入不二基義『時間は実在するか』
「時間は実在しない」。そんなことを証明した哲学者がいたらしい。その名はマグタガート。彼の名前を冠してそのパラドックスは「マグタガートのパラドックス」と呼ばれている。以前、それに関する説明を読んだが、なんだかわかったようなわからないような、矛盾した状態にとめおかれて、まさにパラドックスと、違うところで感動したりしていた。
本書は、そのパラドックスの神髄をじっくり解説してくれる本だ。第一章でマグタガート以前の古今東西の時間のとらえかたについて解説し、第二章、三章でマグタガートの証明を追いかける。そして第四章でその証明が成功しているのか、失敗しているのかを判定するという構成をとっている。
まず、マグタガートは時間というものの二つの側面をとらえてそれぞれA系列、B系列と名付ける。B系列というのは時間を一本の時間軸としてとらえる視点で、出来事はその上に年表のように配置され、各出来事の間にはより過去、より未来という順序関係が与えられる。A系列は現在から相対的に過去、未来を見渡す視点で、加えて、もともと未来に位置づけられた出来事が現在の出来事となりやがて過去の出来事になるといった変化を包含する。
マグタガートは時間のもつ変化という性質を説明するにはB系列だけでは不十分で、A系列こそが時間にとって根源的だという。
A系列に位置づけられた出来事は、過去、現在、未来という性質をもつことになるが、これらは排他的な性質であり、両立不可能である。これは矛盾であり、よって時間は実在しない。当然思い浮かぶ反論は、過去、現在、未来という性質は同時に持つのでなく、時間の経過によって移り変わるということだけど、じゃ、その時間の経過ってどういうことという質問に対して、A系列の話を持ち出す必要があり、無限循環に陥ってしまう。
なんか狐につままれたような気分になって眉につばをつけてしまうが、その直感は正しくて、この証明が不十分であることを、筆者は丁寧に指摘する。確かに無限循環は発生するんだけど、それは矛盾を仮定しても、無矛盾を仮定してもどちらでも発生する。マグタガートはA系列が根源的だといったけど、この無限循環は、A系列とB系列の優位性が決定できず、相互依存になっていることから生まれているのだ。
ここまでで、パチパチと拍手を送りたいところだが、本書には第五章が存在する。そこではマグタガートのパラドックスをバージョンアップした筆者独自の時間に関する形而上学が語られるのだけど、相当に難解だ。「永遠の現在」、「非系列的な推移」、「無関係という関係でさえない無関係」などと、マグタガートの方向性をさらに悪のりしていったらどうなるかという思考実験のようなものが繰り広げられる。正直、この部分はお手上げだった。