駅から15分離れたマイナーな劇場だったこともあってか、道案内をかねて前提知識を解説する音声コンテンツが配布されていた。これは開演してすぐに世界観に入り込めるのでとてもいい試みだと思う。 ...
なんと15年ぶりのはえぎわ。 セットのない素舞台に役者が勢揃いしてバックステージツアーのシーンからはじまる。空っぽの舞台にたくさんの役者。そのアンバランスさにかすかに不安になるがちゃんと物語が始まった。 ...
初ヌトミック。4年ぶりの新作長編とのこと。生演奏の音楽が全面に出るところが特長でまさに音楽劇だ。基本モノローグで進行するので最初はチェルフィッチュの音楽特化版かと思った。でも社会批評性はないし、語られるストーリーはそこまで整理されてなくて荒削りな状態だ。 目指す方向性が違うようだ。 ...
今年初観劇。 安楽な老後生活が送れるという惑星《まさゆめ》に宇宙船で向かう船長一人と乗客7人。ところが事故で燃料が流失し1人を放出しなければいけなくなり、まさゆめの生活でで一番役に立たない人を民主的に話し合いと投票で決めることになる。 ...
シス・カンパニーとケラリーノ・サンドロヴィッチによるチェーホフ4大戯曲上演もいよいよ4作目。ぼくは最初の『かもめ』以外の3作をみたことになる。もともと『桜の園』は2020年4月に上演するはずがコロナのせいで中止になりようやくキャストをいれかえて上演することになったのだ。 ...
「静かな時間。今ここには誰もいない・の・ではないかと思う」という語りからはじまる3人の登場人物の朝の心象風景が語られる。彼らは横浜市鶴見区大黒町の物流センターに派遣社員として働いているという共通点がある(ちょうどそのあたりを通って劇場にたどりついたので奇遇な気がした)。彼らの物語るのは実際に起きたことではなく頭のなかで想像してみたこと、ひょっとするとこれから起きるかもしれないこと、そして決して起きないだろうことだ。 ...
フランス映画にありそうなセックスコメディー。ニュータウン的な地域の小さな公園が舞台。そこに6人の男女がかわるがわるやってきて、公共の場にも関わらず時々隠微な絡みが発生する。彼らの関係性は徐々に明らかになり、まず観客だけが共有する。それを知らない登場人物たちを見ながら観客はやきもきするという展開だ。 ...
3つの団体による。短編2つ、中編ひとつのコント集。ジャンルでいうとどれもナンセンスコメディー。浮世離れした毒にも薬にもならない笑いのはずで、まあそういうのを求めてもいたのだが、今回はこのジャンルがあまりにピッタリ世の中とリンクしていて驚いた。今やナンセンスコメディーをやるだけで鋭い批評やメタファーになる時代なのだった。 ...
これまでみてきたなかで一、二を争う難解な作品。岩松作品はもともと登場人物の心の動きが、饒舌に本心を隠す形で難解になるのが味なのだが、今回はその本心がなかなか見えない。しかもストーリーも錯綜としている。 ...
とある独裁国家の警察の取調室が舞台。売れないショートストーリーを書きためているカトゥリアンはトゥポルスキ、アリエルという二人の刑事の取り調べを受けている。最初カフカ『審判』のような不条理な告発かと思うが、カトゥリアンの書く陰惨な物語をまねた子どもの連続殺人事件が起きていることがわかり、別室でカトゥリアンの兄ミハエルも取調べされており兄弟二人でやったと自供したと聞かさせる。カトゥリアンは物語の執筆を促されつつ、兄の存在を知らないまま毎夜拷問されている声を聞かされる。それで生み出される陰惨な物語が両親の実験の成果なのだった。そのことに気づいたカトゥリアンは14歳の時に両親を殺害したのだった。ミハエルは虐待が理由で知的機能に遅滞がある。 ...
峯村リエさんは、これまで何回も舞台を見てきて大好きな俳優さんだけど、タイトルになっているとは、どういうこと?という感じだったが、思いがけずいい舞台だった。 ...
次の小泉八雲の怪談5篇が百物語的に舞台上で物語られる。 常識 破られた約束 茶碗の中 お貞の話 宿世の恋 『宿世の恋』は『牡丹灯籠』の再話だがそれ以外は耳馴染みがなかった。個人的には『茶碗の中』がシュールでおもしろかった。 ...
ナイロン30周年記念公演の第2弾とのことで実際31年周年だがそこがナイロンらしい。自分がそのうち25年間みてきたことにびっくりだ。 江戸時代の峠の茶屋みたいなところで二人の男がすれちがい、そのうちのひとり町人の風体の武士之介が武士の風体の人良に自分の思い出話を無理やり聞かせようとする。最初に語られるのはなぜか未来と思しき思い出で、現代の服装をした男女4人がタイムカプセルを掘り返そうとしている。しかしタイムカプセルは見つからず人間の手足や脳みそが掘り出される……。というのが第一部で、第二部は江戸時代に戻って疫病と飢饉の時代の思い出、休憩を挟んで第3部は、頭の部分が臀部のケツ侍があらわれ最後はバッドエンドと思いきや第4部で唐突にあらわれた救世主がみんなを蘇らせまさにデウス・エクス・マキナだった。 ...
2018年に陸前高田で進む震災からの復興工事を目撃した経験に触発されて、「人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって構築できるのだろうか?」という問題提起から生まれた作品。舞台に配置されたさまざまなモノは美術家の金氏徹平さんによるもの。俳優たちは舞台上で即興でそれらのモノと戯れる。 ...
5月で閉館するこまばアゴラ劇場のサヨナラ公演と銘うたれた公演のひとつ。これはいかねばなるまい。アゴラでみる49個目の公演だ。 『S高原から』をみるのはなんと25年ぶり。高原のサナトリウムが舞台という以外ほとんどなにも覚えてなかった。25年前はまだ下敷きとなったトーマス・マン『魔の山』は未読だったのでわからなかったことが今では見える気がする。サナトリウムに暮らす若者たちは不幸な病人というわけじゃなく、相当に恵まれた境遇にある。ここでは、死すら一方的に厭うべきものではなく、痛みがなく穏やかで眠りに近いものなのだ。 ...
演劇の世界では、待つ対象はゴドーのはずだが、ゴドーはもう歩くAIアシスタントとしてここにいる。戦火から逃れ移民としてこの国にやってきた美容外科医が待っているのは船だ。 一日は無為に過ぎていき船は来ない。そこに上の神社から貧しい現地民エイが流されてくる。彼らは最初反目するがエイの兄が自死したエピソードをきっかけに和睦する。船は来ない。唐突にゴドーも去っていく。 ...
今年初の観劇。昨年に続いて今年もブルー&スカイ作品からのスタートだ。『寸劇の館』というタイトルからわかるように実質寸劇4編のコントライブなのだが、それを、理不尽な理由で処刑されてしまいそうな息子の命を救うため森に探索に行った母親が「寸劇の館」という館に迷い込み寸劇を見せられるという荒唐無稽なストーリーでラッピングしてる。古典の枠物語の構造だ。 ...
城山羊の会の三鷹公演では劇場支配人の森元隆樹さんの前説が通例になっている。今回の舞台は劇場の前になっていて、前説からなめらかに物語がつながっていく。見知らぬ中年男が森元さんのまえにあらわれて唐突に性欲について質問する。新入職員の佐藤が呼ばれて彼の相手をする。基本的にはこの佐藤くんの家族を中心とした決して上品とはいえない性の話だ。そこにほかのひとにみえたりみえなかったりするイエス(三つの異なる姿で登頂するのは三位一体ということ?)と偽牧師が絡み、衝撃(笑)のラストになだれ込んでいく。 ...
昨年惜しくも亡くなった宮沢章夫の1994年初演の作品の再演。演出は彼の作品を俳優や制作として近くで見てきた笠木泉さんが担当している。 砂漠監視隊というただ砂漠を監視する組織に派遣された7人の男たち。誰もが、あまりにも手持ち無沙汰で、割り当てられた作業を他人に渡すまいとしている。隊員のひとりが砂漠から声が聞こえると言い出しやがて行方不明になる。彼は一週間後に戻ってきたがいなくなっていた間のことを何も覚えていないという。次に別のメンバーも声が聞こえると言い、彼もまた書き置きを残して消える・・・・・・。 ...
初老男性が夢の中みたいにぼんやり歩いていると、離婚して依頼疎遠になっていた息子と出会う。息子はぎこちない感じながら自宅に誘い、ささやかな歓待を受ける。翌日ワインとケーキをもって同じ部屋を訪ねると、そこには別の人が住んでいた。男は、不意にあらわれた目玉探偵と名乗る男とその助手とともに息子の行方を捜そうとする。彼らによれば、誰かの回想、いや傾倒の世界に入ってしまったのだという。空には巨大な目玉が浮かび、時間と空間がゆがみはじめる。 ...