村上春樹作品で一番好きなのは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』なのだが、これはその文字通りの姉妹編。今回の出版ではじめて知ったのだけど、1980年に雑誌掲載されたあとお蔵入りになっていた『街と、その不確かな壁』(読点がついている)という幻の中編があるらしく、「世界の終わり」の壁に囲まれた街はもともとこの作品に描かれたものだった。単角獣、夢読み、影など主要な要素はそのまま持ち込まれたものの、ストーリー展開はまったく別だった。本書はそのストーリーを含めてリライトを試みた部分が核となっている。 ...
初読以来8年たって再読したのは、映画『ドライブ・マイ・カー』をようやくみたからだ。完膚なきまでに忘れていて潔いくらいだった。 初読時には各作品の内容にはほとんど触れなかったので、今回は映画とからめつつ各編の内容に触れていこう。 映画のタイトルになった『ドライブ・マイ・カー』からは主要な登場人物やストーリーラインが採用されている。主人公の俳優家福(考えてみるとカフカを彷彿とさせる名前だ)、運転できない彼のためにドライバーを務めるみさき、家福の亡妻(小説では無名だが映画では音という名前が与えられている)のかつての不倫相手のひとり高槻。小説では家福の回想とみさきとの会話のなかで物語は静的に展開するが、映画では、音の生前から語りおこされ、死から数年後、家福は広島で行われる舞台公演を演出家として準備を進め、高槻がその主演俳優として参加するなかで過去と現在がオーバーラップする。 ...
2018年7月から2020年2月までに雑誌に掲載された作品を中心にした、8編からなる短編集(表題作の1編だけ書き下ろし)。 各作品から共通項をくくり出すと、自分の過去の作品(未発表のものを含む)がなんらかの形でベースになっているものが3編(もし『石のまくらに』の短歌を含めていいなら4編)、不可解だったり謎めいた面をもつ女性が登場する作品が5編、主要な登場人物が関西弁を話す作品が2編、そして村上春樹本人と思われる一人称の語り手をつとめる作品が8編、つまりすべてだ。 ...
村上春樹が初めて自分の父について書いたエッセイ。中くらいの短編の長さだが、刊行にあたって他の作品と組み合わせるのが難しいということで台湾出身の高妍さんの挿絵をつけて単独で出版されている。 ...
川上未映子による村上春樹へのロングインタビュー。2015年7月9日、2017年1月11日、2017年1月25日、2017年2月2日の計4回、それぞれ長時間にわたるインタビューの内容が収録されている、村上春樹はめったにインタビューを受けない人なので、これまでのインタビュー(主に海外のメディアによる)は本一冊に入ってしまう。今回はその分量を川上未映子さんという聞き手一人で越してしまったことになる。最新長編『騎士団長殺し』の刊行直後ということもあり、読後に残ったもやもやを晴らしてくれるのではないかと、期待を込めて手にとった。 ...
好きな登場人物は当然騎士団長です。 これほど集中して本を読んだのはほんとうに久しぶり。まさに読みふけるという感じだった。『1Q84』は、スタイルとしても内容としても村上春樹らしくない作品で一応堪能としたとはいえ、これじゃない感がぬぐえなかったが、今回は決して新しさはないものの村上春樹作品の王道をいく展開。一人称の男性主人公、親しい人との別離、怪異との遭遇、通過儀礼としての冥界めぐり。これまでの作品からの焼き直しといわれればそれまでだけど、はまるところにはまった感じがしたのだった。はまりすぎだろうと突っ込みたくなることはあったが。 ...
1995年から2015年にかけて世界のあちこちを旅して書かれた紀行文をまとめた一冊。訪れた場所は、ボストン(1995年、2012年)、アイスランド(2004年)、2つのポートランド(アメリカのメイン州とオレゴン州、2008年)、ギリシャのミコノス島とスペッツェス島(2011年)、ニューヨークのジャズクラブ(2009年)、フィンランド(2013年)、ラオスのルアンプラバン(2014年)、イタリアのトスカナ(2015年)、熊本県(2015年)。タイトルは、ラオスに向かう途中立ち寄ったベトナムで投げかけられた言葉からとられている。 ...
タイトルから、とうとう村上春樹が非モテを主人公にした小説書くのかと思ったがちがった。基本モテだが、女性にさられてしまった男たちの物語だった。まず、巻頭に村上春樹にかつてない「まえがき」がついていて、この短編集の成立過程を「業務報告」的にさらりと書いてあって、これまでと違う感じを受けるが、中身はいたってハルキらしいいつものテイストの短編が並ぶ。ただ、ちょっと彩りがモノトーンというか渋みを感じるのは、今回のテーマかあるいは著者の年齢によるものだろうか。 ...
発売早々に読んだ人たちの感想は酷評に近いものが多かったが、ぼくはかなり楽しめた。前作『1Q84』より10倍以上好きな作品だ。 自称平凡で特徴がなく空虚な男多崎つくるは高校生のとき4人の同年代の仲間と一体感に満ちた友情を結ぶが、二十歳のとき、突然仲間から追放されてしまい、しばらくの間死にとりつかれた日々を送った。16年後、36歳(100-村上春樹の実年齢)になったつくるは一見平穏な日々を送るが、まだ心の奥底で過去を引きずっていた。つくるは年上の恋人に諭され、自らの過去に向き合うため旅に出る……。 ...
19のインタビューのうち13が海外メディアのインタビューというところが特徴的。村上春樹「作家はあまり自作について語るべきではない」と思っていて、平凡な人間である自分自身に対して出なく作品の方に興味を持って欲しいといっている。ただ、海外に対してはある種の責任感を感じるらしく、比較的積極的にインタビューに応じているようだ。 ...
村上春樹がデビュー以来書いてきた「雑文」の中から本人自ら69編選んだ本。有名なところではエルサレム賞を受賞したときの『壁と卵』のスピーチの日本語原文が収められている。気楽なくだけた文章もあるが、自らの創作活動を考察する気合いの入った文章もある。くだけている方でいうと、『夜のくもざる』のために書いたけど結局収録しなかったという2編のくだけっぷりが甚だしくて驚く。でも、確かにこれも村上春樹なのだ。 ...
元旦にトラン・アン・ユン監督の映画をみて、読み直そうと思った。 みているときにも感じたが、結局のところ、映画はきれいな映像つきのインデックスのようなものだった。その映像美を堪能するだけで十分価値はあるが。主要な出来事がどんな様子でどういう順番で起きたかということは、ちゃんと伝えてくれる。でも映画は小説を読む体験の代替にはまったくならない。ストーリーの流れに関係ないエピソードが削られているというのも、その理由の一つだが、映画はあくまでこの物語をラブストーリーとして描こうとしている気がした。確かに、発刊時に大ベストセラーになったこともあり、この作品はほかの村上春樹作品とはちがった受けとめ方をされてきたけど、今読むと、ぶれていないというか、他の作品同様、生と死、そしてある種のどうにもならなさを描いた作品だった。表面的には「ラブ」の要素が強い作品だけど、映画はことさらその描写に時間を割きすぎたような気がする。 ...
正直 BOOK 2 はあまり楽しめなかった。BOOK 1 では思う存分羽ばたいていた想像力の翼が、村上春樹自身がリーダーの預言に支配されたかのように、普遍化することの不可能な、青豆と天吾二人の特殊な愛の物語に縮まってしまったように思えたからだ。とはいえ、「BOOK 3はたぶんない」と書いたのにBOOK 3が発売されてしまった負け惜しみでいうのではなく、物語としては、BOOK 2で十分完結していたと思う。だから、これはBOOK 2 でバッドエンディングになってしまったところからやり直したリプレイといえるかもしれない。 ...
われながら、村上春樹を英語で読もうなんて、かなり倒錯していると思う。もともと英語の勉強6割、読書の楽しみ4割くらいのつもりで読み始めたのだ。 ...
日本語が母語でよかった。 上下巻でなくBOOK 1、BOOK 2 なのはひょっとして BOOK 3 がありうるということを示しているのではないかと思ったが、これは、小説の中で言及されるバッハの平均律クラヴィーアの構成を模倣しているためだった。平均律クラヴィーアは、24の前奏曲とフーガがメジャー、マイナー交互に配置されていて、同様の構成のものがBOOK 1、BOOK 2 の二巻作曲されている。『1Q84』も、BOOK 1、BOOK 2 それぞれが24の章から構成されていて、青豆と天吾、二人の男女それぞれが交互に主役を務めるという感じで、完璧に対応がとられている。だから、BOOK 3はたぶんない。 ...
記念すべき村上春樹のデビュー作。再読のはずだけど、たぶんそれは前世の出来事だったようだ。 途中からひょっとしたらと思ったが、語り手の「僕」が文章についての多くを学んだというデレク・ハートフィールドはやはり架空の小説家だった。つまり、デレク・ハートフィールドは村上春樹にとってのキルゴア・トラウトだったのだ。でも、彼はその後の作品には一度も登場していない。メタフォリカルな味付けを誰かの架空の小説の中の話として持ち出すのではなく、本編の中に盛り込むようになっていったので、彼の存在は必要とされなくなったのだろう。 ...
Q 村上春樹の短編小説『中国行きのスロウ・ボート』は「最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?」という「考古学的な疑問」からはじまります。それは1959年か1960年のどちらかで、ヨハンソンとパターソンがヘヴィー・ウェイトのチャンピオン・タイトルを争った年でした。主人公はそれを調べに図書館にいこうとしますが、にわとりが餌を食べるのをみているうちにばからくしくなってやめたので、結局どちらかは不明のままでした。 ...
再読……のはずなのだか、何を読んだのかというくらい、ディテールはおろか基本的なストーリーさえ覚えていなかった。むしろ読んだのは誰だと問いかけたくなる。覚えていたのは、この作品がおそらく村上春樹の現時点での最高傑作といっていいくらいすばらしい作品だということで、読み終えた今、その記憶が正しかったことが証明された。 ...
アメリカで翻訳・出版された村上春樹の短編集と同じ構成で編んだ日本語版。もちろん英語から訳し直したわけでなく(それはそれで読んでみたいが)オリジナルの作品が収められている。 ...
それまでの人生で偶発的に負ってしまった瑕や歪を克服してより本来的な自分自身に回帰するというのは、村上春樹のみならず現代文学でよくとりあげられるテーマのひとつだ。村上春樹には特にそういうテーマの作品が多い印象があって、ひょっとしたら多かれ少なかれすべての作品にそういう要素が埋め込まれているのかもしれない。この短編集に収められているのもまさにその系統の作品だ。 ...