イキウメの別館カタルシツ第1回目はドストエフスキーの小説『地下室の手記』の舞台化。ほぼ一人芝居になりそうで集中力がもつかどうかちょっと不安だったが、安井順平さんの語りが予想以上にすばらしくて飽きることがなかった。一人芝居は客席との対話なのだ。通常の俳優としての力量とは別の能力を要求される気がする。 ...
水商売の年下の恋人に小遣いをもらいながら暮らす無職中年男性が、恋人を待つ間に夢みる想像の世界〜どこかの広大な農場〜を舞台にしたミュージカル。この明るさ全開の歌と踊りにはあまり感情移入できなかったのだが、現実の世界にかえってきてからがよかった。スナックにつとめる恋人とパトロン男性のからみ、海をみたいときにトイレにいく(大意)という歌、すごくよかった。そしてラストシーンのなんともいえないほろ苦さ。 ...
初のシベ少。途中3/4くらいは、その乗りの過剰さを含めて小劇場演劇の王道をいく感じで、ただ各キャラクターに決めゼリフがあって、それをいったあとに録音された笑い声が入るのが往年のアメリカのシットコムみたいで、いまの小劇場演劇ではユニークだと思った。場所は昔ながらの喫茶店、勘違いキャラで切れると何をするかわからないこずえは五代(役名はみなめぞん一刻から借りている)と付き合っていると思い込んでいる。その五代はどうやら近くで別の女性との待ち合わせがある様子。まわりの人間たちは事を荒立てないためにさまざまな策略をこらすが、天性のいたずら娘、ウェイトレスの朱美のせいでどんどんはちゃめちゃになっていく。彼女がすべての問題の中心だったのだ。とまあ、たわいない現実性のないストーリーではあるんだけど、やはりそこにもアメリカのシットコムの乗りを感じて楽しめた。 ...
基本的に芝居の前には予習をしない。感動を最大化するには事前に余計な予備知識はない方がいいと思っていたからだ、でも、今回は多少なりとも補助線があればぼくの貧弱な想像力が正しい方向にジャンプできただろうとこぼしたミルクを嘆いてしまう。 ...
最初にはじめたのが誰なのかほんとうのところはわからないが、ぼくがこれまでみてきた範囲でいうと、チェルフィッチュが痙攣的な身体だの動き、振りつけとともにセリフをいう方法をはじめ、京都の劇団地点が、セリフに奇妙な抑揚や強弱をつけて異化する方法を編み出し、それを既存の戯曲に適用した。今、この二つの方法はそれなりに広く広まっているようだ。重力/Noteは初見でふだんはどうかわからないが、今回の公演ではその系譜に連なる手法をうまくとりいれている。 ...
あるオフィスの一室が舞台。美人で有能な部長の下、多忙をきわめている部署だが、いろいろな出来事の連鎖で社員の間で互いの間の好悪の感情があちこちで噴出し、仕事どころではなくなっていく。やがてそれが痛ましい事件、事故につながっていくわけだが、それでも彼らは仕事を続けるためと称してそれを隠蔽しようとする…… ...
前回の「まとめ」は短編集だったが、今回は長編。 見たものは誰でもとてつもない幸福感に恍惚とし飲み食いも何もできなくなってしまい、そのまま放置すると死に至るという不思議な隕石が落ちてきた数年後、同じ物質でできた巨大な柱が世界各地の都市に落下する。ある人口密度を越えると柱が落ちてくるという性質に気がついた人類は、都市を放棄し、農村に小さな共同体を築いて住みようになり、柱は覆い隠されて神格化されるようになる。そんな中、柱を直視できる新しい世代の若者たちが誕生しはじめ、世界はあらたなステージへと入る……。というSF巨編。 ...
去年の8月以来、9ヶ月ぶりの下北沢での観劇。 酒とつまみというのはナイロン100℃の村岡希美さんと元猫ニャーの池谷のぶえさんのユニット。 ...
2004年つまり9年前の作品の再演だからなのか、前田司郎というより平田オリザが書きそうな家族劇だった。入退院をくりかえす病弱な三女を中心にした四人姉妹の物語。にぎやかな子供時代と病室で過ごす現在が交互に淡々と描かれる。 ...
最初ペニノじゃなくベニノだと思っていた。ペニノだとなんだか間抜けな感じだし、なんかアレに似ていておかしいと思ったのだ。そうしたらほんとうにアレだった。椅子、チェスの駒、リコーダー、水筒、マスクの把手などあちこちにアレの意匠がちりばめられていて、思わず手を合わせたくなるくらい大量に出てきた。 ...
母と二人の娘、そして妹の先輩の女、四人が登場人物。 いつもそうだけど、人と人の関係性が抽象化されて、地球じゃない空気の組成が違う星での物語かと思うくらい。だからその分背景の細かい書き込みは必須。それがないと単に説明不足でリアリティを欠いた話になってしまう。今回60分でとてもコンパクトだったけど、もっとふくらませるべきだった。セリフが今ここでの関係性の確認だけになっている。もっと外の世界に言及させないと。最後の急な転調も唐突すぎてついていけなかった。 ...
宮沢章夫さんとシティボーイズの組み合わせに強烈な懐かしさを感じてしまったが、ラジカルガジベリンバシステムを生はもちろん映像でもみたことがないので、その懐かしさになんの根拠もないのだった。しかし、本物であれ偽物であれ、実際にこの目でみなくてはすまないことには変わりがない。 ...
おなじひとり芝居でも観客に物語を語りかけるスタイルの戯曲ならここまで苛酷じゃないだろう。ほとんどのセリフがひとりごと。しかも堂々めぐりを繰り返す。演じる俳優はほんとうに大変だ。そしてみている観客、とくに金曜日の仕事帰りの疲れ切った観客(ぼくのことだ)にとっても苛酷な体験だった。前半途中から、このまま眠りに引きずり込まれてしまったら二度と目がさめないんじゃないかと思うような恐ろしく理不尽な眠気にさいなまれた。 ...
ナンセンスコメディをそつなくつくるひとはほかにもいるけど、自分の足元をゆるがすようにナンセンスを突き詰めているのは、今やブルースカイ改めブルー&スカイくらいかもしれない。 ...
2004年に上演された『男性の好きなスポーツ』の大改訂版。見てはいるがあらかた忘れている。今回は、前回のエピソードの断片を使いつつ、新たな要素を加えて再構成し、まったくちがうものに仕上がっていた……はずだ。全体的に一歩引いた冷めた視線から描かれている。エロスでなく「エロス」という感じ。少なくともとても新鮮だったし、ぼくはこっちの方が好きだ。 作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/CBGKシブゲキ/指定席6900円/2013-02-13 18:30/★★★ ...
直前まで迷ってギリギリ千秋楽にみにいった。エロとダジャレが飛び交うミュージカル。明らかにぼくのテリトリーじゃない。幕が開くと、いきなり7人の男たちが妙な歌と振付で登場して、まちがったところに来てしまった感が強まり、これから二時間堪えられるか不安になったのだが、終わってみれば掛け値なしに楽しめた。どこがよかったのか、自分自身にもうまく説明できない。間違いなく素晴らしいのは音楽の使い方。人生の歌はよかった。あれで終わったほうが盛り上がっただろうに、そうせずに子供のエピソードで静かにほのぼのと締めたことも含めて、そういうシンプルで暖かい世界観も悪くなかった。なんだかくせになってしまう感じだ。 ...
サンプル旗揚げ前の松井周作品の再演。 舞台はおいしい水がヒット商品である自然食品ショップの地下室。水は店長の「息子」森男しか作ることができず、その製法には秘密があった。実は息子といっても血はつながっておらず、スタッフはほぼ全員性的関係を含めた擬似家族的な紐帯でつながっていて、一種カルト化しているのだった。新しい女性従業員の加入が原因で森男が水を作れなくなってしまったことから、この集団は崩壊へと向かっていく……。 ...
短編集だし脱力系の歌が冒頭や途中にはさみこまれるから、気を抜いてみていると、にじみ出てくる毒にあてられる。思ったより骨太な芝居だったのだ。 ...
欲をいえば。 と感想の冒頭に書きたくなる芝居だった。音楽や鳥のさえずりなどの「音」が失われてしまった世界、その音を取り戻すためにはぐれて別々に旅をする夫婦の物語。とてもよくできた大人のメルヘンだった。登場するキャラクターがそれぞれ個性的で子供がみても十分楽しめる内容だが、欲をいえばもう少し深みや苦さがあったほうがよかったと思う。欲をいえば、最後の歌はあまりにも耳慣れたあの曲じゃないほうがよかった。いくらアレンジや歌詞を変えても思わず腰が浮いてしまうメロディーは同じだ。 ...
今年の観劇納め。のはずが納まらないもやもやが残る舞台。4時間超の今年最大の失敗作というのもそれほどひどい表現じゃなくて、というのもあえて成功パターンをはずしにきてこうなっているからだ。その心意気は買いたい。 ...