まずは目次から。 はじめに 第一章 自然に目的はあるのか——西洋における目的論的自然観の盛衰と決定論 第二章 決定論と運命論——ストア派・スピノザ・九鬼周造 第三章 近代以前の自由意志論争とその影響——ホッブズとデカルト 第四章 目的論的自然観は生きのびる——ライプニッツとニュートン 第五章 ダーウィンによる目的論の自然化 第六章 自然化された運命論——現代の決定論的思想の検討 第七章 運命論のこれから 第八章 自然主義のこれから 本書のテーマは「決定論」。すべての出来事はあらかじめ定まっていて変えられないという考え方だ。哲学史上の主要なテーマのひとつで本書のかなりの部分はその軌跡をたどることに費やされる。その中で最大のトピックは「決定論」と「運命論」の違いだろう。これまで「決定論」として語られてきたことの中に相当程度「運命論」が含まれている。実際多くの議論がその混乱の上になされていて驚いた。本書の主眼のひとつは、「決定論」から「運命論」をきちんと分離することだったりする。 ...
コロナで先の見通しがたたないなか前向きな本が読みたくなった。 ...
『反哲学入門』と題されているが、語りおろしということもあり、とても易しく哲学史の見取り図が学べる本。いろいろ哲学書を読み散らかしてきたがまずこの本を読んでおけばよかった。 ...
イタリア出身の理論物理学者による時間についての本。 大きく三部構成。 第一部は、現代物理学の知見が動員され、時間の性質としてぼくらが日常的に思っているようなものは存在しないということが示される。まず、時間はどこでも変わりなく流れるものではない。流れ方は場所や速度によって異なるので、現在という時間はユニバーサルに広がるものではなくローカルなものなのだ。そして時間の方向もない。物理法則的には未来の方向も過去の方向も変わりはないのだ。ただ一つの例外は熱だ。熱は熱い方から冷たい方に流れ決しては戻ることはない。これは物理的にはエントロピーと呼ばれるあいまいさを示す量が増える過程とみなすことができて、エントロピーは時間とともに増えていき決して減ることはない。しかし、あいまいさは観測する者の立場により異なるものであり、普遍的なものということはできない。 ...
「道徳」というと国家や共同体からおしつけられる硬直化した規範と思うのはぼくだけではないようで最近は「倫理」という言葉が好まれていてぼくもそっちをよく使う。でも、著者のジュリアンはその「倫理」という言葉を今流行のごまかし方といっている。翻るに、信号無視の常習犯のぼくではあるが、それでも道徳的でありたいとは思っている。個別の道徳の規範の内容ではなくこうした善くあろうとする人間の傾向を道徳の本体と暗黙的に位置づけつつ、その正当性を打ち立てるのが本書のテーマ。 ...
「観光客の哲学」といわれるとバブルの頃はやったような凡俗な消費社会肯定論の亜種を想像してしまいそうになる。しかし「観光客」とは「他者」のことだ。リベラリズムが常に訴え続けてきた「他者を大事にしろ」というポリシーが通用しなくなりつつあるなか、従来まじめな哲学考察の対象とされてこなかった観光客というあり方を通して他者論=リベラリズムの復活を試みた本だ。 ...
タイトルをみて、そういえばピケティブームあっという間に過ぎさってしまったな、という感慨に打たれたが、『21世紀の資本』の邦訳出版が2014年末で、もうそれからそれなりに年月が経過しているのだった。時の流れが速すぎる。 ...
『神学・政治論』の70年ぶりにでた新訳。21世紀のスピノザ主義者を自認する(間違って名付け親を頼まれたらエチカという名前を提案しようと思っている)ぼくとしては読んでおかなくてはいけないと、使命感にかられて手をだす。訳者後書きに「直訳に置き換えてしまえば五分で済むところを、半日かけて文章をほぐし、全体の文章を押さえ、その文意から許される限りの読みやすい訳文に仕上げる、という作業工程を、何度となく繰り返すことになりました」とあるようにとても読みやすい文章になっていた。 ...
エプシロンとミューの2人が、散歩したり食事をしたりしながら、哲学なテーマについて語り合う。エプシロンは日頃から哲学的なことを考えているいわば哲学オタクだが、ミューは天然キャラで時折エプシロンの虚をつくようなことをポロッと口に出したりする。2人の会話にほとんど哲学の専門用語は登場しない。巻頭の川上弘美さんが本書に寄せた言葉の中にもあるけど、そういう「ぽい」言葉はわかった気にさせてそれ以上の思考の邪魔をする。 ...
タイトルから、古今東西で培われてきた哲学という壮大な分野全体への入門書と勘違いされそうだが、ある意味本書で扱うのはそのほんのごく一部、しかもかなり端の方とみなされてきた部分だ。自然科学が発達した現代、哲学が扱う領域やスタイルも変わってしかるべきじゃないかという筆者の問題提起、つりがこのタイトルにこめられているわけだ。 ...
スマリヤンといえばぼくの中では数学パズルの人だけど、この本のテーマは哲学。認識と存在、生と死、魂の永遠性など哲学の定番テーマを、スマリヤンならではの論理的明晰さ、手品でも見ているような意外性、そしてユーモアあふれる筆致で描き出した哲学エッセイ集。半分くらいは複数人による対話形式なので読みやすい。著者自ら哲学の演劇化と呼んでいる。実際上演されるところをみてみたいものだ。ちゃんと数学パズルも含まれている。 ...
平易な(ときによって必要な程度に入りくんだ)言葉を読んでいるうちに、いつの間にか哲学的な思考の深みへと連れて行ってくれる本。得てして、そういう深みは、神秘のヴェールに隠されて結局よくわからないままだったり、抽象的すぎて不毛だったりするものだが、本書では、たくみなバランス感覚とでもいおうか、うんそこだよな、という場所に連れて行ってもらえるのだ。 ...
著者は脳科学者でも心理学者でもなく、ロボット、コンピュータに明るい工学畑の人。明晰でわかりやすい文章ですらすら読むことができた。 ...
SF映画など虚構の世界では、自明なことみたいに描かれているけど、タイムトラベルというのが具体的にどういう現象をさしているのか考えれば考えるほどわからなくなる。何が移動するのか?移動してたどりついた世界は移動する前の世界とどういう関係なのか?つまり、タイムトラベルは可能か、という疑問ではなく、タイムトラベルとは何か、という疑問だ。本書はそれにこたえようとしている。 ...
あなたは路面電車の運転士で、ブレーキがきかないことに気づく。前方には5人の作業員。待避線に入れば5人の命は助かる。だが、そちらにも作業員が1人いる。あなたはまっすぐ進むのと待避線に入るとのどちらを選択すべきか。あるいは、あなたは同じ事故を目撃している傍観者で、橋の上にいる。今度は待避線はないが、目の前に太った男がいる。彼を橋から突き落とせば1人の犠牲ですむ。その行為は正当化されるのだろうか? ...
永井均のニーチェに関する本を読むのは『これがニーチェだ』に続いて二冊目、内容的には目新しいところはそれほどなく、パフォーマティブな変奏曲集という感じだ。 何度目の当たりにしても、現在公認されている倫理や道徳というものが、ルサンチマン[現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によって埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情]による価値の転倒の結果生まれたもので、あたりまえになって目に見えなくなっているというニーチェの洞察はものすごいし、そのニーチェを誤解してかぶれる人やニーチェ自身のルサンチマンを指摘する永井均の洞察はさらにすごい。 ...
<img src=“http://i1.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/515NsVTrPQL._SL160_.jpg?w=660" alt=“クワイン―ホーリズムの哲学 (平凡社ライブラリー)” class=“alignleft” style=“float: left; margin: 0 20px 20px 0;”” data-recalc-dims=“1” /> 日本では、アクロバティックな言葉のパフォーマンスをくりひろげる、フランスを中心とした大陸系の現代哲学ばかりが紹介されてきたけど、それとは別に、英米ではもっと地道に、言語や論理についての研究が進められてきた。分析哲学あるいは言語哲学と呼ばれる分野だ。 ...
「スピノザは、専門的哲学研究の外部の世界でもっとも人気のある哲学者の一人」と書かれている事例のひとつが、このぼくで、だから本書を手に取ったわけだ。さて、なまじ人気があると、いろいろなことをいわれてしまうのが世の常で、その中のどれが確かでどれが眉唾なのかを切り分けつつ、本書は、彼の生涯、著作、その解釈をめぐる問題点、後世の受容のされ方を平易に解説してくれる。 ...
『理性の限界』という挑発的なタイトルがつけられているが、欲望に負けて……、というような通俗的な物語ではなく、ときとして万能に思える人間の理性に、原理的に備わっている三つの限界を朝生のスタイルで楽しく紹介している。 ...
「時間は実在しない」。そんなことを証明した哲学者がいたらしい。その名はマグタガート。彼の名前を冠してそのパラドックスは「マグタガートのパラドックス」と呼ばれている。以前、それに関する説明を読んだが、なんだかわかったようなわからないような、矛盾した状態にとめおかれて、まさにパラドックスと、違うところで感動したりしていた。 ...