観劇ダブルヘッダーによる疲労と、直前にワインを若干多めにのんでしまったため集中力を欠いていたことをまずお詫びしなくてはいけない。 ...
みたことのない野田秀樹の名作戯曲をこれまたみたことのない新進気鋭の演出家の演出でという一石二鳥がまんまとあたった。 ある孤島に外国人の男が流れ着く。島の人間たちは彼を「赤鬼」と呼んで恐れ迫害する。そんな中、母親がよそ者だったため島の人間から「あの女」と呼ばれる女が、「赤鬼」と近づき、言葉が通じるようになっていく。そこにからむ、みんなから「足りない」といわれている女の兄とんび、そして幼い頃から島の外の世界を夢みて嘘つきよばわりされてきた男水銀。 ...
自動車が時速40kmで歩行者と衝突してしまう。ところが歩行者はかすり傷ひとつなし。助手席に乗っていた人が生死に関わる重傷を負う。まるで、透明な壁にぶつかったみたいに……。という奇妙な事故の目撃者が集められた場で、一人が奇妙な仮説をとなえる。世の中には「ドミノ」という自分の欲望や願望を思うがままに実現できる人たちがいて、ケガをしなかった歩行者の兄森魚が無意識的にその能力を発揮したのではないかというのだ。彼は森魚の監視を提案する……。 ...
岸田國士の一幕劇を数編とりまぜて上演する企画の第二弾。(ついこの間のような気がするが、第一弾はもう七年も前だった)。今回も七篇の小品を巧みにシャッフルして構成している。『恋愛恐怖病』の恋愛や結婚をおそれて友情を守ろうとする男女の関係は現代的だし、『麺麭屋文六の思案』でほうき星が地球に衝突すると騒ぐのはSFみたいだった。前作同様カラフルでモダンな和服が美しい。昭和初期の言葉遣いが耳に小気味いい。 役者陣では特に藤田秀世さんがよかった。『恋愛恐怖病』の恋敵の男、『長閑なる反目』の人のいい大家という大局的な役を見事に演じていた。 ...
2回目のシベ少。本編のストーリーは無駄にシリアス風味の学園青春もの。そこに、今回出演者としてクレジットされていない先輩劇団員3人が乱入して舞台上で好き勝手をして、ストーリー進行の邪魔をする。おかしかった。いい感じに笑いをもたらしてくれた。 ...
初3311。かつて学校の教室だった凝縮された空間での観劇。隣の「教室」でパーティみたいなことやっているからどうなることかと思ったが、開演と同時に撤収してくれた。 ...
ぼくが演劇をみはじめたのは世紀末も押し迫ってからからなので、1990年代前半のヒネミシリーズには立ち会えてない。ヒネミシリーズは今はもうないヒネミという田舎町を舞台にしたサーガ的な作品群で、『ヒネミの商人』はそのヒネミシリーズの2作目だ。この作品単独ではヒネミという町が今はもうないことはわからない。ただ、(初演の1993年当時からも)過去の話であることは、人々のお金に対する鷹揚な態度やいちまんえんの肖像が聖徳太子であることからわかる。 ...
つい最近『悪霊』を読んだタイミングで今回の上演。グッドタイミングというしかない。 長大な小説だし、地点なので、ストレートな演劇化ではない。舞台には雪が降っていて、池に見立てられたとおぼしき中央の沈み込んだ穴のまわりを安部聡子さんがハイペースでジョギングしているシーンからはじまってまず舞台の美しさと奇抜さに度肝をぬかれる。彼女には物語の語り手G(小説では男性でほとんど描写らしい描写はされていない)の役柄が割り当てられていて、そのほかの俳優にも小説の登場人物が割り当てられているが、その役柄を演じるというのでなく、なんというかむしろリーディングに近い。その人の言葉を独特な抑揚や発音で読むのだ(Gに顕著だがたまに他の人の言葉を読んだりもする)。登場人物たちはほぼジョギングをしているか互いに柔道の組み手のようなことをしている。 ...
前作のチェーホフ『カモメ』を上演しようとする若者たちの姿を描いた群像劇から3年ぶりの岩松了セルフプロデュース公演。思いおこせば前回は地震の直後で不透明感漂う中での観劇だった。 今回も演劇を上演しようとしているというシチュエーションは同じ。題材は四谷怪談。その中から毒で顔がただれたお岩に対して伊右衛門にそそのかされた按摩の宅悦が不義密通をしかける場面にスポットを当て、この異形のカップルの恋愛譚にしたてようとしている。俳優陣は半分くらい入れ替わっているが主要なメンバーは共通。前回主演女優役だった安藤聖さん(役名も同じ)が劇作家になっていて、彼女の目に映るさまざまな異形のカップルたちが創作のよすがとなる。 ...
これまでシュールで抽象的な人間関係を描いてきた田川啓介が、若干リアルに寄って家族というものに向き合おうとした作品。 引きこもりの息子、共依存の母親、家庭から逃避している父親、嫁ぎ先から一時帰宅の娘の4人家族。父親は母親に内緒で大山登山スクールというスパルタ施設に息子を送り込もうとする。大山登山スクールはその名の通り戸塚ヨットスクールを彷彿とさせる差別的で暴力的な団体なのだが、実際彼らにとっての希望はこれしかないのだ。息子も最後は自ら参加しようとする。父親は感化されてこれまでの不満をぶちまけ父権的にふるまおうとするが、それが家族の最後のたがをはずすことになる。娘は夫をペットのように扱い、人間として向き合うことができない。 ...
大雪の中転んで強かに腰をうちつけるもどうにか会場にたどりついた。こんな悪天候にもかかわらず意外にも盛況。 4編のコント集。ストーリーは独立しているが、一部の登場人物が共通して微妙な統一性がある。 ...
遅ればせながら今年初めての観劇。 シェークスピアの有名な戯曲『ジュリアス・シーザー』からタイトルはとっているが、実際はその中のこれまた有名なセリフ「ブルータスお前もか」の「も」について書いたという作品。だからシーザーもブルータスも出てこない。 ...
2013年最後の観劇。下北沢で観るのは久しぶりだ。 直人と倉持の会初回だが、竹中直人自身は脇にまわっている。スキャンダルに疲れて人気女優トワコが久しぶりに故郷に帰ってくると、ちょうど恩師の送別会兼同窓会が行われていた。誰からともなく、高校時代自殺した人気者の男子のことを口にし、その謎めいた死に再び光があてられる……。 ...
衰退と戦争のふちにある近未来の日本。ある家族を通して生者と死者それぞれの倫理の葛藤を描く。 母は亡くなって地面の下で眠っている。いや幽霊として歩き回っている。その姿は長男由多加の妻遥には見える。しかし彼女は霊の存在やささやかな要求を徹底的に無視する。対照的なのが次男由起夫だ。ことあるごとに母の墓を訪れて話しかける。ただし彼には母の霊はみえない。母(幽霊だが)、由起夫、そして由多加・遥夫婦の間に越えられない壁がある。 ...
メロドラマだった。 松田正隆脚本の舞台をみるのは9年ぶりくらい。よく平田オリザとくんでいたときに見にいっていたがその叙情、美学(滅びの美学とでもいおうか)がすばらしかった。途中からグロテスクで過剰に観念的になってきてしまってあれと思っている間にこのコラボレーションがなくなり、観る機会がなくなっていた。最近はより観念的で洗練された作品を書いているようなことをちらほら耳にし、しばらくぶりにみようと思ったのだ。 ...
見ててきょとんとしてしまった。「プロローグ?」のクエスチョンマークが頭に張り付いて離れない感じ。 福島原発事故をテーマにした抽象的で詩のようなテキストだ。それを(単純なリーディングではなく)演劇化するのはたぶん2つの方法がある。愚直になるのを恐れずにテキストに寄り添ってそれをわかりやすく提示するか、テキストを外部化して「内容」は別の形で象徴的に提示するか、どちらかだ。今回の上演では後者の方法がとられている。テキストは分解され再構成されて俳優たちの動きや音楽が恣意的にはさみこまれる。おそらくそこでは原発事故をめぐる何かが象徴的に表出されていたのだろうけど、オーストリアという福島から遠い場所で書かれたテキストだけどぼくもまたそれと同じくらい福島から隔たっていて、そのリアリティをうまくうけとめることができなかった。 ...
二年前この三鷹で上演された『探索』につづいて、また劇場職員の森元さんが前口上およびそれに引き続いて殺される役で登場する。前回は戸惑いが感じられたが今回は楽しんでやっておられるご様子だった。 城山羊の会で一番好きなのは悪夢的なたたみかける不条理さなんだけど、今回はいきなり悪夢のシーンからはじまる。短大生の妙子が熱にうなされて、森元さん演じる父親が拳銃で兄に撃たれる夢をみる。実際には父親は病気で亡くなったのだ。夢からさめても悪夢の要素が入り混じってきてどこまで現実なのかわからないのはよかったが、今回ちょっと悪夢のドライブ感が弱くてもやもやしたまま話が進んでいく。 ...
これまでのサンプルの作品はすべてこの作品への布石だったのかもしれない。そう思わせるような最高傑作。 生みの母を妻にして子供までつくってしまうオイディプス王のギリシア悲劇をベースに、血のつながらない娘との関係に悩む家族、桃太郎と名乗る妙なカリスマのある男、電脳空間をかけめぐる仮想人格マネキン、新天地を夢見るバイオ実験から生まれた知性のあるネズミなど、現代社会のアクチュアリティーとSF的な想像力を取り入れて新しい神話を紡ぎだしている。 ...
第二弾は見逃したので、第一弾以来のシダの群れ。阿部サダヲ演じる森本という男以外は新顔だが、劇中第一弾の登場人物に対する言及がある。わからなくても問題はないが、第一弾を見ていたほうが森本という不可解な男に対する理解は深まるだろう。 今回もゴッドファーザー的なヤクザたちの友情と裏切りの物語だが、小泉今日子演じる酒場の歌手ジニーがそこにからんでくる。第一弾では予定調和の物語を突き崩すパワーを放った森本の実存が、ジニーの存在によってかすんでしまい、単なるかわいそうで危険なアスペルガーに堕してしまった気がする。紋切り型を楽しむ企画とはいえ、ジニーの存在もあまりに紋切り型だった。 ...
もう風は吹かない 財政が破綻した近未来の日本。青年海外協力隊の廃止が決まり、最後の派遣隊員となる若者たちの、訓練所を舞台にした群像劇だ。訓練生の間の恋愛、ドロップアウトして退所する者、所内での飲酒禁止をやぶる、本部からの視察など、人間模様のおもしろさを味わいつつも、それを通じて社会がみえてくる。 ...