ありんこ

帰りの電車の中で、どこで拾ってきたのか、ひざに置いたかばんの上を小さなありんこが這い回っていた。読書をする視界をかすめて邪魔だったので、たまたま指の先にのぼってきたところを、ふうっと力強く吹き飛ばした。

一瞬あと、それはちょうどドアの前あたりに着地し、羽がない悲しさで、乗り降りする乗客の靴の間をブラウン運動みたいに動き回っている。なんだかちょっと悪いことをした気になって床をみていると、なんか奇跡みたいに、二駅、三駅と運命の足跡からのがれつづけて、仲間のにおいを探し続けている。擬人化ならぬ蟻人化するなら、これはまわりの空気を読もうとする行為かもしれない。読む空気がなくて途方にくれている、つまりはアリの世間の奴隷なのだ。

突如として自我に目覚めて、わが道をいったりすると面白いな、いっちゃえいっちゃえと思っていると、顔色の悪い薄汚れたスニーカーをはいた男がずんずんとやってきて、鈍重なステップをふんで、あっ。

あとに残されたのは糸くずを丸めたみたいな小さくて黒いほこりのようなもの。