『雲の脂』、『珈琲法要』ときてホエイをみるのは3作目だが、今回が一番おもしろかった。 太平洋戦争の戦況が厳しさを増す1944年、北海道の麦畑が広がる平野に突然火山が隆起した史実(当初はその事実は機密とされ、のちに昭和新山と呼ばれる)に題材をとった作品だ。見る前は、話題の映画シン・ゴジラ(見てないが)的に職務を遂行する人々の姿を描いた作品なのではないかと勝手に思っていたが、違った。 ...
休憩2回挟んで4時間の長尺。舞台の上でとりたてて何かがおきるわけではないのに、飽きることはまったくなかった。 戯曲の冒頭に「時…現代」と書いてあるが、その現代というのは1940年。太平洋戦争がはじまる前年だが、すでに日中戦争は泥沼に入り、物資も不足するようになっていた。主人公の画家久我五郎は結核を患う妻美緒の療養のため千葉市郊外の海岸で暮らしている。彼自身は創作意欲を失い、絵本の仕事で食いつないでいるが、家賃も満足に払えず借金を重ねている。役者は12人登場するがこの夫婦2人の物語といっていい。 ...
平田オリザ8年ぶりの新作書き下ろしとのこと。前作『眠れない夜なんてない』が沈みゆく日本から逃げ出した人を描いていたとすれば、本作は残った人々を描いた作品といえる。 舞台は現代日本の地方都市。そこで困難に直面した住民の相談窓口となって一次対応をおこなうサポートセンターの人々を描く。指定管理者という立場で市から委託されNPOが運営しているとか、学校の授業でインターンとしてやってきている学生たちがいるとか福祉の今がよくわかる。 ...
キュイダブルヘッダー2作目。もともとひとり芝居として書かれた戯曲を3人の俳優に割り振ったそうだ。あるときからまったく眠れなくなってしまった女性。実はそれはセックスで感染する性病だった。それに気づいた同僚によって彼女は不眠を社会に広げていくためのキャリアとして利用される……。という『止まらない子供たちが……』と比較すると圧倒的に濃密なSF風味の物語世界。夜の部屋の薄暗がり、ゆったりした日常の動き、静かに折り重なる声などの演出も素晴らしい。 ...
キュイダブルヘッダーの1本目。まったく前提知識なしにはじめてのキュイだったのだが思ったよりずっと楽しめた。若い世代のつくる演劇は情感ドリブンのものが多い気がしていたけど、綾門優季の戯曲は言葉の放つパワーが生半可でない。そのパワーの強烈さ故に上滑りしかねない戯曲を適切にサンプリングしてリズミカルに舞台の上でまとめあげる得地弘基の演出がこれまた素晴らしい。ふたりの方向性はかなり異なっているように思われるのだけど、それだからこそコラボレーションがうまくいっている気がする。 ...
かなり間があいて3度目のシベ少。黒服の登場人物たちによってある犯罪グループのノワールみたいな物語が展開する。なぜかそれぞれカードを持っていて、なにか話すごとに一枚ずつテーブルの上に置いていくのでわけもわからずにやついてしまう。その理由は前半の最後の方で判明してそれを受けての怒濤の後半に突入する。そこでは同じ言葉がまったく別の意味を帯びて登場するのだ……。 ...
前作『海底で履く靴には紐が無い』から1年が経過していることに驚かされた。ほぼ大谷能生さんのひとり芝居だった前作とはことなって今回は集団劇。オーディションで選ばれた若い俳優たちが出演している。 夫がリストラで主夫になり妻がスーパーに働きに出た夫婦を大谷能生、松村翔子の常連が演じ、その他の俳優はスーパーの同僚役。ラップのような軽口のようなモノローグと奇妙にねじれた身体の動き、そして、どこに連れて行かれるのかと思っているとどこにも行こうともしなかったのは前作と同じだ。 ...
人類が2つの種キュリオとノクスに分かれた近未来。キュリオというのは今のぼくたちと同じ不完全な種族だが、ノクスはより頑健で自己統制がきき老化もしない。ただし、一つだけ大きな弱点があって、太陽の光を浴びると致死的なダメージを受けるのだ。キュリオがノクスになる方法は存在するが、なぜかその数は制限されている(その理由は劇の中で明示されない)。今やノクスがマジョリティーになりキュリオは限られた地域に暮らしている。 ...
ロロの読み方もはっきりしないまま(クチクチやシカクシカクの可能性を排除できなかった)初観劇。同じ姓の三浦大輔との連想からワイルドでドロドロした芝居を想像したり、タイトルから喪失感あふれる恋愛ものを想像したりしていたが、どちらも全く的外れでいい意味で裏切られた。 ...
アメリカで2007年に初演され高い評価を勝ち得た戯曲。メリル・ストリープとジュリー・ロバーツ主演で映画化もされている。 オクラホマ州オーセージ郡、大草原の片隅で二人だけで暮らす夫婦。夫ベヴァリーは元詩人で現アル中。妻ヴァイオレットはガンの闘病中で薬物の過剰摂取。うだるような8月、住み込みで家事を見てもらうネイティヴ・アメリカンの娘ジョナを雇い入れた数日後にベヴァリーは失踪する。そして……。久しぶりに集まった三人の40代の娘バーバラ、アイヴィ、カレンとヴァイオレットの妹マティ・フェイ家族。ヴァイオレットは、薬の作用もあり、彼らの心の傷を毒舌で激しく攻撃する……。 ...
初めてのナカゴー。最初洋食屋を舞台にした人情ものかと思うが、いい意味で期待が裏切られ、まさかのホラー展開。しかもよくできた落語のオチみたいに怒涛のハッピーエンド?になだれ込んだ。 ...
演劇活動開始当初より「青年団の山内健司さんとは別人の」と名乗り続けてきた城山羊の会の山内ケンジ(本名は山内健司)が満を持してその青年団の山内健司とタッグを組む。主演は山内健司、その他の俳優陣も全員青年団だ。 ...
ぼくは初演から4年後の1998年に戯曲の作者の平田オリザ自身の演出で見ている(そのあと2007年にも見ている)。その時はヨーロッパの戦争で有名な絵画が避難してきていて日本も戦争に巻き込まれそうになって徴兵の話まで囁かれているという状況が絵空事に感じられたものだけど、今や数年後のシナリオとして十分ありうる状況なのがすごい。 さて今回は「静かなる演劇」の代表作ともいえるこの作品をサンプリングして、役を複数人に割り振り、それを早いスピードでシャッフルしてゆく。大変賑やかな舞台になっていた。 ...
定年を迎え悠々自適の生活の元教師の夫野村と年の離れた後妻雪子、そして婚家から出戻り中の先妻との間の娘かすみ。かすみの夫石塚は舞台に登場せず、代わりに彼からのメッセンジャーとして部下の若者多田が定期的にやってくる。実は多田は雪子に会いにきているのではないかと、かすみは疑いの目を向ける。そこに石津から送り込まれたもう一人のメッセンジャー青木が登場する……。 ...
タイトルが長い! 何より哲学者、しかもその人生だけでなく哲学にもスポットライトをあてる演劇を作るという試みが素晴らしい。「およそ語り得ることについては明晰に語られ得る/しかし語りえぬことについて人は沈黙せねばならない」という彼の主著『論理哲学論考』の末尾のあまりにも有名な言葉。結構誤解含みで解釈されることが多い言葉だけど、この作品の中でその誕生の瞬間に立会って、意味を解きほぐそうとしている。語り得ないものについてはウィトゲンシュタイン独特の「独我論」を持ち出すべきなんだろうけどここでは神を使っている。それでも間違いというわけじゃないしわかりやすさを犠牲にしなくてかえってよかった気がする。神の象徴として携帯用のウイスキー瓶がテーブルに置かれた時背筋がぞくっとした。 ...
「人魚」についての物語。 野田秀樹が作り出す物語は、前半荒唐無稽ともいえる言葉遊びと比喩の奔流から、後半一転してシリアスなテーマが浮かび上がってくるという構造が共通している。前半軽快に浮いていた言葉が後半で繰り返されるときにはずしりと響くのだ。今回も、そうくるかという感じで、見事な展開だった。 ...
プリミティヴで奇怪な面をつけた俳優5人がひとりずつ舞台にあらわれ全員揃ったところで、一斉に足を踏み鳴らし、面の裏からどこから出しているかわからない奇妙な音を発し民族音楽のセッションみたいになる。それが収まるとともに突然一人が朗々と語り始める。 ...
岩井秀人の自分史演劇化シリーズの最新作。今回は、理不尽な暴力で子供たちを押さえつけてきた父親の死が描かれる。電話で母から呼び出されて病院にいってみると父親は見る影なくやつれて死に瀕していた。彼は家族全員が揃ったその日のうちに亡くなる。その死の裏には医療ミスがあったんじゃないかと原因を追及する中で自身が有能な医師だった父親の職業意識に触れ、遅ればせながら心の中で微かな和解を果たすというストーリー。いや和解というより理解というべきか。もちろん、それで過去の暴力を赦すわけではまったくないのだが。それにしても、こういう崩壊した家族の物語は特別な感情なしに見られない。 ...
まったく予備知識なしでチラシに書かれていた「美しき数式戯曲エンターテインメント」という惹句を見て見にいくことにした。どの辺が数式かというと、戯曲の一部の役名やセリフが数式みたいな形式で書かれている。数学的に厳密な数式ではなく、数学記号に接続詞的な役割をもたせたなんか不思議な記法だ。アフタートークでの話によると作・演出の佐々木透さんは上演ではなく戯曲を第一の成果物と捉えているタイプの人らしく、それをどう上演するかは特に決めてなかったそうだ。実際どうなったかというと、ブライアリー・ロングさんがフランス語と英語で数式をそのまま読み上げていた。彼女はまったく疑問をもたずそうしてそれがそのまま採用されたようだ。数式は字幕にも表示される。 ...
史実に基づいた物語。 19世紀初頭江戸幕府の封建鎖国体制が続く日本に対してロシアは開国を求めて度々南下してきていた。そこで幕府は弘前藩に命じて藩士、領民を動員して蝦夷地の警護に当たらせる。ロシアからの攻撃はまったくなかったが、寒さと栄養失調により彼らは次々と病に斃れてゆき、7割以上が死ぬ大惨事になった。 ...