町田康『宿屋めぐり』

宿屋めぐり (講談社文庫)

町田康の文章を読んでいると知らず知らずニタニタしてしまう。700ページ以上読み切る間ニタニタし通しだった。さすがにラスト近く、あまりにグロい描写が連続するあたりはそのニタニタも凍りついたが、それもやがて突き抜けた爽快感に変わる。

主の命で燦州大権現(おそらく金刀比羅宮がモデル)に守刀を奉納する旅の途中の主人公鋤名彦名は、白いくにゅくにゅしたものの中に取り込まれて別の世界に入ってしまう。その世界で主人公は、勘違いや濡れ衣や自業自得で、極悪非道の悪名高いお尋ね者になり、追われたり騙されたりしながらも、人に助けられたり、顔を自在に変えたり火や水をあやつる超能力のような力を身につけて、切り抜ける。しかし、目的を遂げようと頑張るというわけでもなく、つい自堕落な生活を続けてしまいながらも、自分を正当化することに余念がない。そんな彼が果たして大権現に刀を奉納し、元の世界に帰ることができるだろうか……。

この主人公の主という設定がすごい。全能で神のごとき存在であり、時に弟子たちに理不尽に思えるような苛烈な罰を下す。主人公は典型的なダメ人間だが、それでも常に主の意向を想像しながら生きているのだ。旧約聖書のヤハウェ、オーム的な新興宗教の教祖とかいくつかの想像が働くが、実際のところ、ラストに自ら語るように「諦めた者」なのだ。それに対する主人公は諦めない者だ。つい主人公が断罪されて終わるような気がしてしまうが、逆だということが、このあたりの一節に濃縮して語られているような気がする。この作品は、永遠に繰り返す「宿屋めぐり」への祝福なのだ。