前作のチェーホフ『カモメ』を上演しようとする若者たちの姿を描いた群像劇から3年ぶりの岩松了セルフプロデュース公演。思いおこせば前回は地震の直後で不透明感漂う中での観劇だった。 今回も演劇を上演しようとしているというシチュエーションは同じ。題材は四谷怪談。その中から毒で顔がただれたお岩に対して伊右衛門にそそのかされた按摩の宅悦が不義密通をしかける場面にスポットを当て、この異形のカップルの恋愛譚にしたてようとしている。俳優陣は半分くらい入れ替わっているが主要なメンバーは共通。前回主演女優役だった安藤聖さん(役名も同じ)が劇作家になっていて、彼女の目に映るさまざまな異形のカップルたちが創作のよすがとなる。 ...
これまでシュールで抽象的な人間関係を描いてきた田川啓介が、若干リアルに寄って家族というものに向き合おうとした作品。 引きこもりの息子、共依存の母親、家庭から逃避している父親、嫁ぎ先から一時帰宅の娘の4人家族。父親は母親に内緒で大山登山スクールというスパルタ施設に息子を送り込もうとする。大山登山スクールはその名の通り戸塚ヨットスクールを彷彿とさせる差別的で暴力的な団体なのだが、実際彼らにとっての希望はこれしかないのだ。息子も最後は自ら参加しようとする。父親は感化されてこれまでの不満をぶちまけ父権的にふるまおうとするが、それが家族の最後のたがをはずすことになる。娘は夫をペットのように扱い、人間として向き合うことができない。 ...
大雪の中転んで強かに腰をうちつけるもどうにか会場にたどりついた。こんな悪天候にもかかわらず意外にも盛況。 4編のコント集。ストーリーは独立しているが、一部の登場人物が共通して微妙な統一性がある。 ...
遅ればせながら今年初めての観劇。 シェークスピアの有名な戯曲『ジュリアス・シーザー』からタイトルはとっているが、実際はその中のこれまた有名なセリフ「ブルータスお前もか」の「も」について書いたという作品。だからシーザーもブルータスも出てこない。 ...
2013年最後の観劇。下北沢で観るのは久しぶりだ。 直人と倉持の会初回だが、竹中直人自身は脇にまわっている。スキャンダルに疲れて人気女優トワコが久しぶりに故郷に帰ってくると、ちょうど恩師の送別会兼同窓会が行われていた。誰からともなく、高校時代自殺した人気者の男子のことを口にし、その謎めいた死に再び光があてられる……。 ...
衰退と戦争のふちにある近未来の日本。ある家族を通して生者と死者それぞれの倫理の葛藤を描く。 母は亡くなって地面の下で眠っている。いや幽霊として歩き回っている。その姿は長男由多加の妻遥には見える。しかし彼女は霊の存在やささやかな要求を徹底的に無視する。対照的なのが次男由起夫だ。ことあるごとに母の墓を訪れて話しかける。ただし彼には母の霊はみえない。母(幽霊だが)、由起夫、そして由多加・遥夫婦の間に越えられない壁がある。 ...
メロドラマだった。 松田正隆脚本の舞台をみるのは9年ぶりくらい。よく平田オリザとくんでいたときに見にいっていたがその叙情、美学(滅びの美学とでもいおうか)がすばらしかった。途中からグロテスクで過剰に観念的になってきてしまってあれと思っている間にこのコラボレーションがなくなり、観る機会がなくなっていた。最近はより観念的で洗練された作品を書いているようなことをちらほら耳にし、しばらくぶりにみようと思ったのだ。 ...
見ててきょとんとしてしまった。「プロローグ?」のクエスチョンマークが頭に張り付いて離れない感じ。 福島原発事故をテーマにした抽象的で詩のようなテキストだ。それを(単純なリーディングではなく)演劇化するのはたぶん2つの方法がある。愚直になるのを恐れずにテキストに寄り添ってそれをわかりやすく提示するか、テキストを外部化して「内容」は別の形で象徴的に提示するか、どちらかだ。今回の上演では後者の方法がとられている。テキストは分解され再構成されて俳優たちの動きや音楽が恣意的にはさみこまれる。おそらくそこでは原発事故をめぐる何かが象徴的に表出されていたのだろうけど、オーストリアという福島から遠い場所で書かれたテキストだけどぼくもまたそれと同じくらい福島から隔たっていて、そのリアリティをうまくうけとめることができなかった。 ...
二年前この三鷹で上演された『探索』につづいて、また劇場職員の森元さんが前口上およびそれに引き続いて殺される役で登場する。前回は戸惑いが感じられたが今回は楽しんでやっておられるご様子だった。 城山羊の会で一番好きなのは悪夢的なたたみかける不条理さなんだけど、今回はいきなり悪夢のシーンからはじまる。短大生の妙子が熱にうなされて、森元さん演じる父親が拳銃で兄に撃たれる夢をみる。実際には父親は病気で亡くなったのだ。夢からさめても悪夢の要素が入り混じってきてどこまで現実なのかわからないのはよかったが、今回ちょっと悪夢のドライブ感が弱くてもやもやしたまま話が進んでいく。 ...
これまでのサンプルの作品はすべてこの作品への布石だったのかもしれない。そう思わせるような最高傑作。 生みの母を妻にして子供までつくってしまうオイディプス王のギリシア悲劇をベースに、血のつながらない娘との関係に悩む家族、桃太郎と名乗る妙なカリスマのある男、電脳空間をかけめぐる仮想人格マネキン、新天地を夢見るバイオ実験から生まれた知性のあるネズミなど、現代社会のアクチュアリティーとSF的な想像力を取り入れて新しい神話を紡ぎだしている。 ...
第二弾は見逃したので、第一弾以来のシダの群れ。阿部サダヲ演じる森本という男以外は新顔だが、劇中第一弾の登場人物に対する言及がある。わからなくても問題はないが、第一弾を見ていたほうが森本という不可解な男に対する理解は深まるだろう。 今回もゴッドファーザー的なヤクザたちの友情と裏切りの物語だが、小泉今日子演じる酒場の歌手ジニーがそこにからんでくる。第一弾では予定調和の物語を突き崩すパワーを放った森本の実存が、ジニーの存在によってかすんでしまい、単なるかわいそうで危険なアスペルガーに堕してしまった気がする。紋切り型を楽しむ企画とはいえ、ジニーの存在もあまりに紋切り型だった。 ...
もう風は吹かない 財政が破綻した近未来の日本。青年海外協力隊の廃止が決まり、最後の派遣隊員となる若者たちの、訓練所を舞台にした群像劇だ。訓練生の間の恋愛、ドロップアウトして退所する者、所内での飲酒禁止をやぶる、本部からの視察など、人間模様のおもしろさを味わいつつも、それを通じて社会がみえてくる。 ...
片鱗 黒沢清監督が映画にしそうなモダンホラー。客演の手塚とおるさんがセリフなしで名前もない不気味な男という大胆な配役で驚いた。人の良さそうな父と娘の二人家族が引っ越してきた途端、怪しい人影がうろつき、植物が枯れ、住民が精神の平衡を崩しはじめる……。 ...
「えー、美輪明宏?!」と最初この公演の話をきいたときは what?, how?, why? と疑問の洪水だった。見たことはないけどテレビのスピリチュアル番組の片棒を担いでいた人というイメージが強かったのだ。 ...
サンプルの松井周の書き下ろし作品ということで初めての文学座。 薬品の力でゴキブリの姿で生まれた新世代の人間が語る黙示録的な近未来日本史。彼の父と母(ふたりとも普通の人間)の物語が主軸になっている。 ...
舞台がまるでボクシングのリングみたいに男と女が対角線上に位置し言葉による戦いが行われる。ただしほんとうのボクシングとパンチの応酬はなく攻撃するのはどちらか一方のみ。前半は男が攻撃し、後半は攻守所をかえて女のターンになる。賭けられているのは二人の「愛のおわり」だ。 ...
五反田団の劇団員だけで作った舞台。前作『五反田の夜』から2年ぶりだ。登場人物が共通しているので、一瞬同じ作品の再演に来てしまったのかと思ったが、続編だった。前作もおかしかったけど、今回も腹を抱えて笑えた。連休最終日の憂鬱を吹き飛ばしてくれた。 元祖アンドロイド演劇ということで人形の劇団員山田も出演。西田摩耶さんとのからみがよかった。それを含めて西田さん今回も捨て身の演技がすごかった。 ...
2002年に岩松了自身の演出、竹中直人、桃井かおり主演でみたときは軽い芝居だと思っていた。今日観て思ったのは、岩松了の書くセリフの困難さだ。 ...
中野区と新宿区に接する渋谷区のはずれの町汝滑町(うぬぬめまち)には独自のインタビュアー資格制度というのがあり、そこの住民は試験に合格すると誰にでもインタビューを申し込む権利が得られるが、資格をもってない人は質問をしてはいけないという決まりがある。共働きの主婦謝花素子は、学生だった10年前にみた故郷沖縄を舞台にした映画『夏の妹』を撮った映画監督(名前は明らかにされないが大島渚だ)になぜこんなわからない映画を撮ったのかをききたくて、毎回インタビュアーの資格試験を受けているが、勉強する時間も気力もないので落ち続けている。震災を機に彼女のそんな姿勢や試験の制度に変化が訪れ、彼女は合格する…… ...
今回は本谷有希子は原作のみで脚本と演出が『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督。映像の人が舞台やるとけっこう微妙なことが多いので、どうかなと思っていたが、すばらしい仕上がりで驚いた。あら探しでいうと、舞台空間での人の動きをもう少しダイナミックにしたほうがいいとかそれくらいだ。 ...