日本初演。タイトルは三国志を想像してしまうが、舞台は古代中国ではなく現代ヨーロッパの3カ国だ。初演は2011年でまさにこの3ヶ国を順次回ったらしい。 ...
なんとなくワーク・イン・プログレス的な雰囲気を感じてあまり期待せずにみたのだけど、おそらく今年一番セリフに強さと自然さを感じた作品だった。 ...
観客参加型の演劇は苦手だ。入口でルーズリーフと鉛筆を渡されてたじろいだけど、そのたじろぎを乗り越えてみるべき作品だったと思う。 ...
2度目のヌトミツク。生者と死者の関係性がテーマなのは前作と共通している。ここでは死者は生者と同じく姿を表し言葉を交わす。崖から海に飛び降りて自死した人とその残された家族という3組のペアが登場する。最初、自死をとめられず罪の意識を感じる遺族と死者がわかりあえてお互い癒されるというありきたりな話なのかと思ったが、この作品のメッセージはもっと尖っている。 ...
枠物語の構成をとっている。 外側の物語は『ゴドーを待ちながら』のパロディーだ。せっかくゴドーがあらわれたのに人々が待っていたのは彼ではなくチェーホフで、彼はどうにかチェーホフになろうとする。彼は、チェーホフがどういう人かを理解するため学ぼうとする。 ...
城山羊の会の下ネタに注目する向きがあるけど、フランス映画の中でもエリック・ロメール作品のような洒脱さが中核にあって、下ネタは下品にならないぎりぎりのところを攻めている気がする。いや、時々下品な時もあるが、その逸脱の感覚がスリリングなのだ。 ...
過疎の村の駐在所が舞台。駐在である竹井は退職して故郷に戻ろうとしていた。そこへ、不穏な事件が立て続けに起こり、かつて村を隠然と支配し放火殺人を起こし服役していた男が出所して弟と甥を引き連れて村に戻ろうとしているという話を聞く。当時逮捕したのは竹井だったのだ。 ...
今回もかなり難解な作品だ。岩松了は、年をとってから晦渋なマスターピースを作曲したフォーレみたいだ。そのフォーレの曲が劇中で使われていた。 ...
再演らしい。 とあるオフィスの一室が舞台。女性スタッフ6人がいれかわりたちかわり入退室する。異常に気づくのは最近入社した新人ユウコだけだ。自動ドアでないドアがしばらくすると勝手に閉まるのだ。いやいやそれでもデンジャラスは言い過ぎでしょうと思ったていたら、驚愕のスプラッタホラー展開へ・・・・・・。 ...
ダンスを見てると言葉と別の手段でなにかが伝達されているのを感じる。それはつまりコミュニケーションで、ダンスと演劇の共通点はこれまで思っていた以上に多い気がする。 ...
脚本も演出も日台共同とのこと。日本語と中国語がちゃんぽんで語られるが相互に理解可能という設定。 銭湯の廃墟が、戦死した兵士たちを慰めるための風俗店として再利用されている。この銭湯の舞台装置がすばらしい。規則に従い彼らはここで「プレイ」に参加する。彼らが今生に残した未練を解放するのが目的らしい。たまたまか、この夜参加した4人の男たちはみな女性に関する未練をもっていた。ひとりは幼い娘とあまり触れあえなかったことを後悔し、ひとりは病気の妹を自分の手で安楽死させたことを気に病んでいる。残りの2人は同じ女性を愛していてお互いを恋敵だと思っている。 ...
場末の小劇場でドン・キホーテを演じていた老俳優が、自らがドン・キホーテであると思い込み、遍歴の旅に出てしまって困り果てている劇団の面々に診療所のナース名乗る女性から電話がかかってくる。行方不明の老俳優ヘンリー・クリンクルを保護しているというのだ。この冒頭部は文句のないおもしろさで、その先の展開を期待したが…… ...
「宝石のエメラルド座」というのは作品のタイトルの一部かと思っていたが、実際には団体名のようだ。実体があるわけではなさそうだが、名前を掲げることで今後の公演がやりやすくなるのかもしれない。かつての「演劇弁当猫ニャー」と比べると、まさに180度の転換である。 ...
アメリカ・感謝祭の日に再会する一家の物語。 郊外に暮らすエリックとディアドラ夫妻、認知症の祖母モモ、長女エイミー、そしてニューヨークで歳の離れた恋人リックと暮らす次女ブリジッド。彼らが小さなアパートに集い、穏やかな祝祭ムードで始まるが、物語は次第に不穏な空気を帯びてゆく。 ...
リプリーというのはシガニー・ウィーバーが演じた映画『エイリアン』の主人公の名前。まったく予備知識なしで見たが、今回の作品は『エイリアン』へのオマージュを捧げた音楽コメディなのだった。 ...
イキウメのメンバーのみによる、男5人だけの芝居。 親の事業を引き継ぎ社長を務める輝は、問題行動を繰り返す弟・春に手を焼いている。春は入院していた施設から戻ってくると、佐久間という男とともに何やら怪しげな計画を企てていた。輝が秘書兼家政夫として雇った山鳥は、被災して避難所暮らしをしていた整体師を家に連れてくる。その整体師には、幽体を離脱させたり戻したりする不思議な力があった。彼には、幽体離脱した春の姿も見えている。 ...
オムニバスで見ておもしろかったので単独公演へ。 今回の作品限定かもしれないが、登場人物間の奇妙な人間関係にスポットライトをあてるところや、あて書きしているかのような役者と役柄のマッチングなどが、今までみてきたなかだと城山羊の会に似てると思った。 ...
三好十郎が敗戦から5年後の1950年に書いた戯曲作品である。戯曲の形式をとっているものの、必ずしも舞台上演を前提としたものではなく、実際に上演された記録も残っていないようだ。夜道を歩きながら二人の男性が対話を交わす構成であるため、演劇としての上演が難しかったのかもしれない。 ...
小劇場界のレジェンド的な人たちが集まって作りあげた作品。といっても肩に力が入ってはなくて、エンターテインメントに徹した、細かくエピソードをつみあげていく匠の技を堪能できた。 ...
駅から15分離れたマイナーな劇場だったこともあってか、道案内をかねて前提知識を解説する音声コンテンツが配布されていた。これは開演してすぐに世界観に入り込めるのでとてもいい試みだと思う。 ...