町田康『浄土』

浄土 (講談社文庫 ま 46-5)

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とコピペでなく手打ちで入力したくなるくらい(最後の誤入力がその証拠)、この短編集の中を流れる神々しいくらいのだめだめの美学に魅せられてしまった。

「死ぬかどうかは分からない。ただ、どんよりとした悪い感じが今後どこまでもつきまとう、ということだけは、なぜだかはっきりと分かった」(『犬死』)。「気を失う瞬間のなかの瞬間、俺は黄金の世界に行くのだ、どぶの水面下には汚物が蠢くのではなく、黄金の世界があるのだ」(『どぶさらえ』)。「おかしいのは男の脇にふたりの背いの低い、二十九歳くらいの女と三十二歳くらいの女がいて一心に踊りを踊っているということで」(『あぱぱ踊り』)。「ギャオスによって首都の中心部を無茶苦茶にされた我が国はギャオス出現以降急速に貧しくなり、自殺と殺人が急増した」(『ギャオスの話』)。「森ビル」(『一言主の神』)。「それでも温夫の首は暫くの間、けけけ、と笑い、紙屑をかさかさ言わせていたが、やがて静かになった」(『自分の群像』)。

よくもこれだけ鋭く的確に人間のだめだめを見抜き、描けるものだと感心する。

『本音街』という作品はほかのに比べて特にすぐれているわけでもないのだけど、人々が本音をいいあう街という設定がおもしろかった。それでつかみあいのけんかになるかというとさにあらず、別れ話をする男女、作品の評価をめぐって険悪な作家と編集者、どちらの場合でも、自分の意志を虚飾なく相手に伝えているので、それが通用する限界を理解し、互いに納得して別れてゆくのだった。もちろん現実にそうなるという保証はまったくないけど、空気を読み過ぎて息苦しいこの国の現状をみていると、一種のユートピアのようなすがすがしさを感じたのだった。また、本音というのは、インターネットの一部で通用しているような薄汚い言葉のことではなくて、意志を的確に伝える技術だということに目を啓かされた。

お勧め★