永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題への誘い』
中学生の翔太がインサイトという猫に導かれるように、さまざまな哲学的問題について考えてゆく。たとえば、「実はぼくらは培養器の中の脳で、現実はそこで見せられている夢」という考えには意味があるかどうかとか、「他人に心があるか」とか、「ぼく」という存在の特別さとか、善悪の基準の妥当性とか、「ものごとがわかる」というのはどういうことかとか、自由意志はあるかとか、そして死を体験することはできるのかとか。
ここでいう「哲学」というのは、誰かエラい哲学者が考えたことを紹介したり、何か安心できる回答を出したりすることではなく、疑問に思うことをわからないままとにかく考え続けることをさしている。あとがきを引用すれば、「哲学とはむしろ、主義主張や思想信条を持つことをできるだけ延期するための、延期せざるをえない人のための、自己訓練の方法なのである」。本書はそのためのきっかけとヒントを出してくれるための本だけど、読み物としてもおもしろいので、考えることそっちのけでついつい読み進めてしまった。一種のファンタジー小説としても読めるのだ。
さて、最後に本書の中のとっておきのパラグラフを引用しておこう。
いま、きみ自身が持っているいろんな素質とか能力とがあるだろう。若いころはそういうものが自分自身の人生を決めていくような感じを持っている。でも、それは錯覚なんだ。ほんとうは、思いもよらない偶然が君の人生を決定してしまう。幸運な偶然(グッド・ラック)もあれば不幸な偶然も(バッド・ラック)もあるさ。幸福でも不幸でもない偶然もたくさんある。そういったことは文字通りたまたまなのだから、何の根拠も意味もない。でも、そういう意味のないことがたまたま起こったことには意味があるんだ。その意味のなさこそをよくよく味わわないと。そこでこそ、全宇宙の存在の奇跡と君の存在の奇跡が出会うんだ。そういう偶然を味わうためにこそ、君は一回限りこの世に生まれてきたとさえ言える。
Wow!