人里離れた辺境の湯治場に人形芝居をやる父と息子二人がやってくる。手紙で余興を依頼されたのだ。しかしそこは管理者のいない宿で、手紙を出した人も見あたらないのだった。帰りのバスもなくなり二人は仕方なく宿に一泊することにする。その宿にいるのは近所の村からきた湯治客のおたきさんという老女、盲目の青年松尾、近くの温泉街の芸者二人、屈強だが唖で文盲の三助だ。 ...
野の上ははじめてで、「の」の上だから「ね」かなとわけのわからないことを思っていたが、実はこの間みたホエイ『雲の脂』と作・演出の人が同じだった。野の上は津軽に本拠を置く劇団で俳優陣も津軽在住の人が多いそうだが、今回はオール東京キャストで限りなくホエイに近い気がする。ただ、舞台で話される言葉の8割以上が津軽弁であることが違いといえば違いなのかもしれない。 ...
こどももおとなも楽しめる芝居という触れ込み。舞台の手前と奥に境界があって、向こう側が鏡の中という設定。手前の世界の海軍士官タナカと向こう側のカナタ。二人は互いの存在に気がつき、友人になる。毎日ピザの配達にやってくる配達員は実は女性でコイケと名乗った(長塚圭史の女装)。彼女にも鏡の中の分身がいて名前はケイコ、松たか子が演じている。自信家で積極的なコイケと引っ込み思案で自己評価の低いケイコなにかと対照的な二人だが、男たちはどちらもケイコに恋をし、コイケの存在を邪魔に感じ始める。彼らはコイケを亡き者にし、そのあとでどちらがケイコと恋人になるか決めることにする……。 ...
何公演かスキップして久々の水素74%。変わってなさに驚く。登場人物たちは誰もが他者からの全面的な無条件の承認を求めている。太宰治作品をモチーフにした演劇公演ということだが、ぼくが太宰をほとんど読んでないこともあってどこがそうだかよくわからなかった。 ...
「ファイナル」と銘打ったシティボーイズ3人だけの公演。作・演出に五反田団の前田司郎を迎えて、五反田団的な日常感覚と宇宙的シュールさが直結する笑いと、老境ど真ん中のシティボーイズ3人のゆるさが共鳴していたのではないだろうか。団地のゴミ捨て場でゴミの番をする初老男性3人の物語。 ...
少年時代の平田オリザ自身の体験をベースにイスタンブールの安宿に集う日本人を描いた『冒険王』の続編。前作は1980年の設定だったが、今回は2002年の同じ宿を舞台にしている。正確には2002年6月18日、日韓共催だったワールドカップ日本が敗退し韓国が準々決勝進出を決めた日だ。ちょうど韓国-イタリア戦の試合時間が舞台の時間に重なっている。 前作では東アジア系は日本人ばかりだった宿の客も韓国の経済発展、自由化に伴い韓国人が増えている。登場人物も半数は韓国人で、共同脚本、共同演出としてソン・ギウンという韓国の演劇人が入っている。 ...
実質的には大谷能生さんのひとり芝居。大きな枠でいうとチェルフィッチュ系で(それも当然で作・演出・振付の山縣太一さんはチェルフィッチュの主要なプレイヤーのひとりでまさにその世界観を作りあげてきた人だ)、つまり俳優が奇妙な痙攣的な動きとともに日常的な出来事をモノローグ的に語るというダンスと演劇の融合的なスタイルだ。今回の作品はそれをかなりダンスよりに動かしている。つまり、動きはとてもハードになり(終演後の大谷さんの疲労困憊ぶりがとても微笑ましかった)、物語はほぼ静止したまま動かない。 ...
前作『トロワグロ』で岸田戯曲賞を受賞して満を持しての新作。 河原のオンボロ借家に住む貧しい兄妹のもとに大家がたまった家賃のとりたてにやってくる。その大家もこわもての不動産屋に金を借りていて切羽詰まっている。借家に大家、不動産屋、その水商売の彼女が集まって一悶着起こる中、近所に住む一見無関係な大学教師夫婦が散歩にやってくる……。 ...
新作かと思ったら、2010年に上演した『プランクトンの踊り場』という作品を改題したものらしい。いずれにせよぼくは初見。 アイディアがとにかく秀逸。過去に謎めいた餓死事件が起き、テナントが入ってもすぐに廃業してしまい、よくない噂がたっている場所。そこで今度はドッペルゲンガー騒ぎが起きる……。 ...
なんと6年ぶりの拙者ムニエルの公演。実質解散状態だと思っていたので、まさかこんな日がくるとは思ってもみなかった。嬉しい誤算だ。 ...
ほんとうは先週見るはずだったのだが、仕事のトラブルでチケットをふいにして、再チャレンジした。 岩松了の1989年の戯曲だ。娘の結婚式の日の夜、畳に蒲団が二組敷かれた古い日本家屋の夫婦の部屋。いかにも小津映画的なシチュエーションだが、登場人物やその間の関係性はかなり異形だ。夫は謹厳な高校教師だが性的な欲望が強い。若い後妻である妻はその欲望を受けとめきれず落ち着ける居場所を求めてアパートを借りようとしている。そういう緊張感をはらむ夫婦の寝室にいれかわりたちかわり奇妙な人々が訪れる。体調を崩したバスの運転手、不安定で共依存的な妻の弟夫婦、近くのアパートにひとりで暮らす夫の妹、住み込みの家政婦、近所の飲み友達、そして妻の前夫。 ...
岩松版『家政婦は見た』かと思いきや予想もつかない展開。 弁護士水島慎一郎と経団連会長の娘瞳子はかつて瞳子が容疑者となった殺人事件の弁護で知り合い、無罪を勝ち得、その後愛しあうようになり結婚した。庭付きの古い洋館に居を構え幸福な日々を迎えているかのように見えたある日、昔の事件の真相を知っているという男が現れる……。 ...
チェーホフの戯曲の中でも三人姉妹はとりわけなじみ深い作品だ。とにかく上演機会が多いし、登場人物が魅力的だったり、ストーリーに明暗の陰影がわかりやすくきいてるので、印象に強く残る。ぼくも原作を読んでいることもあって強い既視感があったのだが、実際舞台でみたのは2002年の岩松了演出版と2008年の地点版の2回で、後者はかなりデフォルメされている演出だった。今回観てみて細部をほとんど忘れていることに驚かされた。忘却万歳! ...
はじめての岡崎藝術座。 日系移民の子孫としてペルーで生まれ日本で育った作・演出の神里雄大さんの私小説的な作品だ。沖縄の親戚と祖先の墓からほとんど記憶にないが生まれ故郷であるペルーに祖母を訪ねた自分のルーツをたどる旅を題材に、日本出身で左翼弾圧から逃れて世界中を転々とした末メキシコ演劇の父と呼ばれるようになった佐野磧をイマジナリーフレンド的に登場させる。 ...
過疎が進んだ地域の海に面した神社が舞台。氏子の減少で、最近では捨てるに捨てられない不要になった宗教的な遺物をひきとるサービスをして糊口をしのいでいた。そんなある日海岸に一番近い鳥居が倒壊し、それから徐々に境内が崩落していき、白鳥たちが血を吐いて死ぬなどということが起きる。まるでこの神社の終わりを告げるかのように……。 ...
新年初観劇。 真実が婚約者であるあつしの実家に招かれていってみるとそこには七小福という奇妙な七人の人たちがいた。彼らはみな孤児で、イェン先生という奇妙な指導者の下孤立して自分たちの能力を磨いてきたという。あつしは彼らの中の二人からうまれた子供だったのだ。彼らからふるまわれたお茶をのむと、真実は悶絶し、自分の意識の奥底へとおりてゆく。そこに待っていたのは幼少時代のトラウマだった。そのおそろしさに七小福の面々も怖気を震う……。 ...
コンビニを舞台にしたコンビニがテーマの作品。登場人物は7人。中間管理職の悲哀をにじませる雇われ店長。店を担当する本社社員まみやSV。店長に対して終始居丈高だが彼もまたノルマに縛られている。バイトのいがらしとうさみ。うさみはコンビニを愛しているがいがらしはビジネスライクであり他の従業員にも過剰なサービスを提供しないように言う。そこに新人バイトみずたにが加わる。そしていつもコンビニをディスるだけディスって何も買わずに買わずに帰る客と、特定の銘柄のアイスクリームを毎日買うほど大好きな客。そのアイスクリームはある日を境に販売中止になってしまう。その進化形のバージョンと思われる新商品スーパープレミアムソフトWバニラリッチが発売されることを聞きつけたみずたには、そのことを客に伝える……。 ...
タイトルはあまり内容に関係ない。スーツ姿の男がオフィスでひとりで残業をしている。タバコを吸おうとしてライターがつかず、ふと訪れる空白の時間。突然デスクの間から道化服の男が這い出してくる。彼はオフィスの中のデスクも椅子もダンボールであることを指摘し、放り投げてみせ、ここがヴァーチャルな世界に過ぎないことを示唆する。そして自分は彼の友達だと自己紹介し、彼の赤ん坊時代、少年時代を追体験させる。 ...
近所や取引先の人を招待してのホームパーティーが舞台。夜がふけてほとんどの客が帰り、残ったのは、ホストの添島夫妻のほかは、デザイナーの斉藤夫妻、たまたま同姓で病み上がりの斉藤雅人、トヨタの社員で遅れてやって来た田ノ浦のみ。あとから添島家のひとり息子が帰宅する。 ...
もともと別役さんの新作を上演することになっていたが、病気のため執筆できずということで、急遽旧作の上演ということになった。なんかそそらないタイトルだけど、中身は大変おもしろおかしく、しかも今この時代の状況が射程に入った深い作品だった。 ...