グレッグ・イーガン(山岸真訳)『万物理論』

死者を一時的に蘇らせたり、自分のDNAを別の分子で書き換えてあらゆる感染の危険性を0にするなど、バイオ技術が究極まで進んだ2055年、物理学の分野でもすべての自然法則を説明する究極の理論「万物理論」が発表されようとしていた。主人公はこの万物理論に関する会議を取材にきた科学ジャーナ...

伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』

クリティカルシンキングの入門書。クリティカルシンキングというのは、聞いたこと、読んだことをそのまま信じるのではなく、かといって聞く耳をもたずその場で否定することでもなく、相手の主張を批判的に吟味して正しいかどうかを見極めるための方法論だ。 書いてあるのは突飛ではなくある意味当たり前...

武田泰淳『目まいのする散歩』

この冬ひどい目まいが数日間続いた時期があって、その治りがけのある休日、街への郷愁やみがたくふらふらしながら散歩をしたことがあったが、それってまさに『目まいのする散歩』だよなと思いながら、この本を手に取った。 作者の武田泰淳は脳血栓で倒れたリハビリということで、妻の武田百合子(ぼくは...

スピノザ(畠中尚志訳)『エチカ -倫理学-』

定義があって公理があって定理とその証明がある。まるで幾何学の本のようだ。そう、実際スピノザは幾何学の定理の正しさを証明するように、自分の哲学の正しさを証明しようとしたのだ。でも、それが成功しているかといわれると微妙だ。証明のかなりの部分は言葉の言い換えにしかなっていなくて、むしろ...

スティーヴン・バクスター(中原尚哉訳)『タイム・シップ』

ウエルズの『タイム・マシン』の続編。前回の旅でエロイ族の娘ウィーナを犠牲にしてしまったタイム・トラヴェラーは彼女を救うため再び未来に向かうが、たどりついたのはまったく違う世界だった。 『タイム・マシン』ではタイム・パラドックスに関しては無視されていたけど、100年を経て書かれた本作...

多和田葉子『ゴットハルト鉄道』

女性の書く純文学作品にはある共通な皮膚感覚のようなものを感じる。男性が論理性に頼って言葉をつなげていくのはちがって、彼女たちの言葉にリアリティーを与えていくのはそんな感覚のような気がする。 表題作の『ゴットハルト鉄道』は、アルプス(長野、山梨ではなくヨーロッパにあるほんもののアルプ...

H.G.ウェルズ(橋本槙矩訳)『タイム・マシン』

子供の頃の長い夏休み、図書館である棚の本を右から左へ向けて読んでいくような日々を過ごしていた。当然のように宿題はまるっきり進まず、夏休みの終わりになるとタイム・マシンに乗って過去に遡れたらなあ、なんてことばかり考えていた。 そんなふうにして読んだ本の中に『タイム・マシン』はあったは...

鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』

WWWではもっと鋭いことを書いていると思うのだが、単著ということで若干おとなしめ。 第1章は最近よくいわれるニートやフリーターなどの若者の就業意欲の話。人生のレールと呼ばれるものが消滅した現在、社会経済的な要因が大きいとはいうものの、「ほんとうにやりたいこと」を追いかけてなかなか正...

ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」 語りえるものと語りえないものの境界、つまりこの世界の限界を見極めることがこの本の目的だ。読み終えてみると、この本の内容のほとんどは「語りえぬ」ことであることに気がつく。「私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗...

岩井克人『貨幣論』

もしお金というものが存在してなかったらとても不便だっただろう。すべて物々交換なので、互いに自分が売りたいものを必要としている人を捜し回らなくちゃいけない。自分の労働力を売る場合も現物支給になってしまうわけだ。 これらの問題はお金つまり貨幣の登場で一気に解決するわけだけど、貨幣って考...

舞城王太郎『世界は密室でできている。』

主人公の少年と親友のルンババが中学3年生から19歳になるまでを描いた青春小説。ふつうの青春小説とちがうのは、彼らの成長の糧になるのが猟奇的な密室殺人事件だということ。といっても事件そのものはルンババのすさまじいばかりの推理力であっけないくらい簡単に解決してしまうのだけど。 舞城王太...

舞城王太郎『阿修羅ガール』

「減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。わたしの自尊心」という感じではじまるちょっと暴力的な女子高生が語り手の一人称小説。 好きでもないのについ一緒にホテルに入ってしまった同級生の男子が誘拐されて足の指を送りつけられるというサスペンス仕立ての第一...

上野修『スピノザの世界 神あるいは自然』

1000円前後で気軽に読めるスピノザの入門書がずっとなかった(G.ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』はさすがにちょっと難解だ)。確かに哲学史の流れでいえばスピノザは傍流だし、その後ほとんど発展しているようには見えないけど、それはそのままで完成しているからのような気がする。 満を持して...

ウィリアム・サローヤン(関汀子訳)『ディア・ベイビー』

一昔前の小説や映画といっても多種多様だが、そこに共通して感じるのはこの世界や人間に対する信頼だったりする。サローヤンのこの短編集は比較的シニカルな作品が集められているようなのだけど、それでもそのシニカルさは、どこかほかの場所にシニカルではないストレートなものが存在していて、それと...

玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在』

最近の若いやつらは我慢が足りない。フリーターに甘んじていて、正社員になったとしてもすぐやめる。がつんと鍛え直さなきゃだめだ。なんてことを酒場でくだを巻いているおやじだけでなくマスコミや行政までもが声高にとなえている。でもそれは、長引く不況の中、中高年の雇用を優先したせいで、そもそ...

浅田彰『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』

単行本としては1984年に刊行された本(文庫化は1986年)なのだが、内容的にはまったく古さを感じさせない。ただ、その当時ポストモダンと呼ばれていた言説がもっていた勢いが今では失われているのは確かなことで、この本の中にある軽快さに、軽さこそがすべてだった80年代という時代とあわせ...

斉藤環『「負けた」教の信者たち ニート・ひきこもり社会論』

「ひきこもり」に対する支援活動で有名な精神科医斉藤環氏が中央公論に連載していた内容をまとめたもの。タイトルとなっているニート・ひきこもりの話題だけでなく、折々の時事ネタをめぐる時評が収められている。 もともとが時評なので、ひとつのテーマに深く切り込んでいくのではなく、気楽にどこから...

アンドレイ・クルコフ(沼野恭子訳)『ペンギンの憂鬱』

背表紙に新ロシア文学と書かれているけど、舞台はウクライナで作者もウクライナ人。でも言語はロシア語で作者も元々ロシア出身だからロシア文学でもいいのかもしれない。 主人公は売れない短編作家なのだけど、新聞向けにまだ死んでいない人物の死亡記事を書きためておく仕事を引き受けることになる。そ...

エドワード・ケリー(古屋美登里訳)『アルヴァとイルヴァ』

前作『望楼館追想』がとても気に入ったので数年ぶりの新作である本書を手に取ってみた。 エントラーラという架空の街のガイドブックという体裁をとりながら、街の名士である双子の姉妹アルヴァとイルヴァの人生を追いかけてゆく。いつかエントラーラを飛び出すことを夢見るアルヴァと家から一歩も出るこ...

サローヤン(伊丹十三訳)『パパ・ユア・クレイジー』

少なくともこの日本では、サローヤンは徐々に忘れられつつあるようで、過去に文庫化されているはずの作品をほとんどみかけなくなっている。『パパ・ユア・クレイジー』が入手できるのも、作者のサローヤンではなく訳者の伊丹十三が最近なぜか注目されているからだ。でも、その訳はお世辞にいい訳とはい...