主催は劇場だが脚本、演出、出演者、イキウメづくしのほぼイキウメ作品。 あるときからまったく理由の説明がなく列車が通過するようになってしまった駅の前の広場が舞台。元テレビの占いコーナー担当者で今はカウンセラーをしているサクラは依頼者の山鳥メイと会うが彼女は小学生の時の同級生だった。メイはサクラに教室であなたは、人を殺すという予言をされ、その予言を成就させないためこれまで人と深くかからわないように注意を払って生きてきたと告白するが、サクラはまったくそのことを覚えてなかった。 ...
三篇から構成される短編集。 冒頭の『非常に様々な健康の事情』は現時点での最新作。3人の元同級生の女性がカフェでかわるがわるそれぞれの不健康な状況について語り合う。彼氏のDV、上司のハラスメント、親族の迷惑な干渉など一見バラバラなことについて語っているようにみえるが・・・・・・。綾門さん自らの演出というのもめずらしいが、詩的で会話をしていてもモノローグに思えてしまう観念的なセリフではなく女性たちの等身大のセリフが飛び交い、エンターテインメントとして十分成立していたことだ。 ...
劇団結成25周年とのこと。今回はSFではなくミステリー。19世紀末のロンドンを舞台に、同じ街角で乞食の老人、ミルク売り、花売り娘など次々と人が消え失せる謎の連続失踪事件が発生する。周囲の人びとや刑事や探偵が侃侃諤諤で推理し謎を解いていく……と思いきや、謎が解かれたと思った瞬間に新たな真実が明らかになっていき最後はいつものSF展開だ。 ...
『アメリカの時計』はアーサー・ミラーの後期に書かれたあまり知名度の高くない作品だ。エンタメに振り切った改訂版は興行的に成功したようだが、この舞台は改訂前のバージョンがベースになっている。舞台は大恐慌時代のアメリカ。大恐慌は名前だけであまりよくわかっていなかったのだけど、今回ちゃんと知れたのは収穫のひとつだ。1929年の株価大暴落にははじまり、GDPが恐慌前の水準に一時的に回復したのはなんと1936年で最終的には第二次大戦による軍需をまたなくてはいけなかった。 ...
SNSでみかけて急遽みることにした。聞き覚えのある劇団だと思ったのは道理で、2度目のコンプソンズだった。 これぞ小劇場というテンション高めのノリと演出は相変わらず不慣れで、加えて今回気づいたのはこれが演劇であることへの自己言及的なセリフの多さだ。しかし、そういう個人的な違和感とは違うところに連れていってくれる作品だった。 ...
タイトルに「はじまり」とあるがむしろ終わりからみた物語だ。 舞台は前作『モスクワの海』から引き続いて多摩川西岸の町登戸。ぼくはみてないがその前の作品も登戸が舞台で登戸三部作らしい。 ...
まったく予備知識なしにみた。不思議な国のアリス、ピーターパン、桜の園などさまざまなシーンの間を言葉遊びで行き来してがどこに行き着くのか不安に思う瞬間もあったが、ちゃんとすべての言葉がつながって着地した。お見事。 ...
舞台は銀座。かつて海でいまもカモメの菅がかいま見え、風向きによっては潮の香りがする場所。とある兄妹を主軸とする物語。彼らの家庭を崩壊させた父のかつての愛人葉子と兄アキオはいま親しい関係にある。兄に弁当を届けに来た妹イズミはそれを知る。というベースラインの物語は、銀座で暮らす若年浮浪者二人組のうちひとりとみが考えた創作だった。ところが、創作の登場人物たちが現実化し、創作をしたとみたちの姿が希薄化していく。 ...
森の最奥の家が舞台。そこの主人山鳥は、森で迷ってる人たちを救って自分の家に住まわせており。彼らからママと呼ばれ共同生活を送っていた。そこに八雲という刑務官が奇妙な届け物をもってたずねてくる。届け物はかつてその家に住み街に戻ってからテロを起こし処刑された男からでてきた黒い物体だ。それはまわりの人の心に語りかけてきて人魂としかいいようがないものだった。処刑された人以外にも街に戻ってからテロ的な行為をする人たちがいて、疑念を持った公安警察もやってくる・・・・・・。 ...
岡田俊樹脚本でドイツで上演された作品の日本初演。本人じゃなく本谷有希子演出だ。 3人家族が暮らす家が舞台。妻に先立たれた80代の男性、その娘で学生時代から50代の今まで引きこもりの姉、40代無職の弟。そして話すことができる掃除機が狂言回しとして登場する。現代のある側面を凝縮したような家族だ。彼らは微妙なバランスの上に日常を築いて日々をやり過ごしている。そこに弟の友人ヒデがあらわれ微妙なバランスが崩れいままでの日常が崩壊していくが、それは終わりというよりはじまりのようにも感じられる。 ...
登場人物全員の顔が白塗り。そのことにDon’t Freak Out(ひかないで)というより、白塗りによりあらかじめ無用な感情移入の余地をなくしておいて、これから舞台で起きることにDon’t Freak Outという感じだった。 ...
今年初観劇。気づいたときには前売りの予定枚数が終わっていたが当日券をゲットした。 ブルー&スカイ作品を見るのはなんと10年ぶり。世の中はこの10年間に大きく変わってしまったけど、アートとか批評に流れずとことん無意味なナンセンスを追求するスタイルはまったくかわってなかった。これは貴重といっていいのではないか。 ...
同窓会ということでやってきた3人がかわるがわる自分の物語を語る。冒頭の松井周さん(役名は役者の名前と同じになってる)はタイに移住してラオスで焼酎工場を経営している。そうなるにいたった経緯を語ろうとしているのだが、次々と脱線して、バンコクで見つけた野外のバーの話から、そこで出会った美女の話になっていく……。二番目は上城みきさんで、沖縄からボリビアに移住した人々の苦難について語る。しんがりは大村わたるさんで、なんとなく東京から沖縄に移住したという設定。学校のスポーツ部活のエピソードの他はまだ物語らしい物語はないのだが、松井周さんが語り好きの妖怪であることが示唆されたり、みきさんと隣人のまきさんが同一視されたり、それまでの物語の前提が揺らいでいく。もともと同会というには年齢も違う。 ...
舞台に限らずテレビドラマなんかでもコロナはなかったことにされている作品が多い気がするが、『ワクチンの夜』に続いて、コロナをちゃんと作品の背景としてとりいれているのは希少かもしれない。 ...
上演時間40分だけど短いという感じがまったくない凝縮された時間だった。 2022年2月、正社員として働く独身女性のモノローグ。注意してたのにコロナに罹患するが回復する。そのあとの物語。たぶんコロナ以前はかろうじて耐えられた、日々の理不尽が耐えがたくなり、呪詛をはく。それは「あなたたち」に向けられているようだ。 ...
コロナ以降観劇の回数がガクンと落ちた中、1年に2回ヨーロッパ企画をみるとは、なかなか奇遇だ。 あるプロ野球選手の半生記のような番組の撮影のため彼の故郷にやってきたテレビクルーたち。町の人たちは、ゴーレムという巨大な土の像が意識を持って動き回りいろいろ人々のためになることをしているということを信じていた。クルーたちは最初笑い飛ばすが、調べるうちだんだんそれを信じざるをえなくなっていく。 ...
2020年の年末に上演された朗読劇『そして春になった』の続編(もちろん見てなくても大丈夫)。あちらは女性関係が派手な映画監督の妻と彼の愛人である若手からベテランに差し掛かりつつある女優がある若手女優の「事故死」をめぐって手紙のやり取りをするという作品だった。 ...
以前長塚圭史演出でみたが今回はベルギーのIvo Van Hove演出。(原語は英語なのに)上演も全編フランス語で日本語と英語の字幕が表示される。英語以上にフランス語だと字幕に頼るしかなく、舞台よりそちらに注意をもっていかれたり、スペースのせいで細かいニュアンスが省かれたりするのはまあ仕方ない。 ...
ナンセンスコメディーかと思ったが、違った。建てつけとしては、まだ戦争の傷跡が残る昭和30年代前半を舞台に喜劇一座の盛衰を描いた、わりとシリアスなコメディーだ。若手役者のあれやこれやは新しい笑いを生み出そうと台本を書き座長に上演許可をもらうが、自らの演技によりクオリティが落ちることを恐れ、直前に出演を拒否する。 ...
笠木泉さんの関わった作品はこれまで割とみてきたつもりだけど新しいユニットを立ち上げて作・演出をしていることについ最近気がついた。出演している人たちもなつかしい顔ぶれだ。特に松竹生さんを舞台でみるのは16年ぶりで、いい歳のとり方をされていることに安心しつつも、特にコロナ以降ひどくなった時間の遠近感の歪みのなかで、この間の年月がどこにいってしまったのか、まずはうまく説明できない喪失感を感じるところからはじまったのだった。それは個人的なものだが劇の内容とどこかオーバーラップするものだった。 ...