チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』
作・演出:岡田利規/ラフォーレミュージアム原宿/自由席3500円/2010-05-07 20:00/★★★
出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵
同じ部署で働く立場の違う6人の若者たちの姿を描く、3つのパートからなるオムニバス: ①「ホットペッパー」派遣切りにあってやめていく同僚の送別会を3人の派遣社員が企画している②「クーラー」正規社員の男女2人がエアコンの設定温度について話している③「お別れの挨拶」やめていく女性派遣社員の挨拶。
お互い通じているのかいないのか微妙な、即物的で、日常会話のブロークンさをさら強調したような会話。そこから彼らの間を隔てる、偶然的で過酷な身分や状況の壁が浮かび上がってくる。若年世代のおかれている雇用環境の問題、その中で彼らの感じているリアルな不安、幸福。それらはチェルフィッチュが扱ってきた一貫するテーマだ。
これまでのチェルフィッチュ作品では、俳優たちの身体の動きは、如何に奇妙であろうとも、あくまでセリフに従属していたのだけど、今回は特に最初のパートなど、もはやダンスとしかいいようがないそれ自身独立した表現になっていたと思う。それにあわせるように音楽が前面に出てきた。3つのパートでそれぞれ別のタイプの音楽が使われているんだけど、サウンドトラックがほしくなるくらい、どれも素晴らしかった。忘れないように書き写しておくと、John Cage “Sonatas and Interludes”、 Tortoise “TNT”、 Stereolab “Metronomic Underground”、 John Coltrane “India”。身体はむしろこれらの音楽とシンクロしていた。
前回みた『わたしたちは無傷な別人であるのか?』とは方向性の異なる作品だけど、どちらもそれぞれに完成度が高くて、チェルフィッチュは今ほんとうに円熟期をむかえていると思う。数年前は、彼らがやろうとしていたことはピンときてなかったのだけど、彼らの表現が洗練されて進化したのか、時代(というよりぼく)がおいついたのか、とにかく今はっきりとこれぞチェルフィッチュというものが見えてきた気がする。
内容とは関係ないが、観劇をはじめて十数年ではじめてチケットを紛失というか、紛失した記憶すら紛失というか、そもそも受け取ったところから覚えてない事態になってしまった。なんとか入場することができたが、次から気をつけよう。