今までいくつかスピノザ本を読んできたけど、本書はけっこう異色だ。 ひとつめ。スピノザの思想だけでなく家族、生涯、死後の受容に焦点をあてている。いまだにけっこうわからないことが多いのだが、父の事業を受け継いで営んでいたときの訴訟記録や、スピノザの兄弟のその後の行く末(カリブ海の島に渡って亡くなっている)とかこれまで知らなかったようなことがわかった。 ...
『神学・政治論』の70年ぶりにでた新訳。21世紀のスピノザ主義者を自認する(間違って名付け親を頼まれたらエチカという名前を提案しようと思っている)ぼくとしては読んでおかなくてはいけないと、使命感にかられて手をだす。訳者後書きに「直訳に置き換えてしまえば五分で済むところを、半日かけて文章をほぐし、全体の文章を押さえ、その文意から許される限りの読みやすい訳文に仕上げる、という作業工程を、何度となく繰り返すことになりました」とあるようにとても読みやすい文章になっていた。 ...
「スピノザは、専門的哲学研究の外部の世界でもっとも人気のある哲学者の一人」と書かれている事例のひとつが、このぼくで、だから本書を手に取ったわけだ。さて、なまじ人気があると、いろいろなことをいわれてしまうのが世の常で、その中のどれが確かでどれが眉唾なのかを切り分けつつ、本書は、彼の生涯、著作、その解釈をめぐる問題点、後世の受容のされ方を平易に解説してくれる。 ...
『これ(ライプニッツのこと)に対して、スピノザの難しさは一見したところのさらに先にある。すなわち、一見したところもけっしてやさしくないが、より大きな困難は、深く立ち入るにつれて見えてくるように思われる「粗雑さ・荒っぽさ」によって、われわれの勇気がくじかれてしまう危険なのである。なまじ哲学的素養のある人ほど、やがて疑惑にとらわれることになる。「はたして本当に偉大な哲学者なのだろうか?これ以上この学説に取り組むことに、どれだけ意味があるのだろうか?」。このような疑問が「専門家」をとらえやすいのは、この哲学者の言葉づかいが伝統的なそれと大きくずれていて、何か恣意的な、アマチュア的手仕事のように感じさせるという点が大きい』 ...
「卓越の士、敬愛する友よ」なんていう呼びかけではじまるメールを一度でいいからもらってみたい。 これはスピノザがさまざまな人々と交わした書簡のうち現存する84通をあつめたものだ。当時は書簡が学術雑誌の代わりをしていたらしく、回覧したり、出版する目的で残されていたらしい。だから、内容もスピノザの思想に関する質問とその回答がほとんどだったりする。スピノザの数少ない著作からだけでは判断できない細部に触れていて、それはそれでとても価値があるものだけど、文章の端々や行間にあらわれるスピノザの人柄や生活態度に興味をひかれる。 ...
定義があって公理があって定理とその証明がある。まるで幾何学の本のようだ。そう、実際スピノザは幾何学の定理の正しさを証明するように、自分の哲学の正しさを証明しようとしたのだ。でも、それが成功しているかといわれると微妙だ。証明のかなりの部分は言葉の言い換えにしかなっていなくて、むしろいらないのではないかと思ったりもする。((ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は『エチカ』から証明を省いたスタイルといえないこともない。この二つの書物はスタイルも似ているし、その偉大さも共通している。余談だけど『論理哲学論考』のタイトルはスピノザの『神学政治論』をもじってつけられている。)) ...
1000円前後で気軽に読めるスピノザの入門書がずっとなかった(G.ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』はさすがにちょっと難解だ)。確かに哲学史の流れでいえばスピノザは傍流だし、その後ほとんど発展しているようには見えないけど、それはそのままで完成しているからのような気がする。 ...
共通一次試験などと書くと年がばれるけど、受験勉強の時倫理社会の教科書にでてきた思想家の名前で一番印象に残っているのはスピノザだ。何となく可愛らしい名前だからかもしれない。とはいえ、この本を読むまでは、スピノザってモナド論?というようにライプニッツと取り違えているようなありさまだった。 ...