池田雄一『カントの哲学 シニシズムを超えて』

いきなり映画『マトリクス』の話題からはじまるので、とっつきやすいかと思ったが、パラフレーズのためにたちどまることをしない、スピード感あふれる文体で、ついていくのがやっとというより、味わえたのはスピード感だけという状態で最後のページにたどりつきそうになったところで、これでは読んだことにならないということに気がつき、急遽昔読んだカントの入門書を再びひもとき、それから再び本書に手をつけたのだった。 ...

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

再読……のはずなのだか、何を読んだのかというくらい、ディテールはおろか基本的なストーリーさえ覚えていなかった。むしろ読んだのは誰だと問いかけたくなる。覚えていたのは、この作品がおそらく村上春樹の現時点での最高傑作といっていいくらいすばらしい作品だということで、読み終えた今、その記憶が正しかったことが証明された。 ...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『さようなら、いままで魚をありがとう』

『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ三部作の第四作なんて呼ばれるのは、作者はもともと三作で完結させるつもりだったからだが、とはいえ別に第三作『宇宙クリケット大戦争』の最後で何がどうなったというわけでもないので、続けて十分OKだろう。 ...

多木浩二『写真論集成』

芸術の秋ならまだしも真夏に読むにはかなりつらい本だった。四部構成だが、特につらかったのは第一部で、そこで語られるのは写真そのものではなく、むしろ写真を語る言葉についてで、ページを追っているつもりが、しばしば迷子になってどこを読んでいるのかわからなくなった。撮る「主体」と撮られる「現実」という両極端な二元論を越えて、主体が意識せず現実そのものではない未知のものが、写真には写るということをいわんとしているのだと思うのだが。 ...

田島正樹『スピノザという暗号』

『これ(ライプニッツのこと)に対して、スピノザの難しさは一見したところのさらに先にある。すなわち、一見したところもけっしてやさしくないが、より大きな困難は、深く立ち入るにつれて見えてくるように思われる「粗雑さ・荒っぽさ」によって、われわれの勇気がくじかれてしまう危険なのである。なまじ哲学的素養のある人ほど、やがて疑惑にとらわれることになる。「はたして本当に偉大な哲学者なのだろうか?これ以上この学説に取り組むことに、どれだけ意味があるのだろうか?」。このような疑問が「専門家」をとらえやすいのは、この哲学者の言葉づかいが伝統的なそれと大きくずれていて、何か恣意的な、アマチュア的手仕事のように感じさせるという点が大きい』 ...

夏目漱石『それから』

宮藤官九郎脚本の昼ドラ「吾輩は主婦である」にすっかりはまってしまい、久しぶりに夏目漱石の小説が読みたくなった。一時期青空文庫でまとめて作品を読んだことがあったが、この『それから』はその当時まだ収録されておらず、未読だったのだ。 主人公の代助は今でいうところのニート(マスコミやネットで流れている虚像の方。実際のニートは悲惨だと思う)だ。学校を卒業してからも職に就かず、親の金でそれなりに優雅で自由な生活をしている。読み進めると、舞台になっている明治末期は現代と世相がとてもよく似ているのがわかる。ある程度豊かな階層の人々は、文化的、物質的に今とあまり変わらない(ゆとりという点では今以上の)生活ができたようだ。 ...

田島正樹『読む哲学事典』

事典といっても一般的な哲学の用語や概念の解説がメインではない。「愛と暴力」、「法と革命」という見出しからわかるように二つの概念を衝突させることで、そこから今まで存在していなかった新たな意味を生み出そうとしている本だ。 ...

柄谷行人『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を越えて』

電波ゆんゆん、でも良質な電波を受信して書かれた本だ。 日本を含む西側先進国がとっている社会システムをぼくなりに戯画化すると、市場という怪物と国家という怪物を戦わせて、その間にそれぞれのおいしいところをもらってしまおうというものだった。だが、それがうまくいっているように見えたのは、遠くで共産主義というもうひとつの怪物がいて、三つどもえになっている間のことで、共産主義が滅びた今では、市場と国家の悪い部分が野放図に育って、制御がきかなくなっているような気がしてきていた。と同時に、ありとあらゆる理想が嘲笑の対象になりさがってしまった。 ...

吉田修一『日曜日たち』

5人の登場人物たちのそれぞれの日曜日を描いた連作短編集。5人の登場人物に直接の関連はないが、共通して語られるエピソードがあり、最後の物語につながってゆく。 ...

野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』

本書の「はじめに」にも書いてあるが、哲学の解説書は読まない方がいいそうだ。いきなりパラドックスかと思うが、本書は単なる解説書ではなく、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』(以下『論考』)を書いた地点に読者を案内することを目指している。 ...

町田康『権現の踊り子』

昔筒井康隆の小説を読みながら悪人のようなほっほっほという笑みを浮かべていたが、今は町田康の小説を読みながら同じ笑みを浮かべている。 中編や長編では、語り手=主人公が自らの自堕落さもあって悪夢的な世界に巻き込まれるというパターンが多いが、本書は短編集なので、時代劇もあったりして、バラエティに富んでいる。語り手以外の人物を中心に描かれている作品もいくつか収録されているのだが、その中で一番魅力的なのは『工夫の減さん』だ。 ...

保坂和志『カンバセイション・ピース』

世田谷の小田急線沿い、おそらく成城か喜多見の木造二階建ての古い日本家屋が舞台。伯父、伯母が亡くなり、空き家になっていたこの家に小説家である語り手の「私」と妻、猫三匹、妻の姪が住むことになり、さらに「私」の後輩の会社(といっても社長、社員あわせて三人)も間借りする。 ...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『宇宙クリケット大戦争』

『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの第3弾。発表当初は不評だったそうだが、ギャグは笑えるし、物語の伏線にはりかたも見事だ。3作の中で一番おもしろいかもしれない。 ...

ウンベルト・エーコ(藤村昌昭訳)『フーコーの振り子』(上・下)

「私が『振り子』を見たのはあの時だった。」 最初、神学的で難解かと思ったが、コミカルなミステリー仕立てで物語は進んでゆく。 卒論のためにテンプル騎士団を研究していた語り手カゾボンはそのことがきっかけで書籍の編集者ベルボ、ディオッタレーヴィと懇意になり、古来からの陰謀や秘密結社をめぐる事件に巻き込まれる。彼らはおもしろ半分で陰謀論を作り上げてゆくが、それが精緻になるにしたがい、嘘だとわかりつつそれをどこかで信じるようになってゆく。やがて、ほんものの秘密結社がそれをかぎつけ……。 ...

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー(上・下)』

二年前に上巻だけ買ったものの、あまりの厚さに持ち歩くことができず、積み重ねた本を支える支柱の役割を果たしていた。別の本を探していたらたまたまこれが発掘されたので、ようやく読む気になった。 ...

村上春樹『象の消滅 短編選集 1980-1991』

アメリカで翻訳・出版された村上春樹の短編集と同じ構成で編んだ日本語版。もちろん英語から訳し直したわけでなく(それはそれで読んでみたいが)オリジナルの作品が収められている。 ...

村上春樹編訳『バースデイ・ストーリーズ』

アメリカを中心とした英語圏の作家の、誕生日に関する短編小説を集めたアンソロジー。すべて村上春樹が訳している。 ...

サン=テグジュペリ(堀口大学訳)『人間の土地』

かつて、飛行機は人間の身体を空高くひきあげるだけでなく魂をもひきあげてくれていた。 サン=テグジュペリと彼の同僚たちは郵便を世界中に届けるため、新たな航空路を開拓し、嵐の中飛行した。その中で命を落とすものたちもいる。砂漠で遭難してほとんど死にかけることもある。本書ではそんな彼らの半ば神話的といっていい活躍が詩的な美しい文章で語られている。 ...

多木浩二『ものの詩学 家具、建築、都市のレトリック』

独特な視点からヨーロッパ近代の歴史をたどった本。そういう意味では「詩学」というより「史学」だ。 4章構成。第1章は、椅子やベッドなどの家具の形状に注目して、それがルイ14世時代の王権の絶対化とどのように相互作用をしていたかを明らかにしてゆく。たとえば、椅子の背もたれは王の権威の高まりとともに傾いていった。そして儀式や空間配置が権力を実体化してゆく仕組みを解き明かす。 ...

グレッグ・イーガン(山岸真訳)『順列都市(上・下)』

人間がソフトウェアになってコンピュータの中で生き続けるという設定はグレッグ・イーガンでは定番だが、これはその比較的黎明期を舞台にした物語。『ディアスポラ』では外部の1000倍の速度で流れていた時間が、この時代には逆に17分の1の速度で流れている。それも「生前」大富豪だった限れた人たちの話で、ふつうの人々(それでも自分をスキャンできるだけでかなり恵まれた階層の人々だが)は10時間まったく計算されないこともあるような状況だ。このあたりはこの本が書かれた1994年という時代のコンピュータ資源の状況が反映しているのかもしれない。 ...