小川哲『嘘と正典』
長いことぼくにとって小川哲さんは小説家ではなく村上Radioプレスペシャルのラジオパーソナリティーだったのだが、はじめて作品を読んでみた。
小説家を分類するには何に忠実かということをみればいいと思っていて、倫理感や思想性、文体を含めた詩情、SFというジャンルならジャンル特有の世界観やセンス・オヴ・ワンダー、忠実であろうとするものは人それぞれだが。小川哲さんにとってはストーリーテリングなんじゃないかと思った。冒頭の『魔術師』という作品からしても似ていると思った英語圏の作家はクリストファー・プリーストだ。彼もまたストーリーの巧みさで読ませるタイプの小説家だ。
『魔術師』はプリーストの定番としているテーマだし、一番類似性を感じる作品だ。人生をかけたトリックを実演する奇術師たちの物語。
『ひとすじの光』はSF要素がない作品。ある馬の血統をめぐる亡き父と息子も物語。ラジオで父親との複雑な関係を匂わせたこともあったし、主人公が小説家なので、ある程度実話が混じっているのではないかと思ってしまう。
『時の扉』はある種の歴史改編がテーマ。アラビアンナイト的な語り口がシリアスでアクチュアルな結末に帰結する。
『ムジカ・ムンダーナ』は隠すと世界一の音楽ということだが。これもまた亡き父と息子の物語だ。
『最後の不良』は、タイトルからして筒井康隆『最後の喫煙者』へのオマージュ。唯一の笑える作品だ。喫煙者と違って不良は形をかえて生き残り続ける気がするが。
そして最後は表題作の『嘘と聖典』。スパイ小説の形をとりつつ、歴史改変というSF要素が盛り込まれている。マルクス主義を可能にしたのはエンゲレスの裁判におけるひとつの証言だったというのが興味深い。
個人的に一番気に入った作品は『魔術師』だ。もっともセンス・オヴ・ワンダーを感じた。
★★