オフィスコットーネプロデュース『ザ・ダーク』

ホラーっぽいタイトルだがさにあらず。現代の家族劇。2004年にロンドンで初演されている。 とあるストリートに隣り合って住む、倦怠期の中年夫婦と引きこもりの息子、赤ん坊が生まれたばかりの若夫婦、そして幼児性愛の濡れ衣を着せられた男とその置いた母親。ふだんあいさつもかわさないこの3組の家族が停電の夜繰り広げるつかの間のふれあいを描く。 ...

無隣館若手自主企画/松村企画『こしらえる』

冒頭は山縣太一による振り付きの現代詩の朗読のようなシーンからはじまり、暗転の後いきなりフレンチレストランを舞台としたべたな物語に切り替わる。行方不明のパティシエとスタッフ同士の不倫。台詞もクリシェの応酬で居心地の悪さを感じつつもこのベタさが癖になりそうになってきたところで驚きの展開。そして最後のどんでん返しへとつながってゆく。 ...

庭劇団ペニノ『ダークマスター』

アゴラの空間に年季の入った洋食屋のセットが出現していた。客席にはひとりひとりにイヤフォンが用意されている。 大阪のはずれのとある洋食屋。早めに閉店してマスターがひとりで酒を飲んでいるところに旅行者の青年が入ってくる。最初追い返そうとするが結局オムライスまでふるまう。そして唐突に自分が遠隔で教えるからこの店のマスターをやらないかと誘って超小型のイヤフォンを見せる……。 ...

野田地図『足跡姫 時代錯誤冬幽霊』

亡き中村勘三郎へのオマージュと謳った作品。そのオマージュは本人に直接ではなく主に歌舞伎を介して捧げられている。 今の歌舞伎の源流を形作った出雲阿国と猿若勘三郎(初代中村勘三郎)を彷彿とさせる三、四代目出雲阿国と淋しがり屋サルワカの二人が安寿と厨子王的な姉弟の設定で旅芸人の一座に加わり各地を放浪している。姉の夢はお城の将軍の前で踊りを披露することだ。弟は穴をほるのが趣味だが、姉のために台本を書き上げようとしている。 ...

サンプル『ブリッジ 〜モツ宇宙へのいざない〜』

松の内の意味がよくわからないけど松の内が開けて今年初の観劇。6月に本公演の作品のワーク・イン・プログレスだそうだ。 人は誰も自分の腸にモツ宇宙を持ちやがて腸から裏返って人間を超えた存在になることができるという教義をもつユニークな新興宗教のセミナーという体で舞台は進行する。観客はそのセミナーに聴衆として参加している一般客ということになっている。 ...

『ルーツ』

古細菌の研究者である小野寺は古細菌が生息するといわれる鉱山に赴くため鳴瀬という過疎の集落を訪ねる。鉱山は数十年前に鉱毒のため廃山となり、住民は差別にさらされひっそりと暮らしてきた。小野寺は最初拒絶されるが、徐々に村に溶け込み、古細菌研究は村発展のための希望とみなされる。しかし、小野寺はこの村の触れてはいけない謎に気がついてしまう。 ...

『シブヤから遠く離れて』

あまりにタイトル(ゴダールの『ベトナムから遠く離れて』のもじりだ)になじみがあって、観たことがあると勘違いしていた。内容をまったく思い出せないのもど忘れしているのだと思い込んでいた。実際は初演の蜷川幸雄演出版は観ていなかったわけだ。つまり今回の作者の岩松了本人演出版が初見。 ...

城山羊の会『自己紹介読本』

初対面でお互いに自己紹介し合うというのは演劇でとても重宝され多用されるシチュエーションだ。この作品は唐突な自己紹介からはじまり、玉突き的に紹介が連鎖していくという、そのことをパロディー化したような構成になっている。 ...

阿佐ヶ谷スパイダース『はたらくおとこ』

リンゴ農園そしてそのあとはじめた工場も失敗し、仕事がなくなりながらいくところがなく集まり続ける男たち。しかしとことん渋いリンゴを作るという夢は失っていなかった……。 ...

五反田団『pion』

男が女に交際を断られる。それでも男はめげずに友人関係を続けるが、女は動物園で檻の中の獣パイオンに運命的な恋をしてしまう。女は檻の中に入り込み、パイオンを人間にしようとする……。 ...

小田尚稔の演劇『是でいいのだ』

タイトルはドイツの哲学者カントの臨終の言葉から。彼の「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」という有名な言葉が何度か引用されるが、決して上滑りしたり浮ついたりすることはない。2011年3月の震災を軸に東京で暮らすふつうの若者たちの日常と地震によるそのほころびがモノローグで語られる。妙な身体の動きはないが語り口はチェルフィッチュ風だ。友だちに話しているような調子なんだけど微妙な人工くささが組み込まれている。 ...

ヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』

タイトルはハクスリーの『すばらしい新世界』のパロディーだが、ここでいう「新世界」は大阪の下町の新世界だ。新世界のさらにはずれにある大阪のおっさんたちが集う串揚げ屋が舞台。なにわの人情喜劇に転進かと思ったが、ちゃんといつものヨーロッパ企画だった。「新世界」にはダブルミーニングがかかっていて、近未来の技術(といってもほぼ今話題の技術の延長線ではあるが)がこの片隅にもやってきて否応なしに変化するさまが描かれている。ドローン、ロボット、人工知能、VR/AR、そして脳のバックアップ(最後のはまだSFの世界にしかないが)。おっさんたちはかなり積極的に新技術を使いこなしていた。 アヴァターとなって群れ飛ぶドローン、炊飯器に宿る知能、ヴァーチャルな恋人、宇宙中をかけまわる意識……。こんな新世界だったら早くきてもらいたい。全編余すところなくおもしろかった。 ...

遊園地再生事業団+こまばアゴラ劇場『子どもたちは未来のように笑う』

ちょっと考えると奇妙なタイトルだ。「未来のように笑う」。でも未来は笑わないし、そもそも未来が笑うというのはどういうことなのかわからない。この作品の中で子供たちは未来そのもの、つまりいい面も悪い面も不確定で未知なものとして扱われている。ある意味「無」そのものだ。無だからこそ、論理学の基礎的な帰結として「未来のように〜」の〜の部分にはどんな動詞でも当てはまる。その中から「笑う」が選ばれているのはおそらくこの舞台がとても笑えるからだ。往年の宮沢章夫作のシティボーイズのコントを思い出した(ぼくはほとんどヴィデオでみたが)。 ...

青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』

『雲の脂』、『珈琲法要』ときてホエイをみるのは3作目だが、今回が一番おもしろかった。 太平洋戦争の戦況が厳しさを増す1944年、北海道の麦畑が広がる平野に突然火山が隆起した史実(当初はその事実は機密とされ、のちに昭和新山と呼ばれる)に題材をとった作品だ。見る前は、話題の映画シン・ゴジラ(見てないが)的に職務を遂行する人々の姿を描いた作品なのではないかと勝手に思っていたが、違った。 ...

葛河思潮社『浮標』

休憩2回挟んで4時間の長尺。舞台の上でとりたてて何かがおきるわけではないのに、飽きることはまったくなかった。 戯曲の冒頭に「時…現代」と書いてあるが、その現代というのは1940年。太平洋戦争がはじまる前年だが、すでに日中戦争は泥沼に入り、物資も不足するようになっていた。主人公の画家久我五郎は結核を患う妻美緒の療養のため千葉市郊外の海岸で暮らしている。彼自身は創作意欲を失い、絵本の仕事で食いつないでいるが、家賃も満足に払えず借金を重ねている。役者は12人登場するがこの夫婦2人の物語といっていい。 ...

青年団『ニッポン・サポート・センター』

平田オリザ8年ぶりの新作書き下ろしとのこと。前作『眠れない夜なんてない』が沈みゆく日本から逃げ出した人を描いていたとすれば、本作は残った人々を描いた作品といえる。 舞台は現代日本の地方都市。そこで困難に直面した住民の相談窓口となって一次対応をおこなうサポートセンターの人々を描く。指定管理者という立場で市から委託されNPOが運営しているとか、学校の授業でインターンとしてやってきている学生たちがいるとか福祉の今がよくわかる。 ...

青年団リンク キュイ『不眠普及』

キュイダブルヘッダー2作目。もともとひとり芝居として書かれた戯曲を3人の俳優に割り振ったそうだ。あるときからまったく眠れなくなってしまった女性。実はそれはセックスで感染する性病だった。それに気づいた同僚によって彼女は不眠を社会に広げていくためのキャリアとして利用される……。という『止まらない子供たちが……』と比較すると圧倒的に濃密なSF風味の物語世界。夜の部屋の薄暗がり、ゆったりした日常の動き、静かに折り重なる声などの演出も素晴らしい。 ...

青年団リンク キュイ『止まらない子供たちが轢かれてゆく』

キュイダブルヘッダーの1本目。まったく前提知識なしにはじめてのキュイだったのだが思ったよりずっと楽しめた。若い世代のつくる演劇は情感ドリブンのものが多い気がしていたけど、綾門優季の戯曲は言葉の放つパワーが生半可でない。そのパワーの強烈さ故に上滑りしかねない戯曲を適切にサンプリングしてリズミカルに舞台の上でまとめあげる得地弘基の演出がこれまた素晴らしい。ふたりの方向性はかなり異なっているように思われるのだけど、それだからこそコラボレーションがうまくいっている気がする。 ...

シベリア少女鉄道『君がくれたラブストーリー』

かなり間があいて3度目のシベ少。黒服の登場人物たちによってある犯罪グループのノワールみたいな物語が展開する。なぜかそれぞれカードを持っていて、なにか話すごとに一枚ずつテーブルの上に置いていくのでわけもわからずにやついてしまう。その理由は前半の最後の方で判明してそれを受けての怒濤の後半に突入する。そこでは同じ言葉がまったく別の意味を帯びて登場するのだ……。 ...

『ドッグマンノーライフ』

前作『海底で履く靴には紐が無い』から1年が経過していることに驚かされた。ほぼ大谷能生さんのひとり芝居だった前作とはことなって今回は集団劇。オーディションで選ばれた若い俳優たちが出演している。 夫がリストラで主夫になり妻がスーパーに働きに出た夫婦を大谷能生、松村翔子の常連が演じ、その他の俳優はスーパーの同僚役。ラップのような軽口のようなモノローグと奇妙にねじれた身体の動き、そして、どこに連れて行かれるのかと思っているとどこにも行こうともしなかったのは前作と同じだ。 ...