フェスティバル/トーキョー13『石のような水』

メロドラマだった。

松田正隆脚本の舞台をみるのは9年ぶりくらい。よく平田オリザとくんでいたときに見にいっていたがその叙情、美学(滅びの美学とでもいおうか)がすばらしかった。途中からグロテスクで過剰に観念的になってきてしまってあれと思っている間にこのコラボレーションがなくなり、観る機会がなくなっていた。最近はより観念的で洗練された作品を書いているようなことをちらほら耳にし、しばらくぶりにみようと思ったのだ。

そうしたら、10年以上前劇場で感じた叙情が蘇っていた。タルコフスキーの『ストーカー』と『惑星ソラリス』から設定の一部を持ち込んで、でもそれはあくまで物語に味わいを添える強烈なスパイスとしてで、むしろ謎は登場人物のひとりひとりの内面の中にあるのだった。

死者と再び出会うことができるという「ゾーン」と呼ばれる場所の案内人を代々つとめる須藤、そして彼の妻今日子。二人はセックスレスだ。今日子の姉秋子は深夜ラジオのパーソナリティ。彼女は年下の映画監督御厨と内縁関係だ。御厨は向かいのマンションに自分の母と先妻との間にできた娘が一緒に住んでいるという嘘をつき、秋子はそれを嘘と知っていて、御厨も彼女が嘘と気づいていることを知りながら、その嘘を日常の中にまぎれこませている。秋子は仕事場の近くに部屋を借りる。その部屋を使う最初の日にそのマンションを建てた建築家鞍馬絵と偶然知り合う。今日子はその話を聞きつけて鞍馬絵に姉とつきあってくれとたきつけるが、実はひかれているのは自分で……。秋子は須藤に二人のあとを尾行しろという。秋子の新しい部屋に入っていく二人。須藤は秋子をもともとこのために部屋を借りたのではないかとせめる……。

う〜ん、いい。極上のメロドラマだ。上の段落は主軸となる家族の物語だが、これ以外の登場人物にもひとりひとり個別の物語が与えられる。ポリフォニーだ。それを響き合わせるのが秋子の語る深夜ラジオの声だ。そこではこの国の「おわり」が告げられる……。

ぼくがみたなかで一番好きな松田正隆作品『夏の砂の上』で少女役で出演していた占部房子さんが、今日子役だった。彼女の抑制されていながらハイテンションの語り素晴らしかった。

結局ぼくはメロドラマが好きなのだ。それを再確認した。

作:松田正隆、演出・美術:松本雄吉/にしすがも創造舎/自由席(FT3演目セット9900円)/2013-12-07 19:30/★★★★

出演:山中崇、占部房子、武田暁、筒井潤、幡司健太、小坂浩之、山口惠子、西山真来、酒井和哉、増田美佳、和田華子、森正吏