仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』

日本とドイツ 二つの戦後思想

日本とドイツは似ているといわれる。ともに第二次世界大戦で敗北し、その結果民主化されて経済発展したし、勤勉な国民性が似ているといわれることもある。その両国の戦後の思想状況を「過去の清算」を軸にして比較してみようというのが本書のテーマだ。

「戦争責任」、「国のかたち」、「マルクス主義」、「ポストモダン」と年代順に4つのトピックに対し、両国でどのような議論が行なわれたかを、みていっている。おおざっぱな印象でいうと、ドイツではリアルな緊張感のもとに地に足のついた議論が行なわれているのに対し、日本では抽象的であいまいな議論ばかりが目につく。やはり、敗戦時に、戦争責任をあいまいに処理して、戦前の体制をあいまいに残しつつ民主主義を接ぎ木したことがその後もずっと尾をひいているのかもしれない。

興味深かった話題をいくつか拾うと、まず国際軍事裁判に対する評価。被告が有罪であることが確定したあと後付で裁判所の規則を作るのは確かにおかしいけど、法というのはすべてもとをただせば勝ったものが押しつけたものだし、それを評価するにはある程度時間をかけて見極めてなくてはいけない。国際軍事裁判のときに適用された法は結果論として日本でもドイツでもポジティブに働いてきたのではないかと筆者はいう。

次に、ドイツの哲学者ヤスパースがあげた4種類の罪。①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上学的な罪。④は、何もできない状況でも、生き残ったものが死んだものに対し感じる罪の意識のことだ。単に責任を追及するのではなく、それがどの罪に関するものなのか、明確にしないと議論は深まらない。

あともうひとつ、アドルノの『啓蒙の弁証法』。「理性」は「野生」を克服して文明を築き上げてゆくものだが、野蛮な相手を文明化する過程で、相手以上に野蛮な暴力を振るわざるをえない。文明というのは整然としたみかけと裏腹に、抑圧された野蛮な暴力を内側にかかえていて、いつ爆発するかわからないのだ。哲学というものも同様に、すべてに共通の尺度をあてはめて認識しようとし、その尺度ではかれないものを存在しないことにしてしまう。こうして作り上げた体系を、真理と錯覚することを「物象化」と呼ぶ。

内容が多岐にわたっているので、この文章をまとめるのに苦労した。まとまってないが。