地方の限界っぽい集落の、老夫婦二人が住む家が舞台。息子を名乗る男から電話がかかってきて、今から部下が訪ねるから金を渡してほしいという。古典的な詐欺の手口だが、金を受け取りにきた蔵本は、夫婦二人や近隣の人々の話に逆に翻弄されてしまう。ここでは誰も彼もが多かれ少なかれ認知に問題をかかえているのだ。 ...
男二人、女一人の三人芝居。夫婦がこれから別居しようとしていて運び出す荷物を整理している。妻の方の荷物の一つである男の死体が、傍から引っ張り出されてくる。このままではまずいということで二人は捨てにいくための旅行の相談を始める。死体を車に積み込むと、やがて死体は平然と話し始める。彼は女の亡くなった前夫なのだった……。奇妙な三角関係の旅が始まる。 ...
長いブランクから二度目の観劇だけど、なんというか一度目より今日の方が、こういうものを求めて劇場に通っていたんだな、という気づきが大きかった。前回の芝居も申し分なくおもしろいと思ったのだが、ぼくが芝居に求めているものは微妙に違っているらしい。すぐに思いつくのは劇場のサイズだが、それ以上に役者の数が重要な気がする。たくさんの役者が入れ替わり立ち替わりというものより、少数の役者の演技に集中するのが好きなのかもしれない。まあ、このあたりはあまり言語化しすぎると、おもしろくなくなってしまう気がするので、これ以上深掘りはやめておこう。 ...
コロナの影響でずっと観劇できない状態が続いていて、その魅力は頭ではなんとなくわかるものの、具体的な感覚としては忘れかけていた。そのリハビリを兼ねて6ヶ月ぶりの観劇。 ...
配布されたリーフレットによると、主宰の山本健介さんは去年の半年間金銭的理由で演劇ができずまったく別の賃労働をしていたそうだ。今回の公演の形態はその「できない」から生まれたもので、「演劇ができないのなら、演劇で、演劇ができない、という事をしてみたかった」という通り、「脚本を書いて言葉を固定化させたり、配役や段取りをしっかり決めることはしない」というある意味制約の上に作られている。 ...
詩的なモノローグを重ねてゆくこれまでの岡崎藝術座とは異なる新機軸に挑戦している。それが何かというと「能」だ。 難民的な境遇で日本にいる外国人男性が夜湖で釣りをしていると琵琶(実際は琵琶の画像が写ったタブレットに木の枠と柄がとりつけられたもの)を拾う。すると女があらわれ漁師の祖父(ジジー)と暮らす身の上を語り、この湖に移入され固有種を駆逐して繁殖しているブルーギルの話をする。それは「天皇」が海外から連れ帰ったもので。今ではそのことを血の涙を流して後悔しているのだとという。女は「島」にいって遊びましょう、と男を誘い、男、女、ジジー(声だけ)の三人は舟で島へとたどり着く・・・・・・。 ...
今年初観劇。 三組の人々のある一日を描いている。特に大きな出来事が起きるわけではないが、それぞれ人の同一性が揺らぐ(例えば連絡が取れなくなった友人と瓜二つの別人と会って行動を共にするなど)ような思いを感じて、そのことで少しだけ癒される。テーマが保坂和志の小説に重なるように思えた。 ...
常陸坊海尊。初めて聞く名前だったが、源義経の従者の一人とのこと。途中で逃げ出して生き延びてその後不老不死の身となり何百年間も源平や義経の物語を見てきたように語ったという説話が残っている。 ...
村田沙耶香と松井周の共同原案。村田沙耶香の小説も発売されたそうだが、舞台となる離島・千久世島の設定だけ共有していて、登場人物もストーリーもまったく別物のようだ。 ...
カフカが遺した長編小説(どれも未完)は3篇だけだが、4作目が発見されたという設定で、小説の中の世界と、2019年の小説の発見者の家族の物語が交互に描かれ、やがて二つの物語は交錯する。 ...
公演の主催は劇場だけど、作、演出は前川知大さんだし、メンバー総出演だし、実質イキウメの舞台だ。 悠里は、恋人を傷つけて別れたり、高校受験に失敗したりという立て続けの挫折から人生の目標を持てず、半ば引きこもりの自堕落な生活を送っていた。18歳になった悠里は、両親や幼なじみとキャンプに行き、進路を定め新しい生活に踏み出そうとする幼なじみたちにまぶしさを感じ、両親の離婚という突然の報告に孤立感を深める。ひとりで湖でダイビングをした悠里は事故を起こしてしまう。9年前と同じように。9年前はどうにか生還できた悠里だが……。 ...
クイーンの”A Night At The Opera”(オペラ座の夜)というアルバムをもじって “A Night At The Kabuki”(歌舞伎座の夜)という副題がつけられた舞台。Q はもちろんクイーンの Q だろう。音楽が全編にわたって使われているし今回の舞台の主役と言っても過言ではないだろう。 ...
富田靖子主演、作の長塚圭史本人による演出による初演の舞台を2006年にみているが。すっかり内容を忘れていた。 地震で壊滅状態の東京が舞台。余震におびえながら復興は遅々として進まない。食糧や生活必需品は配給になり不足状態が続き。自警団と称する団体による外国人に対するヘイトや暴力が横行する。今思うと、あの頃は絵空事だったが、東日本大震災を経験し台風16号通過後の千葉の惨状みた今、とてもリアルに感じた。予言的な作品といっていいかもしれない。 ...
おそらくは兵庫県あたりの海沿い、薄い壁を隔てて鏡像のように並ぶ安アパートの2室。 左側にすむのは今年53歳の漁師蘆田剛史だ。彼は天涯孤独だが小さな漁船の船長であり、毎日若い仲間たちとと飲み食いしながら楽しくやっている。 ...
四代目鶴屋南北の歌舞伎『桜姫東文章』が原作であることはそのストーリーも含めて見終わった後知った。 そうしてみると舞台をみてあっけにとられた物語展開のうちそれなりの部分が原作のお手柄だということがわかった。しかし、舞台と原作はまったく別物だ。年代が江戸から昭和の戦争前後に移しかえられていて(開演前や幕間に流れる昭和歌謡がいい)、清玄は貧しい孤児を助ける篤志家、桜姫は金持ちに見初められた元孤児という設定だ。おまけに桜姫は吉田という名でこの物語の因縁の外にいて、ギリシャ悲劇のコロス的なバンドの導きによって、自らの意志で桜姫になるのだ。 ...
全編アルゼンチン出身(1人はブラジル。セリフが少なかったのはスペイン語が母語ではないせいかもしれない)の俳優たちのスペイン語による公演で英語と日本語の字幕がついた。 ...
2008年の再演らしいけど、みた記憶も記録もないので、たまたま見逃してしまったのだろう。 仕事もお金もなく元カノの家に居候し続けている男が主人公。やることといえば、拾ったファミコンで古いRPGをプレイすることだけだ。過去と現在の交錯、無為に流れてゆく時間。五反田団の特徴的な要素が詰め込まれている作品だ。 ...
これまでベテラン俳優を使って数々のメロドラマを作りあげてきた岩松了が今回は20代主体の若手キャストで挑む。 染色会社の二代目社長の田宮慎一郎は結婚して一年の妻いずみや従業員たちと別荘に避暑に来ていたが、急な仕事が入り、いずみの相手をさせるため後輩の北島を呼ぶ。周囲の噂になる二人に対し、慎一郎はむしろ噂や忠告をする者たちを責める。 ...
あれ、主人公はビビという名前じゃないんだというのが第一印象。それもそのはず。タイトルは『ビビは見た!』ではなく『ビビを見た!』だった。誰が見たかというと、ホタルという生まれつき盲目の少年。彼は謎の声により7時間だけ視力を与えられる。その代わりそれ以外の人々から視覚が失われ、折しも「敵」という謎の存在が街に近づいて大パニックが発生する。 ...
ウディ・アレン『カイロの紫のバラ』の飜案。舞台は1930年代の日本の梟島という架空の離島に移しかえられているが、基本的なストーリー展開は同じ。恵まれない人妻が毎日のように映画館で買い詰めるうち、贔屓の俳優が演じるキャラクターがスクリーンの向こうからこちらに声をかけてくるというファンタジー。 ...