田島正樹『スピノザという暗号』

スピノザという暗号

『これ(ライプニッツのこと)に対して、スピノザの難しさは一見したところのさらに先にある。すなわち、一見したところもけっしてやさしくないが、より大きな困難は、深く立ち入るにつれて見えてくるように思われる「粗雑さ・荒っぽさ」によって、われわれの勇気がくじかれてしまう危険なのである。なまじ哲学的素養のある人ほど、やがて疑惑にとらわれることになる。「はたして本当に偉大な哲学者なのだろうか?これ以上この学説に取り組むことに、どれだけ意味があるのだろうか?」。このような疑問が「専門家」をとらえやすいのは、この哲学者の言葉づかいが伝統的なそれと大きくずれていて、何か恣意的な、アマチュア的手仕事のように感じさせるという点が大きい』

というのはスピノザファンを自称するぼくでも認めなくてはいけないことだ。本書ではそのスピノザの学説を全体論的な合理性という観点から構成し直し、スピノザが真に意味したことを見いだそうとしている。しかし、それでもなお残る矛盾に対しては、スピノザの学説の一部を破棄し、結果として、筆者がたっている非実在論という立場と整合するものだけが残される。

それで失われるものは決して小さくなく、まず「神」のもつ(実在としての)無限という性質がうばわれる。それは「神」が「神」でなくなるということで、つまり「神」は死んだのだ。また、形而上学的な概念のように読めてしまう思惟という属性を認識論的に再構成して、神秘主義が排除される。こうして心は身体に従属する。

それで残るスピノザの思想はコナトゥス(自己保存力)を核としたとても実践的な思想だ。もちろん整合性は十分とれている。だが、ちょっとコンパクトすぎてさみしい気がしないことはない。逆に、矛盾や仰々しさがスピノザの魅力の一部だったということにも気がつかされてしまった。