『プレーンソング』の続編。夏が過ぎて秋になろうとしているけど四人の奇妙な共同生活は続いている。職について定期的な収入があるかないかは別として、彼らのうちだれも生産的なことをしていないしその必要も感じていない。それだからこそというべきか、彼らはまるでギリシアの哲人とか中国の道家のように見えてしまう。よう子は猫に餌を配りながら「視線」の意味について考察するし、島田は、聖書やニーチェを読んでいろいろなことを思いつく。 ...
ほんとうは『草の上の朝食』を買おうと思っていたのだが、勤務先近くの本屋になかったので代わりにこっちを買ったのだった。『コーリング』と『残響』という二編からなる中編集。ちょっと今まで読んだ保坂作品(といってもこれが3冊目だが)とは毛色が違った。 ...
『自由を考える』は対談だったので、東浩紀の考えをいまひとつとらえきれなかった。その物足りなさを補うためこの本を買った。 内容はオタク系(サブカル系)の文化を分析して、そこから90年代以降の現代日本社会が向かっている「動物化」という現象をみていこうというもの。論旨を簡単にまとめてみる。 ...
薄い雲のようにぼんやり広がった幸福感を描いた作品。 恋人と同棲するつもりが別れて、一人で2DKの部屋に住むことになった三十代はじめの男が主人公。場所は西武池袋線の中村橋で、おそらくこの具体的な地名も、この小説を形作る重要なファクターのひとつだ。この部屋には、それぞれの事情と怠惰と偶然から、二十代そこそこの若い男女のカップルと、一度は映画を志したものの持ち前の無気力で挫折した二十代半ばの男が住み着くことになって、四人の奇妙な共同生活がはじまる。 ...
奥平康弘氏というのは1929年生まれの憲法学者で、その人と30歳年下の宮台真司氏が憲法をめぐって対論している。といっても、宮台氏は、ひとつネタ振りをされると、それについて憲法と関係ないことまで語りまくっているので、奥平氏は完全に聞き役にまわってしまっている。対談のときからそうなのか、あとからの加筆でそうなったのかわからないが、奥平氏の発言があると逆にとても注目してしまうのだった。 ...
最近よく名前を聞く東浩紀の本を一度読んでみたいと思って、書店の棚に積んであったのを手に取ったのだが、最近出たばかりでかなり売れているらしい。 ...
再読。以前は飛田茂雄訳の早川文庫版で読んだが、今回は好きな作家である池澤夏樹の訳で読んでみようと思って、わざわざ買った。だが、後発ということもあってか、飛田訳の方がわかりやすかった。 ...
思考というのは並列的で、矛盾を含んでいるのに対し、文章は直列で、整合性がとれていなければならない。ふつう思考から文章を変換するときは、小さなもの余計なものは省いて、できるだけコンパクトにしようとするのだが、保坂和志の場合には、一見意味のないような思考の流れを切らずにそのまま文章に埋め込もうとしている。そんな文体だ。美文か悪文かで分けると悪文で、ある意味大江健三郎の文と似ている。 ...
半額で売っていたので買ったのだが、ほとんど在庫切れ状態らしく、買って正解だったようだ。 映画評を読むのは旅行記を読むのと似ている。すでに見た映画の話は昔訪れた街の話のように懐かしいし、見たことのない映画の話はいったことのない街の話のようにエキゾチックだ。 ...
ノストラダムスの大予言はそれなりに話題になったけれど、そういうお祭り騒ぎとは別に世界がだんだん終わりに近づいているという予感は誰しも感じているのではないかと思う。そういう予感にリアリティーを与えるさまざまな問題―核、天災、戦争、虐殺、エイズ―と、それらがもたらす終末というのはいったいどういうことなのかを考察した本。さまざまな観点からとても深い思索がされているが、それだけに結論めいたものは一切書かれていない。ただ、相当やばいのは間違いない。 ...
一応童話ということになっていて、確かに設定も語り口も童話なのだけれど、むしろ大人が読んだほうがおもしろいと思う。 主人公のティオが住む南の島はとても不思議なところで、それを見たものが訪れずにはいられないような絵葉書を作るセールスマンがやってきたりとか、空中に3Dのリアルな絵を描く旅人がやってきたりとか、山のてっぺんに星が透けて見える大きな身体の怪物がいたりする。 ...
長編のあとには気楽な短編が読みたくなった。保守的にまず間違いなく楽しめるものということで、池澤夏樹の本を選んだ。 表題作は、最初グアム版『濹東綺譚かと思ったが、よく考えたら『ティファニーで朝食を』の方が近い。日本の名前「マリコ」と現地の人から呼ばれる名前「マリキータ」という二つの名前を持つ奔放で謎めいた女性と、彼女にひかれながらもどうしても前に踏み出すことができない人類学者。彼らの間をさえぎるものはいったい何なのだろう。 ...
今まで読んだ池澤作品はどちらかといえば物語性が希薄で、短いものばかりだったが、これはふつうの文庫二冊分の厚さで、物語性もたっぷり。語り口がうってかわって、いわゆるマジックリアリズム的で、物語は幻想と日常という糸を縫い合わせてつむがれている。 ...
国家が共同幻想であることを認めながらも、国家というものが人々の心の中に「実在」する不可欠なものだということを説こうとしている本。主に、この本の中で「国家相対化論」、「反国家フェティシズム」と呼んでいる考え方(あまりレベルが高くなく設定されている)に対しての反論という形で書かれている。 ...