シリーズ・同時代【海外編】『タトゥー』

シリーズ・同時代【海外編】『タトゥー』

作:デーア・ローアー(翻訳:三輪玲子)、演出:岡田利規/新国立劇場小劇場/A席4200円/2009-05-16 13:00/★

出演:吹越満、柴本幸、鈴木浩介、内田慈、広岡由里子

またしてもマチネー。

海外の同時代の戯曲を日本の若手演出家が演出するシリーズ第3弾。今回はドイツのデーア・ローアーという女性作家の戯曲を、チェルフィッチュの岡田利規が演出している。

パン屋を経営する一家4人、父、母、そして二人の娘。長女は公然と父親から近親相姦を強要されている。彼女は、誠実そうな花屋の店員と知り合い、勇を鼓して、家を出て、彼と一緒に暮らすことにする。しかし、彼女が身ごもっている子供の父親はどちらだかわからない。やがて、子供がうまれるが、それは決して笑うことのない奇妙な顔をした赤ん坊だった。最初、誠実で頼もしそうにみえた花屋の彼も、やがて卑怯でひ弱な本性をあらわにする。

近親相姦という極端な例じゃなくても、家庭生活の中で継続的につけられた傷(肉体的であれ精神的であれ)は、それこそタトゥーのようにへたをすると一生残ってしまうものなのだ。この作品では、それを赤ん坊という形で表現しているのが、救いようのない恐ろしさを感じさせる。

戯曲は、そういう恐ろしさをリアリズムではなく、ミニマルで抽象的なシチュエーションと、日常的な会話の積み重ねで描いてる。その日常性の中にエロティシズムがかいまみえて、さらにその向こうに恐怖があるという感じだ。結構、演出が難しい作品だな、演出家でもないのに思った。今回は、セリフをあえて、抑揚をはずしたり切れ目をいれたりしていて、戯曲の雰囲気にあっているし、悲惨な物語を若干中和していると思ったが、逆に観客の感情移入をさそう、センチメンタルな演技をつけた演出で、一度みてみたい。

ラストは、唐突にして不可解。連れ戻しにくるという父親を迎えうつため、花屋の彼は、長女に拳銃を渡すが、長女はそれを彼に向ける。すると彼の頭に上にりんごがあらわれて、幕。これ、芝居の世界に入り込んでいた観客を現実世界に送り返すための、とても気の利いた方法だと思うけど、それならやはりもっと没入させる演出をとったほうがよかったんじゃないかな。