作者についてはまったく知らなかったが、表紙のエドワード・ホッパーの絵と村上春樹訳ということで読もうと思った。 17編からなる短編集。訳者の後書きから引用すると作者は「フェミニストにして社会運動家、ユダヤ系伝統文化に強く傾倒する、政治意識の強い女性作家」だそうで、作者自身をモデルにした女性の家族や隣人たちとの関わりを主に描いていながら、表面的な日常性とかけはなれたところで物語が進んでいく。 ...
日本とドイツは似ているといわれる。ともに第二次世界大戦で敗北し、その結果民主化されて経済発展したし、勤勉な国民性が似ているといわれることもある。その両国の戦後の思想状況を「過去の清算」を軸にして比較してみようというのが本書のテーマだ。 ...
死者を一時的に蘇らせたり、自分のDNAを別の分子で書き換えてあらゆる感染の危険性を0にするなど、バイオ技術が究極まで進んだ2055年、物理学の分野でもすべての自然法則を説明する究極の理論「万物理論」が発表されようとしていた。主人公はこの万物理論に関する会議を取材にきた科学ジャーナリスト。別の長い取材が終わり息抜きのつもりだった彼に、カルト集団の企てる暗殺計画、精神に失調をきたす原因不明の奇病「ディストレス」、バイオ企業の傭兵によるクーデターなど、さまざまな問題が襲いかかる。 ...
クリティカルシンキングの入門書。クリティカルシンキングというのは、聞いたこと、読んだことをそのまま信じるのではなく、かといって聞く耳をもたずその場で否定することでもなく、相手の主張を批判的に吟味して正しいかどうかを見極めるための方法論だ。 ...
この冬ひどい目まいが数日間続いた時期があって、その治りがけのある休日、街への郷愁やみがたくふらふらしながら散歩をしたことがあったが、それってまさに『目まいのする散歩』だよなと思いながら、この本を手に取った。 ...
定義があって公理があって定理とその証明がある。まるで幾何学の本のようだ。そう、実際スピノザは幾何学の定理の正しさを証明するように、自分の哲学の正しさを証明しようとしたのだ。でも、それが成功しているかといわれると微妙だ。証明のかなりの部分は言葉の言い換えにしかなっていなくて、むしろいらないのではないかと思ったりもする。((ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は『エチカ』から証明を省いたスタイルといえないこともない。この二つの書物はスタイルも似ているし、その偉大さも共通している。余談だけど『論理哲学論考』のタイトルはスピノザの『神学政治論』をもじってつけられている。)) ...
ウエルズの『タイム・マシン』の続編。前回の旅でエロイ族の娘ウィーナを犠牲にしてしまったタイム・トラヴェラーは彼女を救うため再び未来に向かうが、たどりついたのはまったく違う世界だった。 ...
女性の書く純文学作品にはある共通な皮膚感覚のようなものを感じる。男性が論理性に頼って言葉をつなげていくのはちがって、彼女たちの言葉にリアリティーを与えていくのはそんな感覚のような気がする。 ...
子供の頃の長い夏休み、図書館である棚の本を右から左へ向けて読んでいくような日々を過ごしていた。当然のように宿題はまるっきり進まず、夏休みの終わりになるとタイム・マシンに乗って過去に遡れたらなあ、なんてことばかり考えていた。 ...
WWWではもっと鋭いことを書いていると思うのだが、単著ということで若干おとなしめ。 第1章は最近よくいわれるニートやフリーターなどの若者の就業意欲の話。人生のレールと呼ばれるものが消滅した現在、社会経済的な要因が大きいとはいうものの、「ほんとうにやりたいこと」を追いかけてなかなか正規雇用されようとしないという傾向も確かにある。そこでは自己が、やりたいことに向けてのハイテンションと、やっぱり不可能だという冷静な鬱状態の間で引き裂かれている。 ...
「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」 語りえるものと語りえないものの境界、つまりこの世界の限界を見極めることがこの本の目的だ。読み終えてみると、この本の内容のほとんどは「語りえぬ」ことであることに気がつく。「私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであることに気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子をのぼりきったものは梯子を投げ棄てねばならない。)私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。」 ...
もしお金というものが存在してなかったらとても不便だっただろう。すべて物々交換なので、互いに自分が売りたいものを必要としている人を捜し回らなくちゃいけない。自分の労働力を売る場合も現物支給になってしまうわけだ。 ...
主人公の少年と親友のルンババが中学3年生から19歳になるまでを描いた青春小説。ふつうの青春小説とちがうのは、彼らの成長の糧になるのが猟奇的な密室殺人事件だということ。といっても事件そのものはルンババのすさまじいばかりの推理力であっけないくらい簡単に解決してしまうのだけど。 ...
「減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。わたしの自尊心」という感じではじまるちょっと暴力的な女子高生が語り手の一人称小説。 ...
1000円前後で気軽に読めるスピノザの入門書がずっとなかった(G.ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』はさすがにちょっと難解だ)。確かに哲学史の流れでいえばスピノザは傍流だし、その後ほとんど発展しているようには見えないけど、それはそのままで完成しているからのような気がする。 ...
一昔前の小説や映画といっても多種多様だが、そこに共通して感じるのはこの世界や人間に対する信頼だったりする。サローヤンのこの短編集は比較的シニカルな作品が集められているようなのだけど、それでもそのシニカルさは、どこかほかの場所にシニカルではないストレートなものが存在していて、それと対比してのシニカルさであるように感じられる。シニカルでなくては生きていけない現代という時代において、それは一種の甘さに映ってしまうのかもしれなくて、そのあたりがサローヤンが読まれなくなっている理由なのだろう。 ...
最近の若いやつらは我慢が足りない。フリーターに甘んじていて、正社員になったとしてもすぐやめる。がつんと鍛え直さなきゃだめだ。なんてことを酒場でくだを巻いているおやじだけでなくマスコミや行政までもが声高にとなえている。でもそれは、長引く不況の中、中高年の雇用を優先したせいで、そもそも若者の求人が少なく、仮に就職できたとしても希望外で条件が悪いところだからではないか。ということを統計データを使って着実に実証していく。 ...
単行本としては1984年に刊行された本(文庫化は1986年)なのだが、内容的にはまったく古さを感じさせない。ただ、その当時ポストモダンと呼ばれていた言説がもっていた勢いが今では失われているのは確かなことで、この本の中にある軽快さに、軽さこそがすべてだった80年代という時代とあわせて、ある種のやるせなさを感じてしまう。 ...
「ひきこもり」に対する支援活動で有名な精神科医斉藤環氏が中央公論に連載していた内容をまとめたもの。タイトルとなっているニート・ひきこもりの話題だけでなく、折々の時事ネタをめぐる時評が収められている。 ...
背表紙に新ロシア文学と書かれているけど、舞台はウクライナで作者もウクライナ人。でも言語はロシア語で作者も元々ロシア出身だからロシア文学でもいいのかもしれない。 ...