スピノザ(畠中尚志訳)『エチカ -倫理学-』
定義があって公理があって定理とその証明がある。まるで幾何学の本のようだ。そう、実際スピノザは幾何学の定理の正しさを証明するように、自分の哲学の正しさを証明しようとしたのだ。でも、それが成功しているかといわれると微妙だ。証明のかなりの部分は言葉の言い換えにしかなっていなくて、むしろいらないのではないかと思ったりもする。((ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は『エチカ』から証明を省いたスタイルといえないこともない。この二つの書物はスタイルも似ているし、その偉大さも共通している。余談だけど『論理哲学論考』のタイトルはスピノザの『神学政治論』をもじってつけられている。))
とあえて苦言からはじめてみたのは、不器用な証明などしてみせなくても、ここに書かれている内容のすばらしさは揺るぎもしないと思うからだ。それは論理的に正しいわけではなく、倫理的に高貴なのだ。
スピノザの考えは、多かれ少なかれ相対主義的な現代の哲学的立場からは独断論といわれてしまいそうだけど、人が人として生きてきた歴史の中で積み上げられた倫理にはそれなりの普遍性があるはずで、一言でいってしまえばそれは「よりよく生きる」ということだと思う。その「よりよく」というのはどういう状態をさすのかを、追求したのがスピノザの哲学だ。
「たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」というように「よりよく生きる」のは難しい。でも、それは試してみる価値のあることだ。