シス・カンパニーとケラリーノ・サンドロヴィッチによるチェーホフ4大戯曲上演もいよいよ4作目。ぼくは最初の『かもめ』以外の3作をみたことになる。もともと『桜の園』は2020年4月に上演するはずがコロナのせいで中止になりようやくキャストをいれかえて上演することになったのだ。 ...
ナイロン30周年記念公演の第2弾とのことで実際31年周年だがそこがナイロンらしい。自分がそのうち25年間みてきたことにびっくりだ。 江戸時代の峠の茶屋みたいなところで二人の男がすれちがい、そのうちのひとり町人の風体の武士之介が武士の風体の人良に自分の思い出話を無理やり聞かせようとする。最初に語られるのはなぜか未来と思しき思い出で、現代の服装をした男女4人がタイムカプセルを掘り返そうとしている。しかしタイムカプセルは見つからず人間の手足や脳みそが掘り出される……。というのが第一部で、第二部は江戸時代に戻って疫病と飢饉の時代の思い出、休憩を挟んで第3部は、頭の部分が臀部のケツ侍があらわれ最後はバッドエンドと思いきや第4部で唐突にあらわれた救世主がみんなを蘇らせまさにデウス・エクス・マキナだった。 ...
登場人物全員の顔が白塗り。そのことにDon’t Freak Out(ひかないで)というより、白塗りによりあらかじめ無用な感情移入の余地をなくしておいて、これから舞台で起きることにDon’t Freak Outという感じだった。 ...
ナンセンスコメディーかと思ったが、違った。建てつけとしては、まだ戦争の傷跡が残る昭和30年代前半を舞台に喜劇一座の盛衰を描いた、わりとシリアスなコメディーだ。若手役者のあれやこれやは新しい笑いを生み出そうと台本を書き座長に上演許可をもらうが、自らの演技によりクオリティが落ちることを恐れ、直前に出演を拒否する。 ...
ナイロンとしては3年ぶりの新作公演とのこと。今回は徹頭徹尾100%混じり気なしのナンセンスコメディー。主人公は鈴木タモツという持病をもつ少年(でも39歳)で、実の母親に保険金目当てで殺されそうになるが助かって孤児院に入る。そこを訪ねてきた政府関係の組織の会長に見初められ、近々開催される世界の強者が競う大会に地域代表として参加することになる。出場予定の選手は謎の円盤に攫われてしまったのだ。それと並行して探偵が自分に依頼されるはずの4つの事件を追って探索し、図書館を経て孤児院にやってくる。 ...
『砂の女』の原作を読んだのははるか昔で、ストーリーは骨格だけ覚えていた。タイトルに引きずられて女が主体的に男を監禁するような印象を持ち続けていたが、実のところ女もまた被害者で、砂を中心としたシステムが主体で、そのシステムの維持のための労働力として男が必要とされたのだった。 ...
コロナの影響でずっと観劇できない状態が続いていて、その魅力は頭ではなんとなくわかるものの、具体的な感覚としては忘れかけていた。そのリハビリを兼ねて6ヶ月ぶりの観劇。 ...
カフカが遺した長編小説(どれも未完)は3篇だけだが、4作目が発見されたという設定で、小説の中の世界と、2019年の小説の発見者の家族の物語が交互に描かれ、やがて二つの物語は交錯する。 ...
ウディ・アレン『カイロの紫のバラ』の飜案。舞台は1930年代の日本の梟島という架空の離島に移しかえられているが、基本的なストーリー展開は同じ。恵まれない人妻が毎日のように映画館で買い詰めるうち、贔屓の俳優が演じるキャラクターがスクリーンの向こうからこちらに声をかけてくるというファンタジー。 ...
なんと2ヶ月ぶりの観劇。コクーンの舞台と座席の配置が大幅に変えられて、舞台が真ん中でその周囲に座席がとりまくように配置される、今はなき青山円形劇場のようになっていた。 ...
タイトルのインパクトも大きいが、下北沢でなく池袋、実際の日本戦後社会がベースのストレートプレイという、これまでのナイロンからは驚きな舞台だ。 ...
ナイロンの公演は2年ぶり、新作ということだと3年ぶりということになる。時の流れるのは速い。 登場人物はみんな白塗り。元ペテン師という執事を狂言回しとして、二組の家族がひとつになってまたわかれるまでの物語。 ...
チェーホフの四大戯曲のうちの三番目。テレビで舞台映像をみたり、戯曲を読んではいたが、直接舞台をみるのは初めてだ。 悲劇ではなくむしろ喜劇なんだけど、主要な登場人物はほぼ例外なく絶望する。これほど絶望濃度が高い芝居もめずらしいのではないか。特にワーニャは、自分を含めて家族全員で献身してきた教授(ワーニャの亡き妹の夫にあたる)が退職とともに実は何の価値もなかったということに気がついてしまい、それによって自分の若い日の可能性が費やされてしまったことを深く嘆いていて、それは教授への怒りという形をとっている。この状況に煽りをかけているのが教授の若い後妻エレーナの存在だ。彼女の美貌にひきつけられて周囲の人間は働く意欲をなくし、希望と絶望がかき混ぜられる。今回みてわかったがエレーナ(宮沢りえが演じている)はけっこう内面をもった人間として描かれている。彼女もまた絶望に苛まれているのだ。 ...
アメリカで2007年に初演され高い評価を勝ち得た戯曲。メリル・ストリープとジュリー・ロバーツ主演で映画化もされている。 オクラホマ州オーセージ郡、大草原の片隅で二人だけで暮らす夫婦。夫ベヴァリーは元詩人で現アル中。妻ヴァイオレットはガンの闘病中で薬物の過剰摂取。うだるような8月、住み込みで家事を見てもらうネイティヴ・アメリカンの娘ジョナを雇い入れた数日後にベヴァリーは失踪する。そして……。久しぶりに集まった三人の40代の娘バーバラ、アイヴィ、カレンとヴァイオレットの妹マティ・フェイ家族。ヴァイオレットは、薬の作用もあり、彼らの心の傷を毒舌で激しく攻撃する……。 ...
11年前の初演を見ているし、キャストはその時とまるっきり同じだし、3年前に戯曲を読んだばかりだし、新鮮味を感じないんじゃないかと危惧していたが、ぼくの忘却力は思っていたより偉大だった。初演同様いやそれ以上に鮮烈な観劇体験だった。というのには、11年前より現在のほうが戦争やテロ、またそれによる文明崩壊への恐れがリアルになっていることもあるかもしれない。 ラスト。6人の登場人物のうちの亡くなった3人の人物が舞台に一瞬だけ現れて、去った後影だけが残る演出に背筋がぞわぞわした。 兄のチャズ役の大倉孝二は実年齢が役の年齢に近づいた分、初演より役にはまって熱のこもった演技だった。 ...
太宰最後の未完の小説をベースにウェルメイドなコメディーに仕上げた作品。戦後数年後の東京。編集である田島は、田舎に妻子をおいたままで、闇商売に関わって巨額の財をなし、十人近くの愛人と付き合っていた。そんな彼が、愛人と手を切り、妻子を田舎から呼び寄せようとする。そのための策略としてどこからか見つけてきた超美人の女性に妻の役を演じてもらって愛人たちの元を訪ねることにする。その白羽の矢がたったのがキヌ子という闇屋で働くだみ声の女性だ(小池栄子がいい声を出していた)。そのたくらみがあたったのかどうか、彼は愛人たちに次々に別れの言葉「グッド・バイ」を告げられていく。そして思ってもみなかった相手からも……。 ...
チェーホフの戯曲の中でも三人姉妹はとりわけなじみ深い作品だ。とにかく上演機会が多いし、登場人物が魅力的だったり、ストーリーに明暗の陰影がわかりやすくきいてるので、印象に強く残る。ぼくも原作を読んでいることもあって強い既視感があったのだが、実際舞台でみたのは2002年の岩松了演出版と2008年の地点版の2回で、後者はかなりデフォルメされている演出だった。今回観てみて細部をほとんど忘れていることに驚かされた。忘却万歳! ...
もともと別役さんの新作を上演することになっていたが、病気のため執筆できずということで、急遽旧作の上演ということになった。なんかそそらないタイトルだけど、中身は大変おもしろおかしく、しかも今この時代の状況が射程に入った深い作品だった。 ...
2年ぶりの新作公演。まさにナイロンらしい、シュールでナンセンスでブラックなコメディーだった。 おそらく一昔前の景気がよく携帯電話がなかった時代。ある会社の屋上が舞台。ランチタイムのほのぼのした会話で幕を開けるが、社長が3ヶ月失踪中であること、犯罪すれすれの業務内容、社員ひとりひとりのダークな側面などが徐々に明らかになってゆき、「よい探偵」と名乗るねじがゆるんだ男がもろもろの事件を捜査する。他方、かつてこの会社がまともだった時代のかつての社員たちが本人たちにもわからない理由で屋上に集まる。彼らは実は失踪中の社長の意識がうんだフィクショナルな存在だったのだ……。 ...
岸田國士の一幕劇を数編とりまぜて上演する企画の第二弾。(ついこの間のような気がするが、第一弾はもう七年も前だった)。今回も七篇の小品を巧みにシャッフルして構成している。『恋愛恐怖病』の恋愛や結婚をおそれて友情を守ろうとする男女の関係は現代的だし、『麺麭屋文六の思案』でほうき星が地球に衝突すると騒ぐのはSFみたいだった。前作同様カラフルでモダンな和服が美しい。昭和初期の言葉遣いが耳に小気味いい。 役者陣では特に藤田秀世さんがよかった。『恋愛恐怖病』の恋敵の男、『長閑なる反目』の人のいい大家という大局的な役を見事に演じていた。 ...